いつも自由気ままに更新しているこのブログ。
思い返せば2011年の洪水の頃に書き始め、あまりにも気まますぎて
どなたが読んで下さっているのかもよくわかりませんが(笑)なんとか
今年も細々と書きつづることができました。
今年は公私共に色々とあり、自分のカンボジア移住史上でもなかなか
きつかった1年でありました。
いつものほほんと書いているのでいまいち皆さんには伝わらないかも
しれませんが、かなり厳しい1年だったのです。
今はまだ書けませんが、そのうちいつか書けるときがきたら書きましょう(笑
そんな厳しい中でもやってこれたのはなんといっても周りの皆さんに
恵まれていることが一番だと思います。
身近にいる友人、遠く離れた日本でいつも温かく励ましてくれる方々、
何をするにも一人ではなにもできないことを年々強く感じるようになって
います。
反面、一人の人間が対応できる人数の限界というのも感じます。
色々な方に知って頂いているのに、顔と名前を覚えるのが人一倍苦手な
私は不義理ばかりしているような気がして心苦しい限りです。
毎年恒例ですが年末にまたまた占いに行ってきました(笑
来年は新しいことを始めるのに適した年、また自分の右腕になる人物を
育てるのによい年になる、と言われました。
そして44歳以降で婚期が来ると。
あれ?カンボジアの占いでは42歳と言われたのですが・・・(苦笑
ちょっとずれてしまいましたが、まあそのくらいのんびりしたペースで
よいのではないかと思っています。
一度離婚しているので、もし万が一次があるとしたら焦らずにいきたい
のです。
そう、だからその前に今の仕事をさらに充実させて、自分の代わりになる
人を育てていく時間に充てたいのです。
目の前で起きていることだけに翻弄される日々ではなく、この日々の積み
重ねが自分の人生を彩る出来事になっていくことを忘れずに過ごしていき
たいですね。だってもう40歳になるんだもの(笑
皆様、よいお年をお迎えください。
この1年、気にかけて頂いて本当にありがとうございました。
この挨拶ができることも幸せなんですよね・・・。当たり前のことなんて
なにもないんだなと思います。
2013/12/31
2013/12/09
息子のことを卒業生と分析した
いい加減に更新しろと怒られそうなので・・・(笑
前回、つづく・・・みたいな終わり方をしたのにすっかり時間が
経ってしまっておりました。
数少ない私のブログファンの皆様、お待たせいたしました(笑
現在一時帰国中の私ですが、帰国前に必ず部屋を訪ねて
来てくれる施設の卒院生、ラーヴォ。
彼とはとりとめない話をよくするのですが、今回は息子の話を。
息子が小さい頃から物を欲しがったり、ダダをこねて私を困らせる
ことがなかった理由、私なりの見解があったのですが、ラーヴォに
「なんでやと思う?」と訊いてみた回答です。
たっくん(息子)は小さいときからここでみんなと一緒に暮らして
きたでしょう?
当時の子どもたちは問題だらけでおかあさんはいつも悩んで
いましたね。
たくさんの子どもたちの問題を見ていたから、せめて自分だけは
おかあさんを悩ませないようにと気をつけていたんじゃないかと
僕は思うんです。
そして私も続けて言いました。
うん、そうかもしれないね。
でもね、反対にあの子は小さいときからここにいる子どもたちに本当に
かわいがられて育ったもんね。
たっくんのコップがみんなの優しさでいっぱいにあふれてきてたから
みんなのことを思う余裕があったのかもしれないね。
普通の人たちがコップをいっぱいにしてもらうよりもずっと早いスピードで
うちの息子はたっぷりあふれ出す状態にしてもらってきたと思います。
だから我慢だけしてきたわけではないのです。
でもラーヴォの言葉から歳の割に妙に落ち着いたところがある息子の
不思議な雰囲気に、いまさら納得の鈍感な母です(笑
もしラーヴォの言う通りであれば息子はすごいなあと思うんですが、
それよりも自分自身が子どもとしていた頃のことをこんなふうに
客観的に思い返すことのできるラーヴォを立派になってくれたなあと
思いました。
自分が育てた子どもとこんな話ができる日が来るなんて、2000年
当時は思ってもいませんでした。
とにかく教えることが多く、あれもこれもと問題が山積みだったことだけは
記憶にあります。
そんな私を息子なりに見つめてくれていたのかもしれないことをラーヴォから
教えてもらいました。
そのときは必死で見えていなかったものを今語り合えるって、おもしろいですね。
自分の息子と施設の子どもたちが自然に一緒にここで育ってくれて
いることに感謝したひとときでした。
息子の話はまだいろいろとあるのですが、気が向いたらまた書きたい
と思います。
ラーヴォ、いつもありがとうね。
前回、つづく・・・みたいな終わり方をしたのにすっかり時間が
経ってしまっておりました。
数少ない私のブログファンの皆様、お待たせいたしました(笑
現在一時帰国中の私ですが、帰国前に必ず部屋を訪ねて
来てくれる施設の卒院生、ラーヴォ。
彼とはとりとめない話をよくするのですが、今回は息子の話を。
息子が小さい頃から物を欲しがったり、ダダをこねて私を困らせる
ことがなかった理由、私なりの見解があったのですが、ラーヴォに
「なんでやと思う?」と訊いてみた回答です。
たっくん(息子)は小さいときからここでみんなと一緒に暮らして
きたでしょう?
当時の子どもたちは問題だらけでおかあさんはいつも悩んで
いましたね。
たくさんの子どもたちの問題を見ていたから、せめて自分だけは
おかあさんを悩ませないようにと気をつけていたんじゃないかと
僕は思うんです。
そして私も続けて言いました。
うん、そうかもしれないね。
でもね、反対にあの子は小さいときからここにいる子どもたちに本当に
かわいがられて育ったもんね。
たっくんのコップがみんなの優しさでいっぱいにあふれてきてたから
みんなのことを思う余裕があったのかもしれないね。
普通の人たちがコップをいっぱいにしてもらうよりもずっと早いスピードで
うちの息子はたっぷりあふれ出す状態にしてもらってきたと思います。
だから我慢だけしてきたわけではないのです。
でもラーヴォの言葉から歳の割に妙に落ち着いたところがある息子の
不思議な雰囲気に、いまさら納得の鈍感な母です(笑
もしラーヴォの言う通りであれば息子はすごいなあと思うんですが、
それよりも自分自身が子どもとしていた頃のことをこんなふうに
客観的に思い返すことのできるラーヴォを立派になってくれたなあと
思いました。
自分が育てた子どもとこんな話ができる日が来るなんて、2000年
当時は思ってもいませんでした。
とにかく教えることが多く、あれもこれもと問題が山積みだったことだけは
記憶にあります。
そんな私を息子なりに見つめてくれていたのかもしれないことをラーヴォから
教えてもらいました。
そのときは必死で見えていなかったものを今語り合えるって、おもしろいですね。
自分の息子と施設の子どもたちが自然に一緒にここで育ってくれて
いることに感謝したひとときでした。
息子の話はまだいろいろとあるのですが、気が向いたらまた書きたい
と思います。
ラーヴォ、いつもありがとうね。
2013/11/14
信じるかどうかは自分次第
カンボジアでは結婚や仕事、家を建てるときなど人生で大きな
一歩を踏み出す前に占い師のところに行くことがよくあります。
それはお寺のお坊さんの時もあるし、一見普通の民家に住む
普通のおばちゃんだったりもします。
私も年に1回くらい行きます(笑
なぜ行くの?と訊かれてもよくわからないし、物事を決めるときに
すべてその結果に従うというわけでもありません。
心に留め置いている、というのが正しいかもしれません。
ここでは大小様々な決断を一人でやっていかないといけない
ことが多いので、よりどころが欲しいのかもしれませんね。
ということで、卒業生のラーヴォがお勧めのすごい占い師さんの
ところに行ってきました。
カンボジア各地の聖地で修業を積んできたという占い師のおばさん。
見た目は人懐っこそうなちょっとぽっちゃり系(笑
なんだかよくわからない一連の儀式(線香で聖水をかき回したり・・・、
ろうそくのろうを聖水にぽたぽた落としたり・・・、いきなりウッ!と
うめいたり・・・etc)
それが終わるとめっちゃ普通の顔で「何を聞きたいの?」と言われました(笑
仕事に関してのアドバイスがあれば・・・、おずおずと言ってみると、
「今月は新しいことは始めちゃだめよ。来月ならいいけど。
どうしても今月ならいい日と時間を教えてあげるから。」
うんうん、メモメモ・・・書き書き・・・(笑
「ところであなたの仕事場どこにあるの?」と訊かれて、ワットボー(お寺)の
近くです、と答えるや否や・・・
「土地の神様、ちゃんと祀ってる??
あなたが自分のご先祖様を大切にしているのは見えた、でも土地の神様
を敬わないと・・・」
見えた??むむ・・・
たしかに私は自分の部屋で母にお線香をあげる一角を作っているのですが。
「外においている祠(土地の精霊を祀る小さい家のようなもの)の方角が
よくないみたいだから、今度見に行ってあげる、11月13日ね。」
そんなこんなでその日に土地の神様にお祈りする儀式が執り行われることに。
儀式についてはこちらから。
私の掌を見て、「この2年くらいで物事が進むようになったね」と。
はい、2年前に離婚しましたから(笑
通訳のラーヴォも微笑。
「あなたは見た目は女性、でも中身は男性よ」と。
わかってます、もう何度も言われてきましたゆえ・・・(泣
すかさずラーヴォが「決断の仕方が男性的という意味です」とフォロー(笑
最後に聞きたいことはないのかい?と言われて、
えーーーっと・・・私ってまた結婚するんでしょうか?
と訊いてみると、「2年後にチャンスがある」ときっぱり言われました。
そうか、2年後か・・・、男みたいな女にもチャンスが来るんでしょうか(苦笑
ま、それはそのときのタイミング、かな・・・。
土地の神様へのお祈りもすませました。
以前はそういう風習をあまり信じない私だったのですが、カンボジアに
暮らして13年、ここにはここの人々が大事にしていることがある、それに
従うことも必要かと思うようになりました。
お祈りすればなにもかもうまく行くということではないけれど、前向きになる
きっかけをもらえるように思います。
信じるも信じないも自分の気持ち次第、ですね。
一歩を踏み出す前に占い師のところに行くことがよくあります。
それはお寺のお坊さんの時もあるし、一見普通の民家に住む
普通のおばちゃんだったりもします。
私も年に1回くらい行きます(笑
なぜ行くの?と訊かれてもよくわからないし、物事を決めるときに
すべてその結果に従うというわけでもありません。
心に留め置いている、というのが正しいかもしれません。
ここでは大小様々な決断を一人でやっていかないといけない
ことが多いので、よりどころが欲しいのかもしれませんね。
ということで、卒業生のラーヴォがお勧めのすごい占い師さんの
ところに行ってきました。
カンボジア各地の聖地で修業を積んできたという占い師のおばさん。
見た目は人懐っこそうなちょっとぽっちゃり系(笑
なんだかよくわからない一連の儀式(線香で聖水をかき回したり・・・、
ろうそくのろうを聖水にぽたぽた落としたり・・・、いきなりウッ!と
うめいたり・・・etc)
それが終わるとめっちゃ普通の顔で「何を聞きたいの?」と言われました(笑
仕事に関してのアドバイスがあれば・・・、おずおずと言ってみると、
「今月は新しいことは始めちゃだめよ。来月ならいいけど。
どうしても今月ならいい日と時間を教えてあげるから。」
うんうん、メモメモ・・・書き書き・・・(笑
「ところであなたの仕事場どこにあるの?」と訊かれて、ワットボー(お寺)の
近くです、と答えるや否や・・・
「土地の神様、ちゃんと祀ってる??
あなたが自分のご先祖様を大切にしているのは見えた、でも土地の神様
を敬わないと・・・」
見えた??むむ・・・
たしかに私は自分の部屋で母にお線香をあげる一角を作っているのですが。
「外においている祠(土地の精霊を祀る小さい家のようなもの)の方角が
よくないみたいだから、今度見に行ってあげる、11月13日ね。」
そんなこんなでその日に土地の神様にお祈りする儀式が執り行われることに。
儀式についてはこちらから。
私の掌を見て、「この2年くらいで物事が進むようになったね」と。
はい、2年前に離婚しましたから(笑
通訳のラーヴォも微笑。
「あなたは見た目は女性、でも中身は男性よ」と。
わかってます、もう何度も言われてきましたゆえ・・・(泣
すかさずラーヴォが「決断の仕方が男性的という意味です」とフォロー(笑
最後に聞きたいことはないのかい?と言われて、
えーーーっと・・・私ってまた結婚するんでしょうか?
と訊いてみると、「2年後にチャンスがある」ときっぱり言われました。
そうか、2年後か・・・、男みたいな女にもチャンスが来るんでしょうか(苦笑
ま、それはそのときのタイミング、かな・・・。
土地の神様へのお祈りもすませました。
以前はそういう風習をあまり信じない私だったのですが、カンボジアに
暮らして13年、ここにはここの人々が大事にしていることがある、それに
従うことも必要かと思うようになりました。
お祈りすればなにもかもうまく行くということではないけれど、前向きになる
きっかけをもらえるように思います。
信じるも信じないも自分の気持ち次第、ですね。
2013/11/03
好きですと言いたいけれど
近年の自分の中にあるテーマ、伝えること。
やりたいなと思うことをおぼろげに思い描いていると、それに近い
ものになっていくことが多いなと思います。
たまたまカンボジアの人と結婚したことで今の仕事をすることになり、
今ではそれがかけがえのないものとなりました。
施設の子どもたちも含めて、自分が何かを伝えたいとき、批評や
一般論は話したくないと思っています。
何を伝えるにしても経験という裏打ちが欲しいと。
伝えるときに難しいなと思うのは、聞いてくださる方にとってもし
カンボジアの話を聞くのが初めてだった場合、私の話がカンボジアの
すべてだと思われてしまうのではないかということ。
私の話は、私がシェムリアップのスナーダイクマエと言う施設での
経験を通じて得た自分なりの解釈なのだということも含めて
お伝えしていくことを心がけたいと思っています。
お話することが好きです、と胸を張って言いたいのですが、まだまだ
そんなふうになれないのが現実。
でも私がやりたいのは「伝えること」。
カンボジアで関わっている子どもたちに伝えたいこと、日本人として
日本の方に伝えたいことの両方があります。
いつか「お伝えすることが好きです、それが自分の喜びです」とはっきり
言えるようになろう。
思っているとそうなるはずです。
思っているとそうなるはずです。
明日、カンボジアにいったん戻ります。
移動の前日は基本的に予定を入れないようにしているので、いつも
一人でいろいろと考える時間になります。
今回はそんなことをぼんやりと思いながら昼寝。至福の時です。
いつもへらーっとしてますが、意外と真面目です(笑
妄想ばかりしているのでへらーっとしているように見えるんでしょうね。
2013/10/21
和歌山から奈良へ【絵画展示と学習会のおしらせ】
子どもたちの日本渡航、早いものでもう前半が終わろうとしています。
今日は後半部で予定されているカンボジア学習会や絵画展のお知らせを・・・。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
スナーダイクマエの子どもたちの絵画展示
10月23日(水)・24日(木)
@みそら屋(奈良県磯城郡三宅町保健福祉施設「あざさ苑」内)
午前10時から午後3時まで
10月24日(木)
@社会福祉法人ひまわりの家
午後5時から
カンボジア学習会
10月24日(木)
@社会福祉法人ひまわりの家
午後6時から
「カンボジアの子どもたちと共に生きて」 メアス博子
参加費 500円
問い合わせ: 0744-33-8585 反差別・人権交流センター絆
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
今回の奈良滞在、上記の絵画展示や学習会では下記団体・学校の皆様に
大変お世話になっています。
社会福祉法人ひまわりの家
反差別・人権交流センター絆
磯城郡川西町川西小学校
6月以来のお話会ですね・・・。
準備はしているものの、やはり・・・緊張するのでうまく話せるかどうか。
このブログにちょこちょこと書き綴ってきたことに加えて、直接語りかける
機会だからこそできるお話をと考えています。
今日は後半部で予定されているカンボジア学習会や絵画展のお知らせを・・・。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
スナーダイクマエの子どもたちの絵画展示
10月23日(水)・24日(木)
@みそら屋(奈良県磯城郡三宅町保健福祉施設「あざさ苑」内)
午前10時から午後3時まで
10月24日(木)
@社会福祉法人ひまわりの家
午後5時から
カンボジア学習会
10月24日(木)
@社会福祉法人ひまわりの家
午後6時から
「カンボジアの子どもたちと共に生きて」 メアス博子
参加費 500円
問い合わせ: 0744-33-8585 反差別・人権交流センター絆
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
今回の奈良滞在、上記の絵画展示や学習会では下記団体・学校の皆様に
大変お世話になっています。
社会福祉法人ひまわりの家
反差別・人権交流センター絆
磯城郡川西町川西小学校
6月以来のお話会ですね・・・。
準備はしているものの、やはり・・・緊張するのでうまく話せるかどうか。
このブログにちょこちょこと書き綴ってきたことに加えて、直接語りかける
機会だからこそできるお話をと考えています。
2013/10/15
13年ぶりの秋
私の地元は和歌山県海南市。
実家から車で30分ほど行ったところに「りら創造芸術高等専修学校」が
あります。
今年の夏、全国でいのちについての講演をされている同じく海南市在住
の岩崎順子さんとトークイベントでご一緒させて頂いた際に、この学校の
学生さんたちとつながりができました。
学校にもお邪魔して生徒さんたちに少しだけカンボジアや施設のことを
お話したのですが、そのときの訪問の目的は「打ち合わせ」。
なんの打ち合わせかと言うと、毎年この学校が会場となり開催されている
「世界民族祭IN真国」の特別企画に私と施設の子ども2名が参加させて
頂くためです。
民族祭についてはこちらから
学生さんたちが「りらプリン」と名付けた手作りプリンを販売し、子ども2名の
渡航費の一部を負担して下さると言うお話。
そして民族祭のプレイベントとして和歌山電鉄貴志川線車内で、子どもたちの
絵画展示をして下さると言うことなのです。
カンボジアに来てから地元和歌山の方々ともご縁はありましたが、海南市
の皆さんに施設のことを知って頂く機会は少なかったように思います。
2年前から和歌山市で絵画展を開催させて頂けるようになって、少しずつ
周知して頂けるようになりました。
民族祭当日(10月19日(土)・20日(日))にはスナーダイ・クマエとして
ブースを出す機会も頂きます。
子どもたちの絵画展示、オリジナルグッズやカンボジア雑貨の販売も
行います。
施設の説明や子どもの日本語スピーチ発表もあります。
すでに県内外から「行きます」との声が多数、ありがたいですね。
明日の今頃にはすでにカンボジアを飛び立っている予定です。
もちろん日本どころか外国に行くのが初めての子どもたち2名は数日前から
そわそわしていますが、私もそわそわ(笑
なぜなら、カンボジアに移住してからこの13年、一度も秋に帰ったことが
ないからです。
今晩寝れるかどうか・・・(笑
食欲の秋を堪能・・・ではなくて(笑)、子どもたちにとって実りのある滞在に
なるようにしっかりサポートしてきたいと思います。
実家から車で30分ほど行ったところに「りら創造芸術高等専修学校」が
あります。
今年の夏、全国でいのちについての講演をされている同じく海南市在住
の岩崎順子さんとトークイベントでご一緒させて頂いた際に、この学校の
学生さんたちとつながりができました。
学校にもお邪魔して生徒さんたちに少しだけカンボジアや施設のことを
お話したのですが、そのときの訪問の目的は「打ち合わせ」。
なんの打ち合わせかと言うと、毎年この学校が会場となり開催されている
「世界民族祭IN真国」の特別企画に私と施設の子ども2名が参加させて
頂くためです。
民族祭についてはこちらから
学生さんたちが「りらプリン」と名付けた手作りプリンを販売し、子ども2名の
渡航費の一部を負担して下さると言うお話。
そして民族祭のプレイベントとして和歌山電鉄貴志川線車内で、子どもたちの
絵画展示をして下さると言うことなのです。
こんな感じで展示されています |
カンボジアに来てから地元和歌山の方々ともご縁はありましたが、海南市
の皆さんに施設のことを知って頂く機会は少なかったように思います。
2年前から和歌山市で絵画展を開催させて頂けるようになって、少しずつ
周知して頂けるようになりました。
民族祭当日(10月19日(土)・20日(日))にはスナーダイ・クマエとして
ブースを出す機会も頂きます。
子どもたちの絵画展示、オリジナルグッズやカンボジア雑貨の販売も
行います。
施設の説明や子どもの日本語スピーチ発表もあります。
すでに県内外から「行きます」との声が多数、ありがたいですね。
明日の今頃にはすでにカンボジアを飛び立っている予定です。
もちろん日本どころか外国に行くのが初めての子どもたち2名は数日前から
そわそわしていますが、私もそわそわ(笑
なぜなら、カンボジアに移住してからこの13年、一度も秋に帰ったことが
ないからです。
今晩寝れるかどうか・・・(笑
食欲の秋を堪能・・・ではなくて(笑)、子どもたちにとって実りのある滞在に
なるようにしっかりサポートしてきたいと思います。
2013/10/07
卒業生のはなし② ラーヴォの巻
「この中で一人だけでもあなたの気持ちを理解してくれる子どもが
いたら、それでよかったんやと思いなさいよ。多くを求めたらあかん。」
施設を訪れたときの母の言葉です。もう10年以上前でしょうか。
私にとってまさにその一人だと実感している卒業生、それがラーヴォです。
私が施設に来てすぐの頃、子どもたちは上記写真のような高床の小屋で
生活していました。
ラーヴォはまだ小学生、ものすごく華奢で、太ももに隙間が合って向こうが
見えてしまうくらいにガリガリでした。
日本語を学ぶ機会のあった当時、25名ほどいた子どもたちの中でもダントツ
に日本語習得能力の早かったラーヴォ。
私との日常会話はほぼ日本語でした。
ミーティングの時、私が語りかける内容にまっすぐな視線を向け、一生懸命
聞く子どもの一人でもありました。
高校を卒業し、就職してからも気軽に私の部屋に遊びに来て何時間も
おしゃべりをすることを私も彼も本当に楽しみにしています。
今はガイドや通訳、テレビのコーディネーターなどをしながらも、夜間の大学に
通っています。(日本の有名な方には私以上に会っています・笑)
就職し、何年かしてから資金をしっかり貯めて念願の大学生になったのです。
そんな彼から見ていると、卒業してすぐに仕事と大学を両立させようとする
最近の卒業生には「ちょっと早すぎるんじゃないの?」と言いたい気持ちも
あるようです。
それでも彼の存在があとを追う卒業生たちの目標となっていることは
間違いありません。
私がスタッフや子どもたちのことで悩んでいるとき、ラーヴォが心のよりどころに
なったことが何度あったでしょうか。
私の伝えたいこと、本当の気持ちを心底理解してくれるという実感。
落ち着いていて、特に感動的なことをいうわけではないけれど、タイミングを
逃さずに様子を見に来てくれたり、話を聞いてくれたり・・・
私もどちらかというと「わかりづらい」と言われるタイプなので、ラーヴォの
実はその人のことをちゃんと思っている気持ちがすごくよくわかります。
10月半ば、子どもたち2名が日本渡航を控えています。
カンボジア人は日本に行く際には保証人をつけてビザ申請しないと
いけません。カンボジアでその書類を受け付けてくれるのは首都
プノンペンにある日本大使館のみ。
私が忙しいことを知って、ラーヴォが書類提出に行ってくれました。
「僕プノンペンに行きますよ」
さらっというので、私は彼が他にも用があると思ってお願いしました。
到着して「もう提出しました」と報告をくれたので、「ほかになんの用があって
プノンペンに行ったの?」と聞いたら、「なーんにもありませんよ 笑」と。
子どもたちの書類提出のためだけにバスで6時間ほどかかるプノンペン
まで、私の代わりに行ってくれたのです。
すぐにとんぼ返りしてきたラーヴォ。
日本の感覚で言うと、関西から「東京行ってきますよ」くらいの感じです。
私はこんなふうにしてラーヴォに助けられ、甘えてきたことが何度あるか・・・。
彼は今、村の家族の中でも大黒柱となっています。
幼い時に亡くなった実のお母さんのための法事を取り仕切り、自宅の
改造費も彼が出していました。
さらに親戚の中で教育の機会のない子を学校に通わせていました。
その子が無事に卒業となったときにはじめて私にそのことを告げました。
「自分がしてもらったことを今は自分が他の人にできるようなった、そのことが
自分でも感慨深い。ここまできたんだなと言う気持ち。」と。
私の母が言った「ひとりでも・・・・」、これが私の胸によみがえったときでした。
私は「自分のしてもらったこと、教えてもらったことを別の人につないで
いくこと」を子どもたちにわかってほしい。
私が母からもらったものが子どもたちに、そして子どもたちがまた別の人たちに。
ラーヴォが帰ったあと、本当に胸が熱くなりました。
「おじゃましまーす」と言いながら笑顔で部屋に入ってくる彼の顔がなによりの
励ましになっているのです。
いたら、それでよかったんやと思いなさいよ。多くを求めたらあかん。」
施設を訪れたときの母の言葉です。もう10年以上前でしょうか。
私にとってまさにその一人だと実感している卒業生、それがラーヴォです。
幼き日のラーヴォ |
生活していました。
ラーヴォはまだ小学生、ものすごく華奢で、太ももに隙間が合って向こうが
見えてしまうくらいにガリガリでした。
日本語を学ぶ機会のあった当時、25名ほどいた子どもたちの中でもダントツ
に日本語習得能力の早かったラーヴォ。
私との日常会話はほぼ日本語でした。
ミーティングの時、私が語りかける内容にまっすぐな視線を向け、一生懸命
聞く子どもの一人でもありました。
高校を卒業し、就職してからも気軽に私の部屋に遊びに来て何時間も
おしゃべりをすることを私も彼も本当に楽しみにしています。
今はガイドや通訳、テレビのコーディネーターなどをしながらも、夜間の大学に
通っています。(日本の有名な方には私以上に会っています・笑)
就職し、何年かしてから資金をしっかり貯めて念願の大学生になったのです。
そんな彼から見ていると、卒業してすぐに仕事と大学を両立させようとする
最近の卒業生には「ちょっと早すぎるんじゃないの?」と言いたい気持ちも
あるようです。
それでも彼の存在があとを追う卒業生たちの目標となっていることは
間違いありません。
私がスタッフや子どもたちのことで悩んでいるとき、ラーヴォが心のよりどころに
なったことが何度あったでしょうか。
私の伝えたいこと、本当の気持ちを心底理解してくれるという実感。
落ち着いていて、特に感動的なことをいうわけではないけれど、タイミングを
逃さずに様子を見に来てくれたり、話を聞いてくれたり・・・
私もどちらかというと「わかりづらい」と言われるタイプなので、ラーヴォの
実はその人のことをちゃんと思っている気持ちがすごくよくわかります。
ラーヴォ(右)すっかり貫禄満点 |
カンボジア人は日本に行く際には保証人をつけてビザ申請しないと
いけません。カンボジアでその書類を受け付けてくれるのは首都
プノンペンにある日本大使館のみ。
私が忙しいことを知って、ラーヴォが書類提出に行ってくれました。
「僕プノンペンに行きますよ」
さらっというので、私は彼が他にも用があると思ってお願いしました。
到着して「もう提出しました」と報告をくれたので、「ほかになんの用があって
プノンペンに行ったの?」と聞いたら、「なーんにもありませんよ 笑」と。
子どもたちの書類提出のためだけにバスで6時間ほどかかるプノンペン
まで、私の代わりに行ってくれたのです。
すぐにとんぼ返りしてきたラーヴォ。
日本の感覚で言うと、関西から「東京行ってきますよ」くらいの感じです。
私はこんなふうにしてラーヴォに助けられ、甘えてきたことが何度あるか・・・。
彼は今、村の家族の中でも大黒柱となっています。
幼い時に亡くなった実のお母さんのための法事を取り仕切り、自宅の
改造費も彼が出していました。
さらに親戚の中で教育の機会のない子を学校に通わせていました。
その子が無事に卒業となったときにはじめて私にそのことを告げました。
「自分がしてもらったことを今は自分が他の人にできるようなった、そのことが
自分でも感慨深い。ここまできたんだなと言う気持ち。」と。
私の母が言った「ひとりでも・・・・」、これが私の胸によみがえったときでした。
私は「自分のしてもらったこと、教えてもらったことを別の人につないで
いくこと」を子どもたちにわかってほしい。
私が母からもらったものが子どもたちに、そして子どもたちがまた別の人たちに。
ラーヴォが帰ったあと、本当に胸が熱くなりました。
「おじゃましまーす」と言いながら笑顔で部屋に入ってくる彼の顔がなによりの
励ましになっているのです。
2013/10/05
卒業生のはなし① サヴィーの巻
2000年、プノンペンから半日以上かけて車でシェムリアップに
到着した私。
車から降りたとたんに20名以上の子どもたちに囲まれて、
「おかーさん!」
と、言われました(笑
末っ子、いとこの中でも最年少、そんな環境で育った私はいつも
みんなのあとを追いかけてばかりで、小さい子と遊んであげると言う
経験があまりなく、正直なところ子どもは苦手なほうでした。
どうしよう・・・という思いの方が強かったかもしれません。
そんな私が13年も子どもたちと共に暮らし、やめることなくここまで
これたのは本当に不思議です(笑
ちょっとお休みしていましたが、また書いてみようと思います。
今度のシリーズは卒業生のことにします。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
今は旅行会社で事務の仕事や、農村にお客様を案内するという
仕事をしてるサヴィー。
社会人になって3年目です。
施設にいた時はおとなしい印象。
入って来た時は弟も一緒でしたが、弟は結婚したお姉さん宅に
引き取られて行きました。
卒業になってもなかなかやりたいことが見つからず、他の子たちが
就職を決める中でずっとうちに残っていました。
公私共にお世話になっている写真家・足立君江さんのご紹介で
カンボジアティータイムというお菓子の製造販売会社に就職させて
もらいましたが、翌年退職しました。
その際には社長さんからお電話を頂きました。
「私たちの会社でのことは今後の経験にしてもらえればいいのです。
彼は自分が旅行会社で働きたいときちんと話してくれました。
これからの活躍をお祈りしています。」
器の大きな方だと思いました。
私も小規模ながら人を雇用させてもらう立場にいますが、辞めていく
スタッフにこんな言葉をかけられるかどうか・・・。
そして今、サヴィーはピースインツアーアンコールと言う旅行会社で
社員として働かせてもらっています。
仕事も順調、会うときの表情は明るく、爛漫で裏のない性格には
いつもほっとさせられています。
9月の終わりか10月の始まりか忘れましたが、サヴィーがフェイス
ブックにこんな投稿をしていました。
(うろ覚えですが・・・)
バイバイ9月
いつも応援してくれているみなさん、ありがとう。
おはよう10月
これからもがんばります。
上記の写真つきで。
私が「また遊びに来てね、日本のお茶を一緒に飲みましょう。」とコメント
したら・・・
おかあさん、いつもサポートしてくださってありがとう。
いつまでもおかあさんの優しさ忘れません。
おかあさんのおかげでこの日がある。
おかあさんがいなかったら私は将来の夢を見つけない。
ありがとう、ありがとう。
私はおかあさんのためにできること1つもない。
ありがとうという言葉しか言えない。
ありがとう。これからもよろしくお願いします。
こんなコメントを返してくれました。(日本語で、ですよ)
できることは1つもない・・・なんて・・・全然そんなことない!
こんなその場で倒れてしまいそうなほどうれしい言葉をくれているん
ですもの。
私がここで前に進める原動力の1つ。
それは卒業生たちの存在です。
いつも自信がなさそうで、困ったような顔をしていたサヴィー。
人の前に出て目立とうとすることはなく、陰でコツコツと努力するタイプ。
そんなサヴィーが今では自分の気持ちを自分の言葉ではっきりと
表現できるようなったことがわかって、ほんまにほんまにうれしかったです。
一緒に暮らしていた時は厳しいことをいうときのほうが多かったと思います。
でも今になってそれが優しさだと気づいてくれたことがなによりの
喜びです。
小さい時に知らない人だらけの施設に連れてこられてどれだけ心細かった
でしょうか。
私が彼にとって支えになれていたのだとしたら、そんなに幸せなことは
ありません。
到着した私。
車から降りたとたんに20名以上の子どもたちに囲まれて、
「おかーさん!」
と、言われました(笑
末っ子、いとこの中でも最年少、そんな環境で育った私はいつも
みんなのあとを追いかけてばかりで、小さい子と遊んであげると言う
経験があまりなく、正直なところ子どもは苦手なほうでした。
どうしよう・・・という思いの方が強かったかもしれません。
そんな私が13年も子どもたちと共に暮らし、やめることなくここまで
これたのは本当に不思議です(笑
ちょっとお休みしていましたが、また書いてみようと思います。
今度のシリーズは卒業生のことにします。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
今は旅行会社で事務の仕事や、農村にお客様を案内するという
仕事をしてるサヴィー。
社会人になって3年目です。
施設にいた時はおとなしい印象。
入って来た時は弟も一緒でしたが、弟は結婚したお姉さん宅に
引き取られて行きました。
卒業になってもなかなかやりたいことが見つからず、他の子たちが
就職を決める中でずっとうちに残っていました。
公私共にお世話になっている写真家・足立君江さんのご紹介で
カンボジアティータイムというお菓子の製造販売会社に就職させて
もらいましたが、翌年退職しました。
その際には社長さんからお電話を頂きました。
「私たちの会社でのことは今後の経験にしてもらえればいいのです。
彼は自分が旅行会社で働きたいときちんと話してくれました。
これからの活躍をお祈りしています。」
器の大きな方だと思いました。
私も小規模ながら人を雇用させてもらう立場にいますが、辞めていく
スタッフにこんな言葉をかけられるかどうか・・・。
そして今、サヴィーはピースインツアーアンコールと言う旅行会社で
社員として働かせてもらっています。
仕事も順調、会うときの表情は明るく、爛漫で裏のない性格には
いつもほっとさせられています。
9月の終わりか10月の始まりか忘れましたが、サヴィーがフェイス
ブックにこんな投稿をしていました。
(うろ覚えですが・・・)
バイバイ9月
いつも応援してくれているみなさん、ありがとう。
おはよう10月
これからもがんばります。
サヴィーの許可を得て掲載 笑 |
私が「また遊びに来てね、日本のお茶を一緒に飲みましょう。」とコメント
したら・・・
おかあさん、いつもサポートしてくださってありがとう。
いつまでもおかあさんの優しさ忘れません。
おかあさんのおかげでこの日がある。
おかあさんがいなかったら私は将来の夢を見つけない。
ありがとう、ありがとう。
私はおかあさんのためにできること1つもない。
ありがとうという言葉しか言えない。
ありがとう。これからもよろしくお願いします。
こんなコメントを返してくれました。(日本語で、ですよ)
できることは1つもない・・・なんて・・・全然そんなことない!
こんなその場で倒れてしまいそうなほどうれしい言葉をくれているん
ですもの。
私がここで前に進める原動力の1つ。
それは卒業生たちの存在です。
いつも自信がなさそうで、困ったような顔をしていたサヴィー。
人の前に出て目立とうとすることはなく、陰でコツコツと努力するタイプ。
そんなサヴィーが今では自分の気持ちを自分の言葉ではっきりと
表現できるようなったことがわかって、ほんまにほんまにうれしかったです。
一緒に暮らしていた時は厳しいことをいうときのほうが多かったと思います。
でも今になってそれが優しさだと気づいてくれたことがなによりの
喜びです。
小さい時に知らない人だらけの施設に連れてこられてどれだけ心細かった
でしょうか。
私が彼にとって支えになれていたのだとしたら、そんなに幸せなことは
ありません。
2013/09/25
関わり続けてもらうこと
少し前に「じぶんのやくわり」と題して、カンボジアに移り住んだ頃からの
話を書かせてもらいました。
施設にも来たことがあり、夏の絵画展を何年も手伝ってくれているAちゃん
からこんなメッセージをもらいました。
施設のブログにあった子どもたちが自主的に日本語教室を開いて教え
合いをしている場面、博子さんの最近のブログで昔の様子を知ったけれど
当時からは想像もつかないことですね。
施設のブログはここから
素直にうれしかったんです、この言葉。
孤児院という活動は期間を限定したプロジェクトとしてはやりづらく、
子どもたち一人一人の成長度合いも違えば、みんなのバックグラウンドも
様々、そして年齢や性別によって対応の仕方も変わってきます。
そんな中で徐々に「スナーダイクマエのかたち」ができてきたのだなと
思います。
スタッフや子どもたちだけではなく、施設創立の最初から今に至るまで、
私がここに来てからこの今日の日まで、中断することなく支援を継続して
下さっている方もいらっしゃいます。
絵画展のお手伝いを毎年欠かさずしてくれる若い子たちもいます。
在住の、そして日本にいる友人たちには何度も支えてきてもらいました。
シェムリアップに来てから13年(プノンペン時代を入れると15年)、
ずっとずっと関わり続けてくれる人たちがいたから、子どもたちもこんな
ふうに変わることができたのだと思います。
先頭に立つ私が精神的に参ったり、核となる部分がぶれたりすることで
活動が立ち止まってしまう状態になりかねません。
心に余裕がないとスタッフにもうまく指導ができないし、子どもたちに
笑顔で接することもできなければ、細かい心の動きに気がつくこともでき
ないのです。
いつも表舞台に出してもらうのは自分ですが、そんな私を陰で支えてくれる
たくさんの方がいるから今があると思います。
そういう方々にいつまでも関わり続けてもらえる自分でいたいです。
子どもたちを育てているのは私一人ではなく、皆さんと共になんですよね。
しっかり者に思われがちですが、実際はそうでもない頼りない私なので
皆さんがいないとなにもできないのです。
話を書かせてもらいました。
施設にも来たことがあり、夏の絵画展を何年も手伝ってくれているAちゃん
からこんなメッセージをもらいました。
施設のブログにあった子どもたちが自主的に日本語教室を開いて教え
合いをしている場面、博子さんの最近のブログで昔の様子を知ったけれど
当時からは想像もつかないことですね。
施設のブログはここから
素直にうれしかったんです、この言葉。
孤児院という活動は期間を限定したプロジェクトとしてはやりづらく、
子どもたち一人一人の成長度合いも違えば、みんなのバックグラウンドも
様々、そして年齢や性別によって対応の仕方も変わってきます。
そんな中で徐々に「スナーダイクマエのかたち」ができてきたのだなと
思います。
スタッフや子どもたちだけではなく、施設創立の最初から今に至るまで、
私がここに来てからこの今日の日まで、中断することなく支援を継続して
下さっている方もいらっしゃいます。
絵画展のお手伝いを毎年欠かさずしてくれる若い子たちもいます。
在住の、そして日本にいる友人たちには何度も支えてきてもらいました。
シェムリアップに来てから13年(プノンペン時代を入れると15年)、
ずっとずっと関わり続けてくれる人たちがいたから、子どもたちもこんな
ふうに変わることができたのだと思います。
先頭に立つ私が精神的に参ったり、核となる部分がぶれたりすることで
活動が立ち止まってしまう状態になりかねません。
心に余裕がないとスタッフにもうまく指導ができないし、子どもたちに
笑顔で接することもできなければ、細かい心の動きに気がつくこともでき
ないのです。
いつも表舞台に出してもらうのは自分ですが、そんな私を陰で支えてくれる
たくさんの方がいるから今があると思います。
そういう方々にいつまでも関わり続けてもらえる自分でいたいです。
子どもたちを育てているのは私一人ではなく、皆さんと共になんですよね。
しっかり者に思われがちですが、実際はそうでもない頼りない私なので
皆さんがいないとなにもできないのです。
ラベル:
2013,
わすれないためのこと,
思うこと
2013/09/18
写真とかも載せてみますか
2013/09/12
えんえん
このブログのプロフィール写真、実はもうかなり前に撮影したものです。
撮影してくれたのは元AERA所属の遠藤俊介君。
遠藤君は学生時代から数え切れないほどカンボジアを訪れて、長い
ときは半年ほど滞在。
ぼろぼろのスーパーカブにまたがり、カメラを携えて田舎の遺跡を
めぐっていました。
そんな中で出会う村人たちとの触れ合いをとても大事にしていました。
そんな彼から国際電話があり「ねーさん、白血病だった・・・」と告げられた
ときは絶句しました。
私の息子は電話を切った後「どんぐりぼうずは絶対に大丈夫やからね」と
泣きながら言いました。
息子は彼をどんぐりぼうずと呼んでいて、カンボジアに来た時はよく
相手をしてもらっていたのです。
2007年7月、入院中の彼を見舞うために新幹線で移動中に
訃報が・・・。
絶対に治る、絶対にもう一回カンボジアに行く、ねーさんに会いに行く、
と約束していた彼にもう会えないことがしばらくは信じらませんでした。
彼が亡くなる少し前、私は最愛の母を急性心不全でなくしていました。
続いて友人までも。
もっと生きてすることがたくさんあるはずの人たちがこの世を去って
いく、どうしてこんなことに、どうしてこの人たちじゃないといけないのか。
考えても考えてもいまだに答えは見つからないままです。
カンボジアが大好きだった彼をカンボジアのお寺に祀ってもらうことを
お母様から提案され、微力ながらお手伝いをさせてもらったのですが、
今日、彼の母校である東京工芸大学の現役学生の方が施設を訪れて
くれました。
遠藤君の後輩にあたるTくんの手には、遠藤君が亡くなるほんの少し
前にできあがった彼の写真集が。
施設の子どもたちに見せたいということで持ってきてくれたのです。
Tくんは施設の場所がわからず、市場の近くにある雑貨屋さんで日本語の
できるカンボジア人に声をかけて場所を訊いたそうです。
それがなんとうちの卒業生のサイハー。
知ってるもなにも自分が住んでいた場所(笑
バイクに乗せて連れて来てもらっていました。
少しお話をして遠藤君のいるワットアトビアという寺院に移動しようと
思ったその時、別の卒業生サヴィが施設を訪ねてきました。
一緒に行こうということになり3人でお寺に。
サヴィの案内で無事にお坊さんと話もでき、お参りを済ませることが
できました。
ワットアトビアは遺跡があり、そのすぐ横に寺院があります。
遺跡が大好きだった遠藤君、ここなら満足してくれるかなと、そんな思いで
このお寺を選びました。
卒業生がTくんを孤児院に連れて来てくれて、また別の卒業生がお寺まで
案内してくれる・・・。
これはきっと遠藤君のいたずらやね、とT君と笑いました。
えんえん(と私たちは呼んでいました)、ご無沙汰してしまってごめんね。
また会いに来るよ。
生きたくても生きることができなかった人たちが身近にいる。
そう思うと命がある限り精一杯生きようと思うのです。
後悔のない人生を。
立ち止まりそうになるときに背中をそっと押してくれる、そんな人たちなのです。
撮影してくれたのは元AERA所属の遠藤俊介君。
遠藤君は学生時代から数え切れないほどカンボジアを訪れて、長い
ときは半年ほど滞在。
ぼろぼろのスーパーカブにまたがり、カメラを携えて田舎の遺跡を
めぐっていました。
そんな中で出会う村人たちとの触れ合いをとても大事にしていました。
そんな彼から国際電話があり「ねーさん、白血病だった・・・」と告げられた
ときは絶句しました。
私の息子は電話を切った後「どんぐりぼうずは絶対に大丈夫やからね」と
泣きながら言いました。
息子は彼をどんぐりぼうずと呼んでいて、カンボジアに来た時はよく
相手をしてもらっていたのです。
2007年7月、入院中の彼を見舞うために新幹線で移動中に
訃報が・・・。
絶対に治る、絶対にもう一回カンボジアに行く、ねーさんに会いに行く、
と約束していた彼にもう会えないことがしばらくは信じらませんでした。
彼が亡くなる少し前、私は最愛の母を急性心不全でなくしていました。
続いて友人までも。
もっと生きてすることがたくさんあるはずの人たちがこの世を去って
いく、どうしてこんなことに、どうしてこの人たちじゃないといけないのか。
考えても考えてもいまだに答えは見つからないままです。
カンボジアが大好きだった彼をカンボジアのお寺に祀ってもらうことを
お母様から提案され、微力ながらお手伝いをさせてもらったのですが、
今日、彼の母校である東京工芸大学の現役学生の方が施設を訪れて
くれました。
遠藤君の後輩にあたるTくんの手には、遠藤君が亡くなるほんの少し
前にできあがった彼の写真集が。
この子の瞳の中に遠藤君が写っています 「カンボジアの子どもたち」 遠藤俊介 連合出版 |
Tくんは施設の場所がわからず、市場の近くにある雑貨屋さんで日本語の
できるカンボジア人に声をかけて場所を訊いたそうです。
それがなんとうちの卒業生のサイハー。
知ってるもなにも自分が住んでいた場所(笑
バイクに乗せて連れて来てもらっていました。
少しお話をして遠藤君のいるワットアトビアという寺院に移動しようと
思ったその時、別の卒業生サヴィが施設を訪ねてきました。
一緒に行こうということになり3人でお寺に。
サヴィの案内で無事にお坊さんと話もでき、お参りを済ませることが
できました。
ワットアトビアは遺跡があり、そのすぐ横に寺院があります。
遺跡が大好きだった遠藤君、ここなら満足してくれるかなと、そんな思いで
このお寺を選びました。
この遺跡のすぐ外が寺院 |
卒業生がTくんを孤児院に連れて来てくれて、また別の卒業生がお寺まで
案内してくれる・・・。
これはきっと遠藤君のいたずらやね、とT君と笑いました。
ふと車の外を見たときの景色 えんえんと一緒に見ている気持ちで・・・ |
えんえん(と私たちは呼んでいました)、ご無沙汰してしまってごめんね。
また会いに来るよ。
生きたくても生きることができなかった人たちが身近にいる。
そう思うと命がある限り精一杯生きようと思うのです。
後悔のない人生を。
立ち止まりそうになるときに背中をそっと押してくれる、そんな人たちなのです。
2013/08/20
私たち
日本での仕事を終え、お盆に母のお墓参りなどもして帰ってきました
カンボジアに。
帰ってきて今日で5日目。
朝からガッツリ家事も仕事もしていたのですが、夜になって卒業生の
サヴィーからメッセージが。
元気ですか?と聞かれたので、
ちょっと疲れてるよ
と答えたら・・・
おかあさんは私たちのために日本でがんばりました。
ゆっくり休んで下さい。
またパナーくんやサイハーくんをさそって遊びに行きます。
という返信。
絵画展での収益はすべて施設の運営費になることを彼は知っています。
でもサヴィーはすでに卒業した身。
なのに我がことのように「私たちのために」と。
卒業したら関係ない場所、ではないのですね。うれしいです。
パナーもサイハーも卒業生、そういえば昨日はスレイニーも来てたなぁ・・・(笑
ラーヴォもまた来ますって言ってたし。
また明日もがんばろ。
カンボジアに。
帰ってきて今日で5日目。
朝からガッツリ家事も仕事もしていたのですが、夜になって卒業生の
サヴィーからメッセージが。
元気ですか?と聞かれたので、
ちょっと疲れてるよ
と答えたら・・・
おかあさんは私たちのために日本でがんばりました。
ゆっくり休んで下さい。
またパナーくんやサイハーくんをさそって遊びに行きます。
という返信。
絵画展での収益はすべて施設の運営費になることを彼は知っています。
でもサヴィーはすでに卒業した身。
なのに我がことのように「私たちのために」と。
卒業したら関係ない場所、ではないのですね。うれしいです。
パナーもサイハーも卒業生、そういえば昨日はスレイニーも来てたなぁ・・・(笑
ラーヴォもまた来ますって言ってたし。
また明日もがんばろ。
2013/08/10
思うこと多く・・・
うっかり夜更かし。
6月末から始まった、毎夏恒例イベント「スナーダイ・クマエ絵画展」が
8月4日で終わり、なんとなく抜け殻です。
イベントが終わってもすることは山積みなので、抜け殻になっている
場合ではないのですが(笑
絵画展も東京、神戸は5回を数え、地元和歌山は3回、そして新たに
名古屋も加わった今年。
思うことが多すぎてなかなかまとまらず。
NGOの活動が活発な国の1つだと言われるカンボジアで、いわゆる
ボランティアと呼ばれることに関わり始めて13年・・・。
自分自身が立ち上げた施設ではないのでいい意味で、「執着がない」
というところが楽なのだなと最近はつくづく思います。
食欲以外の欲はほぼ自覚したことがない私(笑
自分の大事な人たちとは真剣に向き合いたい、関心を持って生きたいと
いう欲はあるかもしれませんが、それと相手を縛り付けることは別の話。
自分からの投げかけに反応がない場合は、表面的にはあっさり対応する
ことができます。
反応があるかなと思って何度かは挑戦します。
割と全力で。
結局は自分が納得するところまで尽くしたかどうかなのかもしれません。
そしてたとえそのときに思うような反応がなくても、いつか気持ちが通じる
日が来るかもしれないという淡い希望は心のどこかに残しています。
カンボジアの子どもたちという漠然とした存在ではなく、名前や個性、人格を
認識した一人一人の人間としてそれぞれの子どもたちと出会い、時間を
共にしている私にとって、普通の日々の積み重ねだけが大事にしたいと
思うことなのでしょう。
執着せず、決めつけず、自分の希望はふんわりと思い描きながら、ぼちぼち
前に進むのが自分の生き方なのかなと、30代最後の歳を迎えてなんとなく
そんなことを思ってみたり。
私がそんなふうに思えるのはここまで一緒に歩んで来てくれた支援者の
皆さんやその他関係者の皆さんがいるから。
一人でやってきたという思い込みは執着につながるのかもしれません。
そして執着されて手を離してもらえない子どもたちはどうなるのか?
ずっと私の指示がないと動けないスタッフは?
カンボジアの人の手によるものという名前の施設運営は?
スナーダイクマエという団体、またはそこにいるスタッフや子どもたちに
誤った執着心を持たないことを将来よい方向に進む基礎にしていこう。
深夜に書く文章は酔っ払いの手紙みたいなもんだと以前友人に言われた
ことがあるけれど、今日もそんな感じかな(笑
この夏のいろいろを消化するまで、少し時間がかかりそうです。
というわけで、まずは寝ます(笑
6月末から始まった、毎夏恒例イベント「スナーダイ・クマエ絵画展」が
8月4日で終わり、なんとなく抜け殻です。
イベントが終わってもすることは山積みなので、抜け殻になっている
場合ではないのですが(笑
絵画展も東京、神戸は5回を数え、地元和歌山は3回、そして新たに
名古屋も加わった今年。
思うことが多すぎてなかなかまとまらず。
NGOの活動が活発な国の1つだと言われるカンボジアで、いわゆる
ボランティアと呼ばれることに関わり始めて13年・・・。
自分自身が立ち上げた施設ではないのでいい意味で、「執着がない」
というところが楽なのだなと最近はつくづく思います。
食欲以外の欲はほぼ自覚したことがない私(笑
自分の大事な人たちとは真剣に向き合いたい、関心を持って生きたいと
いう欲はあるかもしれませんが、それと相手を縛り付けることは別の話。
自分からの投げかけに反応がない場合は、表面的にはあっさり対応する
ことができます。
反応があるかなと思って何度かは挑戦します。
割と全力で。
結局は自分が納得するところまで尽くしたかどうかなのかもしれません。
そしてたとえそのときに思うような反応がなくても、いつか気持ちが通じる
日が来るかもしれないという淡い希望は心のどこかに残しています。
カンボジアの子どもたちという漠然とした存在ではなく、名前や個性、人格を
認識した一人一人の人間としてそれぞれの子どもたちと出会い、時間を
共にしている私にとって、普通の日々の積み重ねだけが大事にしたいと
思うことなのでしょう。
執着せず、決めつけず、自分の希望はふんわりと思い描きながら、ぼちぼち
前に進むのが自分の生き方なのかなと、30代最後の歳を迎えてなんとなく
そんなことを思ってみたり。
私がそんなふうに思えるのはここまで一緒に歩んで来てくれた支援者の
皆さんやその他関係者の皆さんがいるから。
一人でやってきたという思い込みは執着につながるのかもしれません。
そして執着されて手を離してもらえない子どもたちはどうなるのか?
ずっと私の指示がないと動けないスタッフは?
カンボジアの人の手によるものという名前の施設運営は?
スナーダイクマエという団体、またはそこにいるスタッフや子どもたちに
誤った執着心を持たないことを将来よい方向に進む基礎にしていこう。
深夜に書く文章は酔っ払いの手紙みたいなもんだと以前友人に言われた
ことがあるけれど、今日もそんな感じかな(笑
この夏のいろいろを消化するまで、少し時間がかかりそうです。
というわけで、まずは寝ます(笑
2013/07/31
NHK和歌山放送局「あすのWA!~きらり☆紀州人」出演
いつも悪い癖です、気付けばブログの更新を1カ月以上も
怠っていました・・・。
今回も告知記事になります。
6月末に開催された子どもたちの絵画展@和歌山にNHK和歌山
放送局のキャスター山崎ひな子さんが個人的にお越しくださいました。
そこからタイトルにある番組への出演がトントンと決まり・・・。
自分から興味を持って下さるというのがうれしいですよね。
思い返せばいつもそうですね。
この夏はテレビやラジオ、新聞などでいろいろと取り上げて頂き
ましたが、周りの方々のお力添えばかり。
おかげさまであとは神戸の絵画展だけになりましたが、今のところ
過去最高の来場者数となっています。
(神戸も新聞で告知掲載していただけるそうで、明日取材を控えています)
今回の番組は絵画展の告知もして頂きましたが、施設でどんなことをして
いるのか、子どもたちの様子や私の施設への取り組みと思いなどを山崎
さんが事前の取材と打ち合わせなどからとても丁寧に考えて下さっていました。
いつも通り緊張緊張の私でしたが、現場のスタッフの女性には「緊張してる
ようには思えない」とおっしゃっていただきほっと一安心(笑
山崎さんからも「こんなにうまく話がまとまるときはあまりないんですよ」と。
自己評価が低い人間なので、どうしても「ほんまにあれでよかったんか?」と
思うことが多いのですが、ひとまず収録は終了しました。
和歌山の方にしかご覧いただけないのですが番組の詳細です。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
NHK和歌山
あすのWA! 8月2日(金)18:10-19:00
番組内の「きらり☆紀州人」というコーナーで10分ほど紹介して頂きます!
番組詳細はコチラ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
収録が終わりほっとして、マネージャー役の息子と地元和歌山ラーメンを。
明日から神戸移動です。
今年の夏の絵画展最終会場となりました。
8月2・3・4日(金土日) 甲南大学内甲友会館にて 10:00-17:00
終日会場におります!
怠っていました・・・。
今回も告知記事になります。
6月末に開催された子どもたちの絵画展@和歌山にNHK和歌山
放送局のキャスター山崎ひな子さんが個人的にお越しくださいました。
そこからタイトルにある番組への出演がトントンと決まり・・・。
自分から興味を持って下さるというのがうれしいですよね。
思い返せばいつもそうですね。
この夏はテレビやラジオ、新聞などでいろいろと取り上げて頂き
ましたが、周りの方々のお力添えばかり。
おかげさまであとは神戸の絵画展だけになりましたが、今のところ
過去最高の来場者数となっています。
(神戸も新聞で告知掲載していただけるそうで、明日取材を控えています)
今回の番組は絵画展の告知もして頂きましたが、施設でどんなことをして
いるのか、子どもたちの様子や私の施設への取り組みと思いなどを山崎
さんが事前の取材と打ち合わせなどからとても丁寧に考えて下さっていました。
いつも通り緊張緊張の私でしたが、現場のスタッフの女性には「緊張してる
ようには思えない」とおっしゃっていただきほっと一安心(笑
山崎さんからも「こんなにうまく話がまとまるときはあまりないんですよ」と。
スタジオにて |
自己評価が低い人間なので、どうしても「ほんまにあれでよかったんか?」と
思うことが多いのですが、ひとまず収録は終了しました。
キャスターの山崎ひな子さんと 山田優さんに似てると思ったけどご本人には言えずじまい |
和歌山の方にしかご覧いただけないのですが番組の詳細です。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
NHK和歌山
あすのWA! 8月2日(金)18:10-19:00
番組内の「きらり☆紀州人」というコーナーで10分ほど紹介して頂きます!
番組詳細はコチラ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
収録が終わりほっとして、マネージャー役の息子と地元和歌山ラーメンを。
やはりこの味が落ち着きます |
明日から神戸移動です。
今年の夏の絵画展最終会場となりました。
8月2・3・4日(金土日) 甲南大学内甲友会館にて 10:00-17:00
終日会場におります!
2013/06/16
トークイベント「こども いのち そして きずな」
先日の記事に少し書きましたが、来月和歌山でトークイベントに
参加させて頂くことになりました。
私の故郷、海南市に在住されている岩崎順子さんとご一緒させて頂く予定です。
岩崎さんの息子さんが地球の歩き方ボランティアツアーでスナーダイ・クマエ
孤児院を訪問して下さったことで同郷であることを知りました。
そしてお母様の順子さんに私の母親と共通の知人がいたということも
あとでわかりました。
岩崎さんについての詳細は下記サイトをご覧ください。
大きないのちのめぐりの中で・・・
いくつかの不思議なご縁がつながった岩崎順子さんとトークイベントに出演させて
頂くことになるなんて1年前はまったく思いもよりませんでした。
全国各地で講演をされている岩崎さんに比べ、私はまだまだ経験も浅いので
足をひっぱることのないようにしなければと思っています。
カンボジアで子どもの教育に関わりながら、どこかでいつも日本のことが気になって
います。
そんな経験から伝えたいことをお話しできたらと思います。
会場では絵画展に出品予定の作品やグッズなども展示させて頂けることになって
います。
開催にあたり、わたぼうしくらぶの森下和紀様に大変お世話になっております。
ありがとうございます。
参加させて頂くことになりました。
私の故郷、海南市に在住されている岩崎順子さんとご一緒させて頂く予定です。
岩崎さんの息子さんが地球の歩き方ボランティアツアーでスナーダイ・クマエ
孤児院を訪問して下さったことで同郷であることを知りました。
そしてお母様の順子さんに私の母親と共通の知人がいたということも
あとでわかりました。
岩崎さんについての詳細は下記サイトをご覧ください。
大きないのちのめぐりの中で・・・
いくつかの不思議なご縁がつながった岩崎順子さんとトークイベントに出演させて
頂くことになるなんて1年前はまったく思いもよりませんでした。
全国各地で講演をされている岩崎さんに比べ、私はまだまだ経験も浅いので
足をひっぱることのないようにしなければと思っています。
カンボジアで子どもの教育に関わりながら、どこかでいつも日本のことが気になって
います。
そんな経験から伝えたいことをお話しできたらと思います。
会場では絵画展に出品予定の作品やグッズなども展示させて頂けることになって
います。
開催にあたり、わたぼうしくらぶの森下和紀様に大変お世話になっております。
ありがとうございます。
2013/06/09
つないでいくということ
昨日卒業生のラーヴォが遊びに来てくれました。
彼は真面目に仕事を続けて、自費で夜間大学にも通っています。
そして私が帰国する前なども含めて、要所要所で会いにきてくれます。
3時間ほど話し込んだのですが(これはいつものこと・笑)、その中から
2つ、今日は書いておきたいと思います。
たぶん長い文章になりますが、お付き合いよろしくお願いします。
ラーヴォがまだ施設にいる頃、クラスメイトに裕福な男の子がいたそうです。
いまでもカンボジアでは「孤児院」のイメージは、とても貧しく、子どもたちが
食べ物を奪い合うような環境を思い浮かべる人が多いそうです。
その男の子からラーヴォがこんなことを訊かれました。
「孤児院に住んでいるのにどうして君はいつも楽しそうなの?」
そのときのラーヴォは自分が努めてそうしてるわけではなかったので、
なんと答えていいのかわからなかったそうです。
そして時を経て、大学で・・・
偶然にも再会したらしいのです、その男の子と。
そして彼は今のラーヴォの仕事、収入、色んなことを質問したあとで訊いて
きました。
「僕よりも収入が少ないのに、どうして君はそんな満足そうに生活してるの?」
ラーヴォによると彼は、車を何台も所有しレンタルしたり、その他のビジネスで
かなりの収入があるのに、いつも何かに悩んでいて楽しそうに見えないとの
ことでした。
そしてラーヴォはふと思ったそうです。
この質問、前に言われたのと同じだな・・・、と。
昔はっきりと答えられなかったけれど、今回は自分でもなぜだろうと考えて
みて見つけた答えは、
今の自分の環境を満足に思うかどうかは自分次第だ、ということだったそうです。
人から見てどうか、ということではなく、自分が努力し、決定し、そして健康で
それなりに楽しく過ごしてる今を不満に思うことは全然ない、と。
自分をどうとらえるかは自分の心次第なんだと思う、と言っていました。
その話を聞いて、私は
「やっぱりこの子は私に似てるな」
と思ったんです。
カンボジアに嫁ぎ、なりゆきで施設を手伝い、シングルマザーになった今も
施設運営に関わっている私を、ある人は「気の毒に」と思うかもしれません。
「でもお母さんは幸せなんだよね、自分がそう思ってるからそうなんだよ」と
笑って言うと、ラーヴォも深くうなづいていました。
その後話は変わり、あることを知りました。
2年ほど前からラーヴォはいとこの子どもが教員養成校に通えるように支援を
していたそうです。
月々のサポートを賭け事に使われてしまったこともあると笑って話していました。
その子が無事に卒業できるようになったんだ、と。
「自分が少し手助けするだけで彼の人生は違うものになった、僕はそれができて
本当によかったと思っている」と話していました。
その話を聞いて、私はこんな話をしました。
昔おばあちゃん(私の母)がカンボジアに来てくれたとき、まだ当時の施設は
今のように子どもたちがまとまっていたわけではなく、お母さんの悩みは尽きない
毎日だったのよ。
そのときにおばあちゃんが私にくれた言葉。
「この中で一人でも博子の気持ちが伝わる子がいればそれでいいのよ、全員に
わかってもらおうとしなくてもいい。できることを尽くした結果なんだから。」
ラーヴォの話を聞きながらおばあちゃんのこの言葉を思い出したよ。
この話は以前ラーヴォにしたことがあるのですが、もう一度話しながら
おばあちゃんからおかあさん、そしてラーヴォにつないでいくことができてるん
だね、今度はラーヴォのつないだ人がまた誰かにつないでくれたらいいね。
と言いながら、自然に涙が出てきました。
いつもは私の涙を見ていないふりをすることが多いラーヴォが今回まっすぐ
私の顔を見てくれていたのが印象的でした。
ようやく母がくれた言葉に実感が持てるときがきたのかもしれないですね。
私の仕事は伝え、つないでいくこと。
好きなことができて、周りの人に恵まれている今の環境に感謝し、これからも
前に進んでいきたいですね。
ゆっくりでも。
彼は真面目に仕事を続けて、自費で夜間大学にも通っています。
そして私が帰国する前なども含めて、要所要所で会いにきてくれます。
3時間ほど話し込んだのですが(これはいつものこと・笑)、その中から
2つ、今日は書いておきたいと思います。
たぶん長い文章になりますが、お付き合いよろしくお願いします。
ラーヴォがまだ施設にいる頃、クラスメイトに裕福な男の子がいたそうです。
いまでもカンボジアでは「孤児院」のイメージは、とても貧しく、子どもたちが
食べ物を奪い合うような環境を思い浮かべる人が多いそうです。
その男の子からラーヴォがこんなことを訊かれました。
「孤児院に住んでいるのにどうして君はいつも楽しそうなの?」
そのときのラーヴォは自分が努めてそうしてるわけではなかったので、
なんと答えていいのかわからなかったそうです。
そして時を経て、大学で・・・
偶然にも再会したらしいのです、その男の子と。
そして彼は今のラーヴォの仕事、収入、色んなことを質問したあとで訊いて
きました。
「僕よりも収入が少ないのに、どうして君はそんな満足そうに生活してるの?」
ラーヴォによると彼は、車を何台も所有しレンタルしたり、その他のビジネスで
かなりの収入があるのに、いつも何かに悩んでいて楽しそうに見えないとの
ことでした。
そしてラーヴォはふと思ったそうです。
この質問、前に言われたのと同じだな・・・、と。
昔はっきりと答えられなかったけれど、今回は自分でもなぜだろうと考えて
みて見つけた答えは、
今の自分の環境を満足に思うかどうかは自分次第だ、ということだったそうです。
人から見てどうか、ということではなく、自分が努力し、決定し、そして健康で
それなりに楽しく過ごしてる今を不満に思うことは全然ない、と。
自分をどうとらえるかは自分の心次第なんだと思う、と言っていました。
その話を聞いて、私は
「やっぱりこの子は私に似てるな」
と思ったんです。
カンボジアに嫁ぎ、なりゆきで施設を手伝い、シングルマザーになった今も
施設運営に関わっている私を、ある人は「気の毒に」と思うかもしれません。
「でもお母さんは幸せなんだよね、自分がそう思ってるからそうなんだよ」と
笑って言うと、ラーヴォも深くうなづいていました。
その後話は変わり、あることを知りました。
2年ほど前からラーヴォはいとこの子どもが教員養成校に通えるように支援を
していたそうです。
月々のサポートを賭け事に使われてしまったこともあると笑って話していました。
その子が無事に卒業できるようになったんだ、と。
「自分が少し手助けするだけで彼の人生は違うものになった、僕はそれができて
本当によかったと思っている」と話していました。
その話を聞いて、私はこんな話をしました。
昔おばあちゃん(私の母)がカンボジアに来てくれたとき、まだ当時の施設は
今のように子どもたちがまとまっていたわけではなく、お母さんの悩みは尽きない
毎日だったのよ。
そのときにおばあちゃんが私にくれた言葉。
「この中で一人でも博子の気持ちが伝わる子がいればそれでいいのよ、全員に
わかってもらおうとしなくてもいい。できることを尽くした結果なんだから。」
ラーヴォの話を聞きながらおばあちゃんのこの言葉を思い出したよ。
この話は以前ラーヴォにしたことがあるのですが、もう一度話しながら
おばあちゃんからおかあさん、そしてラーヴォにつないでいくことができてるん
だね、今度はラーヴォのつないだ人がまた誰かにつないでくれたらいいね。
と言いながら、自然に涙が出てきました。
いつもは私の涙を見ていないふりをすることが多いラーヴォが今回まっすぐ
私の顔を見てくれていたのが印象的でした。
ようやく母がくれた言葉に実感が持てるときがきたのかもしれないですね。
私の仕事は伝え、つないでいくこと。
好きなことができて、周りの人に恵まれている今の環境に感謝し、これからも
前に進んでいきたいですね。
ゆっくりでも。
2013/06/05
なにも言わずに
ここ数日、謎の膝痛に悩まされ思うように動けない日々を過ごして
いました。
椅子に座っても、床にそのまま座っても、膝を伸ばしても曲げても痛い。
立っていることもできず、ましてや歩くなんて拷問でした・・・。
今日は朝から調子がいいので洗濯や掃除もできるようになったのですが、
掃除中にPCデスクにふと目をやるとあるものを見つけました。
忘れっぽい私のPC周辺にはポストイットに書かれたメモ書きがたくさん
ぺたぺた貼られているのですが、その一枚。
和歌山、東京、名古屋、神戸と今度予定されている子どもたちの絵画展
でお手伝いして下さるボランティアの皆さんの氏名を場所ごとにわけて
書いておいたもの。
あとで手帳に転記しようと思っていました。
ふと違和感をおぼえて、よーーーく見直すと私と違う筆跡が・・・。
和歌山のボランティアさんの名前のところに、
萌崇拓見
と。
萌崇は私の戸籍上の漢字で「メアス」と読むのですが、それはさておき・・・
そうです、息子の名前です。
そういえば私がPCデスクに座ることもできず転がっていたとき、彼は
そこに座ってなにかを描いていました。
私はまた飛行機好きの息子が落書きでもしてたのだと思っていたのですが・・・
まるでついでかのように、自分の名前をボランティアの中に書いてました(笑
というわけで、和歌山絵画展は息子も手伝ってくれるそうです(笑
ちょっとだけ足の痛みが消えたような気がします。
いました。
椅子に座っても、床にそのまま座っても、膝を伸ばしても曲げても痛い。
立っていることもできず、ましてや歩くなんて拷問でした・・・。
今日は朝から調子がいいので洗濯や掃除もできるようになったのですが、
掃除中にPCデスクにふと目をやるとあるものを見つけました。
忘れっぽい私のPC周辺にはポストイットに書かれたメモ書きがたくさん
ぺたぺた貼られているのですが、その一枚。
和歌山、東京、名古屋、神戸と今度予定されている子どもたちの絵画展
でお手伝いして下さるボランティアの皆さんの氏名を場所ごとにわけて
書いておいたもの。
あとで手帳に転記しようと思っていました。
ふと違和感をおぼえて、よーーーく見直すと私と違う筆跡が・・・。
和歌山のボランティアさんの名前のところに、
萌崇拓見
と。
萌崇は私の戸籍上の漢字で「メアス」と読むのですが、それはさておき・・・
そうです、息子の名前です。
そういえば私がPCデスクに座ることもできず転がっていたとき、彼は
そこに座ってなにかを描いていました。
画像が横向きにできない これがデスクにありました |
まるでついでかのように、自分の名前をボランティアの中に書いてました(笑
というわけで、和歌山絵画展は息子も手伝ってくれるそうです(笑
ちょっとだけ足の痛みが消えたような気がします。
2013/06/01
(T_T)
施設の子どもたちの絵を展示する絵画展、今年で5年目になります。
これだけ続けさせてもらうとだいたい1年を通じての準備期間のコツも
つかめてきますが、今年は思った以上に早くすみました。
いつもは帰国日ぎりぎりまで追われてる作業が、5月30日あたりで
ほぼ完了。
うん??
早くない??(笑
いつもは6月に入ってから持って行く作品を選び、作品の撮影とリスト
作り、作品の題名と子どもの名前のラベル作成、その他の展示物と
販売物品の追加注文(施設内で売っているのである程度の在庫も
必要なんです)などなどを2週間ほどでざっと。
考えてみたらそのほうがずっと大変、よくそんなこと4年もやってたな(笑
今年はなかなかやるな、私。
なんて思っていたら・・・
31日の朝起きたとたんに足が動かない・・・
え??
足が曲がらない、曲げようとすると悲鳴が出るほどの激痛・・・
うなりながらなんとかベッドから降りましたが、着地したときの膝の痛みが
(T_T)(T_T)(T_T)
あ、あかん・・・
今日は無理・・・(T_T)
様子見ないとみんなにも心配かけるし、黙って部屋で痛み止めを飲んで
転がっていました。
今日になっても全然治らない。
不安・・・
これ、飛行機に乗れないレベル・・・
タラップを自力で上がるなんて無理、荷物持って・・・無理です(T_T)
痛みと格闘しつつ、午前中のスタッフミーティングに。
そこでスタッフにばれる(苦笑
今日は部屋にいるわ、というとみんな納得。すみません・・・(T_T)
すると卒業生のパナーが来てくれました。
所属する会社の責任者である大塚めぐみさんの心遣いです。
別件で電話した際に足のことを話したら、すぐにパナーを補助として
送りこんで来て下さいました。
普段なかなか自分から甘えることができない私ですが、今日はすっかり
甘えさせてもらいました。
病院に行き、通訳をしてもらい・・・ありがとう、パナー(T_T)
結局病院でも原因はわからず・・・
でも帰宅したら子どもたちが「大丈夫ですか??」ってみんなで言って
くれました。
大丈夫じゃない。でも、ありがとう(T_T)
部屋で転がり続けていました(苦笑
そのあとは息子が看病。
タオルをチンして膝に乗せてくれたり、おかゆ持ってきてくれたり・・・。
ありがとう(T_T)
先日施設のちびっこが頭をけがしたとき、ある人が「怪我の手当をしてくれた
人のことを子どもは覚えている」と言ってくれたのが印象的だったのですが、
今日は子どもに代わって言います。
それ、ほんとです・・・。
私がゆっくり階段を上っていたら、肩をかしてくれた施設の高校生リャンサイ。
心配して何度か連絡を下さった大塚さん。
病院帰りの私を迎えてくれたスタッフと子どもたち。
パナー、息子の拓見・・・
ありがとうございます(T_T)
今回のお返しはまたいつかのときに。
その前に飛行機に乗れる膝になるようあと10日ほどですがなんとかします・・・。
これだけ続けさせてもらうとだいたい1年を通じての準備期間のコツも
つかめてきますが、今年は思った以上に早くすみました。
いつもは帰国日ぎりぎりまで追われてる作業が、5月30日あたりで
ほぼ完了。
うん??
早くない??(笑
いつもは6月に入ってから持って行く作品を選び、作品の撮影とリスト
作り、作品の題名と子どもの名前のラベル作成、その他の展示物と
販売物品の追加注文(施設内で売っているのである程度の在庫も
必要なんです)などなどを2週間ほどでざっと。
考えてみたらそのほうがずっと大変、よくそんなこと4年もやってたな(笑
今年はなかなかやるな、私。
なんて思っていたら・・・
31日の朝起きたとたんに足が動かない・・・
え??
足が曲がらない、曲げようとすると悲鳴が出るほどの激痛・・・
うなりながらなんとかベッドから降りましたが、着地したときの膝の痛みが
(T_T)(T_T)(T_T)
あ、あかん・・・
今日は無理・・・(T_T)
様子見ないとみんなにも心配かけるし、黙って部屋で痛み止めを飲んで
転がっていました。
今日になっても全然治らない。
不安・・・
これ、飛行機に乗れないレベル・・・
タラップを自力で上がるなんて無理、荷物持って・・・無理です(T_T)
痛みと格闘しつつ、午前中のスタッフミーティングに。
そこでスタッフにばれる(苦笑
今日は部屋にいるわ、というとみんな納得。すみません・・・(T_T)
すると卒業生のパナーが来てくれました。
所属する会社の責任者である大塚めぐみさんの心遣いです。
別件で電話した際に足のことを話したら、すぐにパナーを補助として
送りこんで来て下さいました。
普段なかなか自分から甘えることができない私ですが、今日はすっかり
甘えさせてもらいました。
病院に行き、通訳をしてもらい・・・ありがとう、パナー(T_T)
結局病院でも原因はわからず・・・
でも帰宅したら子どもたちが「大丈夫ですか??」ってみんなで言って
くれました。
大丈夫じゃない。でも、ありがとう(T_T)
部屋で転がり続けていました(苦笑
そのあとは息子が看病。
タオルをチンして膝に乗せてくれたり、おかゆ持ってきてくれたり・・・。
ありがとう(T_T)
看病で疲れましたか・・・息子さん爆睡です |
人のことを子どもは覚えている」と言ってくれたのが印象的だったのですが、
今日は子どもに代わって言います。
それ、ほんとです・・・。
私がゆっくり階段を上っていたら、肩をかしてくれた施設の高校生リャンサイ。
心配して何度か連絡を下さった大塚さん。
病院帰りの私を迎えてくれたスタッフと子どもたち。
パナー、息子の拓見・・・
ありがとうございます(T_T)
今回のお返しはまたいつかのときに。
その前に飛行機に乗れる膝になるようあと10日ほどですがなんとかします・・・。
2013/05/27
補足
この前、自分で決めるから責任も自分にあるということを書いたのですが、
自分で決めたことに最善を尽くしたのなら後悔もない
ということでもありますよね。
両親はカンボジアで結婚、孤児院運営することに反対せず送りだして
くれましたが、実はもう一つ・・・
多くを語らずに背中を押してくれた父親の裏で、母は私にこんなことを
言いました。
「自分で決めて行くねんから簡単に帰ってこられても困まるで」
∑(゚∇゚|||) 笑
はい、そうですよね・・・(T_T)
昔から母の言うことは絶対だった私にとってこの言葉は大きかった。
今となっては両親それぞれの気持ちと、そのときにくれた言葉の本意が
じわじわとわかってきましたが・・・。
もうひとつ補足すると、「できるだけ他人様に迷惑かけんように心がけ
なさい。心がけてても迷惑かけるもんやねんからそのときは自分で
ちゃんと始末つけなさい。」とも言われたような・・・。
男の人はあまりたくさんを語らない場合が多いので、母は私が最初から
甘えた気分で行かないように、結婚や人さまの子どもを預かることが、
社会的にそして自分の人生としてどれだけ責任のあることなのかを
父に代わってわからせたかったのでしょうね。
おかげさまで施設運営はやめずに続けています。
心ある方々の支えもあり、続けてくることができました。
2010年に離婚はしましたが、後悔はありません。
離婚したときには母はもう他界していましたが、私の涙と忍耐、怒り、
そして離婚が決まったときの安堵、そのすべてを見てくれていたと思います。
父には離婚が決まって手続きに入る段階で言いましたが発した言葉は
「お前が決めたんやからそれでええ。」
そんなことを思い出すにつけ、施設の子どもたちに発する自分の言葉の
重みを自覚せねばと思います。
自分の親がそうしてくれたように。
自分で決めたことに最善を尽くしたのなら後悔もない
ということでもありますよね。
両親はカンボジアで結婚、孤児院運営することに反対せず送りだして
くれましたが、実はもう一つ・・・
多くを語らずに背中を押してくれた父親の裏で、母は私にこんなことを
言いました。
「自分で決めて行くねんから簡単に帰ってこられても困まるで」
∑(゚∇゚|||) 笑
はい、そうですよね・・・(T_T)
昔から母の言うことは絶対だった私にとってこの言葉は大きかった。
今となっては両親それぞれの気持ちと、そのときにくれた言葉の本意が
じわじわとわかってきましたが・・・。
もうひとつ補足すると、「できるだけ他人様に迷惑かけんように心がけ
なさい。心がけてても迷惑かけるもんやねんからそのときは自分で
ちゃんと始末つけなさい。」とも言われたような・・・。
男の人はあまりたくさんを語らない場合が多いので、母は私が最初から
甘えた気分で行かないように、結婚や人さまの子どもを預かることが、
社会的にそして自分の人生としてどれだけ責任のあることなのかを
父に代わってわからせたかったのでしょうね。
おかげさまで施設運営はやめずに続けています。
心ある方々の支えもあり、続けてくることができました。
2010年に離婚はしましたが、後悔はありません。
離婚したときには母はもう他界していましたが、私の涙と忍耐、怒り、
そして離婚が決まったときの安堵、そのすべてを見てくれていたと思います。
父には離婚が決まって手続きに入る段階で言いましたが発した言葉は
「お前が決めたんやからそれでええ。」
そんなことを思い出すにつけ、施設の子どもたちに発する自分の言葉の
重みを自覚せねばと思います。
自分の親がそうしてくれたように。
「あんたらしいな。ほんまびっくりするわ。」という母親の声が時々聞こえる
ような気がするのです。
2013/05/25
忙しいくせに(笑
ここ数日、夏の絵画展に向けての準備でバタバタというか
部屋にこもる作業が多く、あっという間に1日が終わるという
ありがたい毎日を過ごしています。
基本的に自分の部屋を事務所仕様にしているので、朝から
晩まで同じところに詰めている感じ。
休憩がてらにNHKを見ていると、タイトルはわからないけど
ドラマが放送されていました。
60代とおぼしき女性が30代の女性に、
「今の人(女性を主に指す感じで)はなんでも自分で決め
られる代わりに、全部自分で責任を負わなきゃいけないの
ね。大変ね。」
そんなせりふだったように思うのですが、励ますような感じで
言っていました。
実家で茶道と華道の講師をしていた母も当時の若い女性の
生徒さんに、
「今の子たちはしっかりしてる。自分で考えて決めて・・・」
と話していたことがあるのを思い出しました。
私が中学生か高校生の頃なので、かなり遠い昔(笑
母親たちの世代、自分で決められないこともたくさんあった
だろうし、意思を尊重してもらえる私たちの世代は幸せやなと
思っていました。
でもたしかに、自分で決めると言うことは誰のせいにもできないと
いうことでもあるんですよね。
そんなふうにして戦っている女性が世の中にはたくさんいるんだ
と思います。
私は女なので女性に絞って言わせて下さい(笑
(もちろん男性も同じってことはわかってますよ)
結婚してカンボジアに行くこと告げたときに一切の反対をせずに、
「自分で決めたんやからしっかりやってこい」
と、送りだしてくれた両親は全部わかった上でこの言葉をくれたの
でしょう。
だからこそ、私も簡単に尻尾巻いて楽な方に逃げるという選択肢は
今まで一度もなかったんだなと、いまさらながらに思ってみたり・・・。
自分で決めたことがあり、守りたいものがある、それがある強みと
多くを語らずとも思ってくれる大切な人たちがいること。
だから戦っていける(おおげさかもしれんけど)のでしょうね。
なぜかNHKドラマのワンシーンで思い返す私でした(苦笑
って、うだうだ言わずに仕事します・・・(笑
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
スナーダイクマエ孤児院絵画展2013
和歌山
6月28・29・30日(金土日) フォルテワジマ3Fギャラリー
午前10時から午後5時まで
東京
7月3日(水)から7日(日) 日本アセアンセンター
午前10時から午後5時まで
6日・7日(土日)はカンボジアフェスタと同時開催
名古屋(初開催!)
7月12・13・14日(金土日) 妙香園ギャラリー
午前10時から午後5時まで(12日のみ午後1時から)
神戸
8月2・3・4日(金土日) 甲南大学内甲友会館
午前10時から午後5時まで
絵画作品の販売、昨年の作品をもとにしたTシャツやポストカード、
2014年カレンダーなどのグッズ販売も行います。
売り上げは施設の運営費に充てられます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
部屋にこもる作業が多く、あっという間に1日が終わるという
ありがたい毎日を過ごしています。
基本的に自分の部屋を事務所仕様にしているので、朝から
晩まで同じところに詰めている感じ。
休憩がてらにNHKを見ていると、タイトルはわからないけど
ドラマが放送されていました。
60代とおぼしき女性が30代の女性に、
「今の人(女性を主に指す感じで)はなんでも自分で決め
られる代わりに、全部自分で責任を負わなきゃいけないの
ね。大変ね。」
そんなせりふだったように思うのですが、励ますような感じで
言っていました。
実家で茶道と華道の講師をしていた母も当時の若い女性の
生徒さんに、
「今の子たちはしっかりしてる。自分で考えて決めて・・・」
と話していたことがあるのを思い出しました。
私が中学生か高校生の頃なので、かなり遠い昔(笑
母親たちの世代、自分で決められないこともたくさんあった
だろうし、意思を尊重してもらえる私たちの世代は幸せやなと
思っていました。
でもたしかに、自分で決めると言うことは誰のせいにもできないと
いうことでもあるんですよね。
そんなふうにして戦っている女性が世の中にはたくさんいるんだ
と思います。
私は女なので女性に絞って言わせて下さい(笑
(もちろん男性も同じってことはわかってますよ)
結婚してカンボジアに行くこと告げたときに一切の反対をせずに、
「自分で決めたんやからしっかりやってこい」
と、送りだしてくれた両親は全部わかった上でこの言葉をくれたの
でしょう。
だからこそ、私も簡単に尻尾巻いて楽な方に逃げるという選択肢は
今まで一度もなかったんだなと、いまさらながらに思ってみたり・・・。
自分で決めたことがあり、守りたいものがある、それがある強みと
多くを語らずとも思ってくれる大切な人たちがいること。
だから戦っていける(おおげさかもしれんけど)のでしょうね。
なぜかNHKドラマのワンシーンで思い返す私でした(苦笑
って、うだうだ言わずに仕事します・・・(笑
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スナーダイクマエ孤児院絵画展2013
和歌山
6月28・29・30日(金土日) フォルテワジマ3Fギャラリー
午前10時から午後5時まで
東京
7月3日(水)から7日(日) 日本アセアンセンター
午前10時から午後5時まで
6日・7日(土日)はカンボジアフェスタと同時開催
名古屋(初開催!)
7月12・13・14日(金土日) 妙香園ギャラリー
午前10時から午後5時まで(12日のみ午後1時から)
神戸
8月2・3・4日(金土日) 甲南大学内甲友会館
午前10時から午後5時まで
絵画作品の販売、昨年の作品をもとにしたTシャツやポストカード、
2014年カレンダーなどのグッズ販売も行います。
売り上げは施設の運営費に充てられます。
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