2013/10/07

卒業生のはなし② ラーヴォの巻

「この中で一人だけでもあなたの気持ちを理解してくれる子どもが
いたら、それでよかったんやと思いなさいよ。多くを求めたらあかん。」

施設を訪れたときの母の言葉です。もう10年以上前でしょうか。



私にとってまさにその一人だと実感している卒業生、それがラーヴォです。


幼き日のラーヴォ
私が施設に来てすぐの頃、子どもたちは上記写真のような高床の小屋で
生活していました。
ラーヴォはまだ小学生、ものすごく華奢で、太ももに隙間が合って向こうが
見えてしまうくらいにガリガリでした。

日本語を学ぶ機会のあった当時、25名ほどいた子どもたちの中でもダントツ
に日本語習得能力の早かったラーヴォ。
私との日常会話はほぼ日本語でした。

ミーティングの時、私が語りかける内容にまっすぐな視線を向け、一生懸命
聞く子どもの一人でもありました。

高校を卒業し、就職してからも気軽に私の部屋に遊びに来て何時間も
おしゃべりをすることを私も彼も本当に楽しみにしています。

今はガイドや通訳、テレビのコーディネーターなどをしながらも、夜間の大学に
通っています。(日本の有名な方には私以上に会っています・笑)
就職し、何年かしてから資金をしっかり貯めて念願の大学生になったのです。
そんな彼から見ていると、卒業してすぐに仕事と大学を両立させようとする
最近の卒業生には「ちょっと早すぎるんじゃないの?」と言いたい気持ちも
あるようです。
それでも彼の存在があとを追う卒業生たちの目標となっていることは
間違いありません。


私がスタッフや子どもたちのことで悩んでいるとき、ラーヴォが心のよりどころに
なったことが何度あったでしょうか。
私の伝えたいこと、本当の気持ちを心底理解してくれるという実感。

落ち着いていて、特に感動的なことをいうわけではないけれど、タイミングを
逃さずに様子を見に来てくれたり、話を聞いてくれたり・・・
私もどちらかというと「わかりづらい」と言われるタイプなので、ラーヴォの
実はその人のことをちゃんと思っている気持ちがすごくよくわかります。

ラーヴォ(右)すっかり貫禄満点
10月半ば、子どもたち2名が日本渡航を控えています。
カンボジア人は日本に行く際には保証人をつけてビザ申請しないと
いけません。カンボジアでその書類を受け付けてくれるのは首都
プノンペンにある日本大使館のみ。
私が忙しいことを知って、ラーヴォが書類提出に行ってくれました。

「僕プノンペンに行きますよ」

さらっというので、私は彼が他にも用があると思ってお願いしました。

到着して「もう提出しました」と報告をくれたので、「ほかになんの用があって
プノンペンに行ったの?」と聞いたら、「なーんにもありませんよ 笑」と。

子どもたちの書類提出のためだけにバスで6時間ほどかかるプノンペン
まで、私の代わりに行ってくれたのです。
すぐにとんぼ返りしてきたラーヴォ。

日本の感覚で言うと、関西から「東京行ってきますよ」くらいの感じです。

私はこんなふうにしてラーヴォに助けられ、甘えてきたことが何度あるか・・・。


彼は今、村の家族の中でも大黒柱となっています。
幼い時に亡くなった実のお母さんのための法事を取り仕切り、自宅の
改造費も彼が出していました。

さらに親戚の中で教育の機会のない子を学校に通わせていました。
その子が無事に卒業となったときにはじめて私にそのことを告げました。
「自分がしてもらったことを今は自分が他の人にできるようなった、そのことが
自分でも感慨深い。ここまできたんだなと言う気持ち。」と。


私の母が言った「ひとりでも・・・・」、これが私の胸によみがえったときでした。

私は「自分のしてもらったこと、教えてもらったことを別の人につないで
いくこと」を子どもたちにわかってほしい。

私が母からもらったものが子どもたちに、そして子どもたちがまた別の人たちに。

ラーヴォが帰ったあと、本当に胸が熱くなりました。

「おじゃましまーす」と言いながら笑顔で部屋に入ってくる彼の顔がなによりの
励ましになっているのです。

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