2011/09/30

2度目のカンボジア渡航を振り返る

1997年といえばプノンペンで武力衝突があり、カンボジア国内の
情勢がかなり緊迫した年でした。

武力衝突は私がカンボジアに行った2月よりあとの7月ごろだったと
記憶しています。

そして私が2度目のカンボジアに行ったのはそのすぐあとの11月
だったと思います。(曖昧ですね・・・苦笑)


当時税理士事務所で働いていたとはいえ、税理士になるための
専門学校にも通っていた私はほぼアルバイト扱い。
給料をコツコツと貯めて半年で渡航費をつくりました。




両親がよく了承してくれたのだなと、今になって思います。

あの武力衝突の様子は日本でも新聞やテレビで大きく報道されて
いました。
いくらもう落ちついたとはいえ、数カ月後にそこに行くという娘を
止めなかったんですから・・・。




「信じると決めたら、最後まで信じきること。難しいけど、そうするのよ。」

これは母からよく聞かされた言葉でした。



「信じる」、言うことは簡単なのですが、実行し継続することはとても
難しいんですね。

誰かを信じきることは自分の心と闘うことでもあります。
私自身、まだこれがなかなかできなくて苦しい思いをすることが多い
のです。





私は息子が一人います。
息子が自分のやりたいことのためにどこか遠い国に行くと言い出したら・・・

「帰って来るところはここにあるから思う存分頑張ってきなさい」

そう言って送りだせる母親になりたいと思います。



自分の親はいつも全力で私を教育してくれていました。

そこに込められた思いをくみとり、次の世代に伝えることが私にできることの
1つなのかなと思っています。

2011/09/25

1997年初めてのカンボジア

就職氷河期と言われた1997年。
同級生たちが何十社と面接を受けている中で、私は一人暮らしの
部屋を引き払って実家のある和歌山でのんびり過ごしていました。

そう、私は就職活動をしていなかったのです。

父の知人が開業していた税理士事務所に勤めることが決まっていて
のほほんとしていました。
友人に合コン、カラオケ、呑み会などに誘われればついてゆき、たまに
所属していた器械体操部の練習の様子を見に大学に行く。
緊張感などまるでない毎日でした。


そんなある日、母親に「カンボジアに行ってみない?」と言われました。

カ、カンボジア??
なんでまた?

母の知人がカンボジアに中学校校舎を建設したので、オープニング
セレモニーに行かないかと誘われたらしいのです。
母は華道と茶道の講師をしていて多忙。
代わりに私が行かないか、ということでした。

私は友人たちと卒業旅行について話していたけど、オーロラをみたい
から北欧がいいという私に対し、みんなはオーストラリアに行きたいと
言い始め、行き詰っていたところ。

だったらみんなと一緒に行くのはやめて、母が全額負担すると言う
カンボジアに行ってしまおう、これが私とカンボジアが出会った瞬間。