2016/09/29

多くの訪問者をお迎えして・・・

もうこのブログ、誰も見に来ないんではないか・・・
3か月以上放置とか、もはやブログではないのではないだろうか・・・

書くことはひらめいたりとかしてるんですが、「書く」作業に入れない。
なんとなくタイミングを逃してここまで来てしまいました。

誰も見てなくてもとりあえずキロクとして書きます!(宣言!笑


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子どもたちの絵画展を2か月間(7月8月)で終えて、8月の半ば過ぎに
カンボジアに戻り、すぐ連日多くの訪問者の皆さんを受け入れされて
いただいておりました。

この施設に来た25歳ごろから今に至るまで、ここでいろいろな方々と
出会いました。

そのときの私が話せること、ご対応できることをさせていただいてきた
つもりではありますが、今以上に未熟な年齢のころは十分でなかった
こともたくさんあったと思います・・・。


13年間続いているツアーがあります。
地球の歩き方交流・NGOスナーダイクマエを訪ねて、と銘打ったツアー。
この夏から初めて、参加者の皆さんと私がランチをしながらざっくばらんに
お話しするという時間を設けていただきました。

ここでは参加者の皆さんの感想を直接ご本人からお聞かせてもらえる、
そして私への質問にはお顔見てお答えできるという貴重な場となって
おります。

今季最後の参加者の皆さんとの懇親会で、こんな質問をいただきました。

「博子さんから見て今の日本人に足りないことってなんですか?」

なかなか難しい質問です。
私がこれに答える立場なのか?、なぜ私にこれを訊いてくれたのか?と
逆に質問したくなる気持ちを抑えつつ丁寧を心がけてお答えしました。


それはズバリ「当事者意識」なのかな、ということです。



例えば多くの訪問者をお迎えする中で私がとても戸惑う(不愉快な)
言葉、その割に言われる頻度の高い言葉がいくつかあります。

「うちの子どももここに連れてきてしばらく一緒に生活させてもらえば、根性が
たたき直るのかもしれないな」

「カンボジアの子どもに比べて日本の子どもは目が死んでる」


どうしてこうも他人事なんでしょうか。


あなたの息子さんが根性たたき直るほど「不便な」生活をうちの子どもたちは
毎日しています。
(そして実際子どもたちにとってここは不便な場所ではない)

子どもの目が死んでいると気づいているなら、どうしてそれを輝かせる努力を
大人はしないのでしょうか。


もちろんこれを日本代表の言葉として扱う気はありません。
なぜなら、いつも子どもたちと真剣に向き合い、子どもたちを笑顔にしている
日本の大人の方々がいることも知っているから。

もっというと、そういう人たちはこんな言葉は言わないと思います。
なぜなら生身の子どもたちにちゃんと向き合っているから。


何か問題が起きても、誰かのせいにすれば楽でしょうね。
環境のせい、時代のせいにすることもできます。


ここに子どもを連れてきて、誰かに根性を叩き直してもらうのではなく、
自分の目で見たこと、感じたことを真剣にお子さんに伝えることでお子さんの
意識を少しでも変えようとしませんか?

子どもの目が死んでるというなら、自分以外の大人も巻き込んでできるだけ
多くの子どもの目を輝かせる行動を考えませんか?


子どものことだけではなく、自分のことも、自分の大切な人たちのことも、
目の前にあることで気になることがあれば「なかったこと」にせず向き合って
自分の行動につなげませんか?

時代や社会の波の中で、いきなり変えることはできないとあきらめるのは
簡単ですが、一人一人が自分にできることを地道に積み上げ大きな波に
していけると信じたい、というのが私の思いです。
大人があきらめない姿を子どもにも見せたいなと思うんです、単純に。




普段なかなか接することのない大学生を中心とした、自分の息子世代の
皆さんとお話しする機会。
2度目の成人式を迎えた世代の私からなにをお伝えすることができるのか、
以前よりもずっとずっと私自身が真剣に考えていることに気づかされます。


カンボジアはそろそろお盆。
自分よりも先に逝ってしまった人たちが、どんな思いでこの世を去ったのか、
今生きている人たちにどう生きてほしいと願ってくれているのか、そんな
ことに思いを馳せつつこれを書きました。

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ということで、次回のアップはいつになるのか、それは不明です(笑
今日もお付き合いいただきありがとうございました。