2012/12/09

カンボジアでの再会 あれから12年

断片的ではあるものの今でもはっきりと覚えています。
写真家の足立君江さんが初めて施設を訪問してくれた日のこと。

まだ今のように施設の敷地が整備されておらず、手前の建物も
1階部分だけ完成した状態。
その1階で訪問者の皆さんに日本語の歌を合唱する子ども達。
その周りを哺乳瓶をくわえた私の息子がうろちょろしていました。

あのとき、足立さんとこんなに長いお付き合いをさせて頂くように
なるなんて想像もしていなかったのですが・・・

12月1日(日)足立君江さんと行くカンボジア撮影ツアーの行程で
参加者の皆さんがスナーダイクマエをご訪問くださいました。

足立さんとは日本での絵画展のときなどもお目にかかっていた
ものの、カンボジアでの再会は2年ぶり。
いつも絵画展に顔を出して下さる足立さんのご友人もいらっしゃって
いたので、施設の説明をするときは少々緊張してしまいました(笑

12年前の出会いからほぼ毎年足立さんはカンボジアに通ってこられ、
農村、街中にいるいろいろな人の姿をカメラ越しに見つめられて
きました。

その足立さんと一緒に観光ツアーではめぐることのないとっておきの
場所を撮影しましょうという今回の旅。
そのガイドを任されたのが施設の卒業生パナーです。

細くて小さくて、内気なイメージだった彼が立派にガイドをする姿に
足立さんも感心して下さっていました。

卒業生の活躍ぶりをこうして私自身も目にすることができるのは
幸せですね。

そして日本からの添乗員はピースインツアー東京勤務の佐々木愛さん。
彼女はパナーの恩師でもあります。
7年間、スナーダイクマエで日本語教師を務めてくれた、私の友人でも
あり、妹?というか双子?(苦笑)とにかく人生においてなくてはならない
存在です。これ、おおげさじゃなくて本当にそうなんです。

3人とも私のカンボジア人生の中で出会い、関係をはぐくんできた大切な
人たち。
12年前にこんな日が来るなんて誰も想像していませんでした。

だから人生って面白いなって思います。

パナー・息子・佐々木さん
いつの間にか息子(14歳)が一番大きくなっていました(苦笑

私・足立さん・息子
なかなかないこの3人でのショット。
哺乳瓶の2歳児が今では・・・(笑

12年、干支が一回りする間に色んな事がありましたが、ここに書いている
ような人たちに恵まれてここまでやってきたんだなと改めて振り返ることの
できた1日でした。



2012/12/01

息子さん

私には14歳、中学2年生になる息子がいます。

小さい頃はかなりかわいかったのですが、今では声変りもして
身長も170cmは確実にあると思われ・・・

彼が2歳になる少し前にシェムリアップに引っ越してきました。
それからずっと普通の親子以上に一緒に過ごす時間が長かった
ように思います。
それが許される仕事環境だったからですね。

できるだけ自分の作った料理を食べさせておきたいということと、
日本的な食事にも慣れさせたいということで3食ほとんど手作りに
しています。

息子は私の作った料理によく点数をつけます。


今までの採点は、

62点 豚肉の塩麹炒め

67点 和風ハンバーグ

79.5点 鶏肉てりやき

87点 ツナクリームソースパスタ

89点 ポークチャップ

91点 サーモングラタン

93点 肉じゃが
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、彼はめっちゃ辛口料理批評家(泣

見た目はこぐまちゃんみたいなのに、ドSです・・・。

100点がもらえるその日まで、時々折れそうになる心をなんとか保ちつつ
日々精進したいと思います(笑

2012/11/14

いいことがあると忘れる人

代表を務めるNGOスナーダイ・クマエ孤児院、創立から数えると今年で
14年、私が関わるようになって12年になります。

長く続けていると卒業生も出てきます。
今年も5回目の卒院式を行い、二人を社会に送り出しました。
二人は公立高校を卒業し、就職も決まっています。

孤児院の創立者は私ではなく、以前の夫であるメアス・トミー氏。
私はそのお手伝いのつもりで結婚後にカンボジアに来て活動に参加
しました。
恥ずかしながら、カンボジアの社会問題に対する情熱を持って
来たわけではありません。
パートナーがやっていることの一部を少しでも手伝えれば、そんな
気持ちだったのです。

いつしか情熱が逆転し、離婚が決まる頃には私にしか分からない
運営の内容、子どもたちへの教育方針などが多くなっていました。
彼もそのことはわかってくれていて、別れた後は私が孤児院の代表と
なるようにうながしてくれました。


細かいことは引き出しにしまっているのですが、いいことがあると
なんだか大変だったことを忘れるためにふとそこから引っ張りだして
しまうのかもしれません。

そういえばあれもこれもそのときは大変だったなあ、と。

でもいいことがあると、
「もしかして、この日が来る時のために大変なことがあったのか?」
と、思い出したりしてみて・・・。

でも不思議なことに、子どもたちが起こした問題について「大変だった」
と記憶されているものはないんですね。
それはすべて思い出になっているのかもしれません。

ふと思い出す大変だったこことは、家庭のことや人間関係の悩みばかり。
普段忘れているくせにふと頭をよぎると鮮明によみがえって、すごく
腹が立ったりして(笑

あほですね(笑


でもそれは一瞬の話。

だって、自分が12年間一緒に暮らしてきた子どもたちが立派に大きくなり、
学業も修めて社会に出て行く姿を見られるんですから。
しかも一人で見るわけではなく、孤児院のスタッフ、子どもたち、そして
日本から長期にわたって応援してくださる皆さんもいます。


それを思うと、以前自分を悩ませていた人たちのことは

「まあ、ええか」

と思います。

許すとか許さないとかではなく、関心がなくなってしまうという感じで。
つまり、「思い出にはなってない」んでしょうね(笑



だから「今まで一番大変だったことは何ですか?」という質問には具体例を
挙げて回答できないんですよね。
ぼわーーっとあるけど、なんだ?って感じで。

「なにか大変なことはあったんだと思う。でもいいことがあると忘れて
しまってるんです。おかげでやめることなく続けていけるんです。」


ほんま、自分が「いいことがあると忘れる人」でよかったと思います。

そしていいことをくれる、子どもたちや周囲の人々に感謝、なのです。

二人を社会に送り出して、しばし抜け殻の私はこの数日間こんなことを
考えていました。

2012/11/10

もうはじまってます!【第2回KOBE豚饅サミット2012】

昨年もこのブログでご紹介したKOBE豚饅サミット

今年も昨日が前夜祭で、すでに始まっています。

告知が遅くなってしまいました・・・(汗)


このイベントの発起人の1人に名を連ねている安藤孝志くんは私の
大学時代の同級生。
たしか二人ともさほど優秀な学生ではなかったような・・・(笑
安藤君は神戸っ子なら誰しも知っているぶたまんの「三宮一貫樓」
常務取締役を務めています。

ここ数年の活躍ぶりには目を見張るものがあり、なんだかちょっと



さみしい・・・(笑


というのは、冗談で、私がカンボジアでがんばれる理由の一つには
こういう友人たちの活躍ぶりに切磋琢磨!というところもあるんですね。

土俵は全く違うけど・・・と思っていましたが、実はそうでもなかったりします。


昨年のKOBE豚饅サミットでの収益金は、神戸市と姉妹都市になっている
宮城県名取市への豚饅炊き出し支援として使われていました。

私がこのイベントに共鳴するのは、あの神戸の震災後にすっかり活気を
なくしたおしゃれな街神戸を復活させたいという地元愛、そして・・・
そのイベントの収益を東北の被災地の方に「僕たちは忘れていません」と
励ましのメッセージとして届けている点です。

忘れられていくことのつらさや悔しさを知っているのは同じ被災地だから
だと思います。
また「忘れてなかったんだ」と思わせてくれる人々の気持ちがどれだけ
ありがたく心強いものかを知っているのもまた同じく被災した経験が
あるからなのではないでしょうか。

私も神戸の震災当時甲南大学の大学生、震災当日は神戸であの地震に
遭いました。
それでも私には和歌山に実家があり数日後には帰ることができたんです。

安藤くんはじめこのイベントにかかわるすべての皆さんがこれまでどんな
思いで神戸の復興を願い、自分の日々の生活を取り戻すために努力を
重ねてきたか・・・それは想像を絶するものがあります。

安藤くんからは会社を立て直すための課程を何度となく聞いてきました。

イベント詳細はこちらから!


私は今年も残念ながらこのイベントに参加することはできませんが、
いつか「KOBE豚饅娘コンテスト」に出場することを夢見て(笑)
微力ながらカンボジアから応援したいと思っています!

サミット限定オリジナル豚まんの販売は、11月10・11・12日の3日間です!
販売会場:南京町広場・曹家包子館・大同行
JR神戸線・元町駅から南に歩いてすぐです。

誰か私の代わりに行って、たらふく豚饅を食して下さい。
そして写真と感想を下さい。
それが神戸の活気、そして東北への応援につながります!

よろしくお願いします。






2012/10/20

前進するための呪文

約1年前にこのブログを始めたことを思い出して、そのときの自分が
書いた記事を読み返してみました。


ちょうど洪水が収まって、少し落ち着いた頃に綴った文章。

1年前の記憶が戻りました。(普段から少々喪失気味なので・笑)


本当につらかったんですよ、1年前の今ごろ。
色んな人に励ましてもらいながらただただ1日が終わっていくことだけで
精一杯だったような・・・。

洪水もあったけど、それ以外にも自分にしか解決できない出来事もあり・・・。





「そのときどんなにしんどくてもたいていは後で普通に話せる。」


1年前の私が書いていた言葉です。



これは、もうだめかも・・・という状況になったときの自分を励ます呪文
みたいなもんです(笑


でもね、ほんとにそうなんですよ。
渦中にいるときこそ自分を客観視することが自分を楽にする方法だと
思うのです。
私はこの方法でおおむね乗りきります。


そして1年経って・・・
今年も洪水とまでいきませんでしたが、施設の周辺だけが冠水。
私はと言うと、ぜーんぜんっ落ち込んでない!(笑
そして去年のことを普通に「ほんま大変やったよね、あはは」と
笑って話してました。
あのときは部屋で一人暗く泣いてたくせに、ですよ・・・。ははは・・・。


洪水もそのときに抱えていた問題も、自分の意識を変えること、そして
行動を起こすことで乗り切りました。

でもそのときに必要だったものが2つあります。
それがさっき書いた呪文と(笑)、私のことを気にかけて心配して励まして
くれた人たちの思いやりある言葉、なのです。

皆さんからの励ましもまた、乗り越えるきっかけをくれる呪文、ですね。



もちろん自分でも答えを見つけられず、いつまで経っても納得できる
答えが見つからない出来事も人生の中にはあると思います。
私には1つだけあります。
でももうそれはそういうものとして一生付き合っていこうと思ってるんです。

あの経験があるからこそ、
「そのときどんなにしんどくてもたいていは後で普通に話せる。」
と思えるんです。
答えが見つからない出来事、あれ以上のことはたぶんもう人生で起きない
でしょうね。


最後に書いておきましょう。

お父さん、ごめん。(笑
ずっと元気でいて下さい。








2012/09/29

ありがとう

ここ数日の豪雨でほぼ水没状態だったうちの施設。
今朝も早いうちに雨が降っていたので、起きたときはまだ
水がけっこうたまっていました。
昨日は街のほうまで様子を見に出かけたのですが、街は
全然問題なく、川も溢れだすような状況ではありませんでした。
(スナーダイ・クマエのブログ参照)

午前から午後にかけて雨が降らず、敷地内の水位はかなり
下がりました。
そしてさっき卒業生のサヴィー(男子)が心配で様子を見に来て
くれたので少し話をしました。

今日は午前だけ仕事だったそう。顔色もよく、生活が順調で
あることは見てすぐにわかりほっとしました。

彼はガイドの試験に多額の受験料という名のコミッションを
支払わずに合格しました。
聞くと、3回目の挑戦だったそうです。
1・2回目の試験でわからなかったことを自習して理解し、3回目
に合格したんです、とうれしそうに話していました。

今はガイド養成学校に通っていますが、間もなく観光の勉強を
するために大学にも入学する予定だと言っていました。
しかも入学試験で成績上位だったので、学費が70%無料に
なる奨学金まで手に入れていました。


お金のやりくりは大変だね、おかあさんも毎月、毎年、みんなの
生活費の事ばかり考えてるよ、と笑って話したら、

「ありがとうございます」

と、サヴィーが言ってくれたんです。
今はもう卒業してこの施設にはいないのに・・・。

そして、昨日の夜は昔のアルバムを見ながらおかあさんのことを
思い出していました、と言ってくれました。


施設にいた頃は性格も、見た目もすごく地味で、決して目立つタイプ
ではなかったサヴィーが卒業してここまでしっかりとやってくれている
姿、そして彼からもらった言葉に励まされました。


ありがとうを言うのはおかあさんのほうだね。
サヴィー、ありがとう。
とても元気づけられました。

2012/09/25

自分にできることとか考え方とか

飛行機好きの息子から聞いた話です。

ある人に、飛行機に乗るときエコノミークラスかビジネスクラス
どちらに乗っているか訊いたそうです。

「以前はビジネスクラスに乗っていたけれど、今はエコノミーに
乗って、差額を東北の被災地に寄付している。」

これが息子の聞いた回答だったそうです。

私はこの方がそんなふうにされていることを知らなかったので
以前からずっとビジネスクラスで移動されていると思っていました。

小さいころから飛行機が好きで、飛行機によく乗る大人には
必ず飛行機の話題を出す息子なのですが、こういう回答が
あるとはまったく考えていなかったらしく、私にも教えてくれました。



そして私は最近親しい人とこんな会話がありました。

孤児院の卒業生の就職について話した翌朝にもらったメール
だったのですが・・・

「たくさん人がいる中で就職するって大変なことだよね。
(仕事のある自分は)ありがたくがんばってきます。」



自分にできること、自分の環境のとらえかた、この2つの話から
教えられる事があると思います。

無理をせずにできることを自分で決める
置かれている環境に満足するかどうかはとらえかた次第

言葉にすると「当たり前やん」というふうにも見えるのですが
実際自分ができているかどうか・・・


大人になっても周りで何気なく発信してくれている大切な言葉を
見落とさずに自分を振り返りたいと思った出来事でした。






2012/08/07

焦燥感

今まで生きてきて感じた事のない感覚。

焦燥感・・・、なのかな、これは。


東京、神戸と絵画展を立て続けに終えて、次は最終の和歌山です。
各地で色々な方にお目にかかり、励まされ、幸せな自分を再認識する
ことばかりだったのに、


なぜか今になって、焦ってる?不安なのかな??

でも一体なにに対して?


結婚する時も、カンボジアに移住するときも、離婚したときも・・・
今までの人生の中で「焦る」とか「不安に思う」とか、そういう感情に
とりまかれたことがなかったように思う。
ただ流れにまかせてふわーっとやってくることができた。



孤児院に関わるようになってから離婚するまで代表は前の夫だった
ので、建前上とはいえ私はいつもナンバー2だった。
離婚して組織の代表となって間もなく2年。

私がトップで大丈夫なのか。
日本人の私がカンボジアの子どもたちにどこまでの責任を果たせるのか。
自分自身の今後、息子の進学は・・・。


今になっていろんなことが頭をめぐる。
やっぱり私ってのんびりしてるみたいです(笑

今頃になって改めて自分の背中に乗っているものの大きさを感じて。


「いままでと、これからと」の、はざまにこんな時期もあるのかな?
和歌山絵画展が始まったらきっとまたそれにのめり込んであっという間に
カンボジアに戻る日になるんだろうな。


一人で全部考えるのってけっこうしんどいですね。

あれ?結局これって弱音吐いてるだけ?(笑


うーーーん、いつも通りのわりと能天気な自分に戻したい・・・。

楽しい事、考えよう。





2012/06/10

がんばってくるね

部屋で一人、仕事をしながら「今日はもうご飯食べなくていいかな」なんて
思っていた時、卒業生から電話がありました。

「思ったよりも仕事が早く終わったんですが、おかあさんはヒマですか?
そろそろ日本に帰る時期だし、一緒にごはんでもどうかなと思って。」


「急がずにゆっくり来て下さいね」
と、そんな心遣いをみせてくれるのは卒業生のラーヴォ。
彼は現在シェムリアップにある旅行会社で専属ガイドとして雇用してもらって
います。

しばらくしてからまた電話。

「パナーやサヴィーも呼んだんですけど、いいですか?」

この二人も卒業生。
彼と同じ会社でガイド、事務の仕事をしています。

久々にみんなで一緒にご飯、と思うと早く行きたくなってしまったのですが、
先日お泊まり遠足した際の写真の焼き増しが終わっていて、仕分けして
早く子どもたちに渡してあげたいこともあり、スタッフと一緒に作業していま
した。

約束の時間よりもかなり遅れて行った私を待っていたのはラーヴォとパナー。
サヴィーは?と訊くと、ちょっと出かけると言ってどこかに行ってしまったとのこと。

「どこいっちゃったんだろうね」
なんて笑いつつ、食事を始めました。

近況を語りながら、冗談も交えて楽しい時間を過ごしましたが、この間の
会話はすべて日本語です。
ラーヴォはこれまでTV番組のコーディネートも任せてもらったりして、日本の
有名な俳優さんなどの通訳経験もあります。
パナーは学生さんのボランティアツアーで農村にいって通訳をすることが多い
のですが、施設にいるときからちびっこに人気のお兄ちゃんだっただけに
村でも子どもたちから慕われているという話に納得。


息子も一緒に行っていたのですが、ひとりっこの彼はたくさんの子どもたちに
2歳のときから世話をしてもらい、今ではおにいちゃんの役割もさせてもらえる
環境にいます。

結局サヴィーはそのまま戻ってこなかったけど、それも妙な気づかいなく
「ほんとにあの子はしょうがないねえ」と、みんなで笑っていました。
まるで気ままな末っ子を笑うように。

私がカンボジアに来たばかりで、なにをどうしたらいいのか手探り状態
だった頃に育った子たち。
ゼロから家族のような関係を積み上げて行った最初の世代です。


特別なことはなにもないけど、仕事が終わって一段落したときに「あ、おかあ
さんを誘ってみよう」と自然に思ってくれたことに幸せを感じました。

子どもたちの絵を持って行って開催する絵画展のための帰国を前に
気合を入れるよい時間をもらいました。
この子たちが私を見てくれている、施設が変化していく様子を一番わかって
くれていると思うと、ものすごく元気になりました。

今度はサヴィーも一緒に(笑

私よりも貫禄のあるラーヴォ(笑 
色黒のパナーの横でなんちゃって色白な私(笑




2012/05/27

気がつけば


今日はちょっと用があり、夜の自習時間にみんなが勉強している
食堂に降りて行きました。

そばに座っていた女子軍団が、

「おかあさんってまだ若いよね~」
「そうそう年の割に若く見えるよね~」

うれしいのかなんだかよくわからないことを勝手に言っています(笑

ちょっと離れた場所でおにいちゃんたちも微妙な笑顔で見ています。


「おかあさんがほんとは何歳か知ってるの?」
と、訊いてみると、

「知ってる、知ってる!」


39歳!!!


「えー、違うよ38歳でしょ~!」



こらこら、私はまだ37歳ですよ・・・(苦笑




で、私が笑いながら「まだ37歳だよ」というと、

「あ、村のおかあさんと同じだ!」
「あ、私の村のおかあさんも!」


へぇぇ、そうなんだ。

たしかに私がここに来たばかりの頃は、10歳前後の子どもたちに
「おかあさん」と呼ばれることに若干違和感もありました。
なにしろ自分の子どもがまだ2歳だったわけですから。

村のおかあさんと私が同い年だという女の子たちの年齢はいずれも
私も息子と同じくらい。13歳から15歳くらいでした。


やっとここにいる子どもたちに「おかあさん」と呼ばれてしっくりくる年齢に
なったんですね、私。


都合よくいつまでも勘違いを続けそうでした(笑


ここに来たばかりの頃、「早くみんなにおかあさんと呼ばれても違和感の
ない年齢になりたい」と思っていたことも思い出しました。

気がつけばもうそうなっていたのですね。

あの頃、殴り合いのケンカの仲裁に入ったり、反抗期の子に無視されたり、
子ども同士仲が悪くて思いやりもないとげとげした雰囲気をなんとか変えたい
と、一人で部屋で泣いてしまうこともありました。
息子もまだ2歳で話相手になるわけもなく(苦笑

なんで私はこんなに孤独なんだろう・・・・、と。


今ではみんなが本当のきょうだいのように仲良く暮らし、外国人の私を
怖がっていた子たちも冗談を言い合える関係となり、多くを語らずとも
その人がどんな人かを理解した上で付き合えるようになりました。

同じ時間を共にし、そこで真剣に向き合い続けること。
他人同士が関係を築いていくためにはそれしかないのかもしれないですね。

孤独を感じて泣くことなんて今はもうありません。
気がつけばそうなっていました。

私の歳を忘れていた子どもたち(笑)ですが、誕生日はちゃんと覚えて
いてくれていました。
ここ数年は東京の絵画展開催中に迎える誕生日。
カンボジアで子どもたちが覚えていてくれるんだなあと思うと、なんだか
また一層やる気がでてきました!

2012/05/08

苦手なこと その2

この前書きそびれた苦手なこと、その2です(笑


それは、写真を撮るときに笑うこと。

間違いなくひきつります(苦笑


みんなで撮るときはそのときの楽しさで笑えるんですけど、
改まって一人の写真を撮るとか、初対面の人たちと数名で
撮るときは全然だめです。


今プロフィール写真に使っているものは、カメラマンだった
友人が何十枚(いや、百枚以上かも)も撮ってくれた中の
1枚です。
コレ↓











この写真にいたるまで、変顔をしてみたり、友人が笑わせてくれたり、
一緒にいた別の友人とあほなことを言ってみたりして雰囲気を作って
ようやくこの顔です(笑


1対1だと笑顔もでるんですけどねえ・・・。
カメラに向かって笑ってる自分を客観視してしまうからダメなんでしょうね(笑



人前で緊張せずに話すことと、カメラに向かって笑顔になること。
私としてはかなり高いハードルです。

この写真も6年前に撮影したものなので、そろそろ変えないと詐欺ですよね(笑
近いうちにやってみようかな・・・

2012/05/04

苦手なんです・・・

今日は私の苦手なことを2つ書きたいと思います。
たくさんある苦手なことのうちの2つです。

一つは人の前でお話をさせて頂くこと。
おしゃべりは得意なのですが、改まった場所を設定して頂き
お話をさせてもらうことにいつまでたっても慣れません。

手には大量の汗(笑
さらにひどいときは手が震えてしまいます。

そんなのウソでしょう?とよく言われるんですが、まぎれもない事実です。


話し始めはなんとか大丈夫なのですが、ダメダメスイッチが入る瞬間、
自分でもわかるんです。
「あ、私緊張し始めてる」
と、自分で気づいてしまったが最後、一刻も早くその場から逃げ出したい
気持ちになります。


テレビ出演でインタビューを受ける際にはまったく緊張はありません。
なぜならディレクターさんとの対話だから。
相手の問いかけに的確に答えようとする作業は大丈夫なようです。
たぶんこの辺に克服のきっかけが隠されているようにも思います。

写真は今年初めてのお話の機会を頂いた際のもの。
近年はパワーポイントという便利なものを使用するようになり(笑)ずいぶん
話しやすくなったのは事実です。
というか、友人にはパワポなしで今までどうやって話してたの?と失笑され、
「身一つで」と答えると爆笑されました。


子どもたちに話すときもそうなのですが、私はきっと人一倍「自分の気持ちを
伝えたい」という欲求が強い人間なのだと思います。
かといって、がつがつするのは好きではない・・・、伝えたいくせに緊張する。
やっぱり変な人ですね(笑

顔は冷静でも脳みその中はパニックということは多々あり、表情だけをみて
いる人にはまったくわかってもらえないということもしばしば(笑


人に伝えていくという作業について、もっともっと修行が必要です。
ちょっと高めの声の男性となら声の低さには勝てる自信があるくらい
まったく通らない声質もコンプレックスの一つです。
どうすれば聞きやすい声の出し方ができるのかも知りたいです。

そのためには他の方の講演を聞きに行くことをもっとしたいのですが
カンボジア在住ではなかなかそれも叶わず。
日本滞在中にそんな機会があれば積極的に参加したいなと思います。
そしてこんな私にもお話させていただく機会を下さる皆様には本当に
感謝しています。


2つ書きます、と言ったにもかかわらず1つ目だけでこんなに長くなって
しまいましたので、2つ目はまた次回・・・。
結局まどろっこしくてこんなふうになってしまうんですよね(笑



* 上記記載の写真は兵庫県加古川市の永見保さんに頂きました。
http://trs-d.jp/kirari/
永見さんの運営されているサイトもご覧くださいね。

2012/04/18

ゆっくりゆっくり

今年のカンボジア正月は4月13日から15日。
初日は孤児院の子どもたちと遠足で人口貯水池
西バライへ。

お弁当を食べた後、嬉々として水に飛び込む子どもたちを
ながめつつ、最年長男子サイハーと一緒に遊びに来てくれ
ていた卒業生のサヴィーと話しました。

あと数カ月で高校卒業試験を迎えるサイハーが

「僕は小さい頃おかあさんがなんであんなに口うるさく
叱るのか、めんどくさいなあと思っていました。」

と言います。

うんうん、とうなづく私とちょっと笑いながら聞くサヴィー。

サイハーが続けます。

「でも・・・、だんだん大きくなって高校生になった頃から
おかあさんのいうことは本当だ!と思うようになったんです。
それは本当に僕たちの将来のことを考えて厳しくしている
んだなとわかって、それからはめんどくさいと思いません。」


ふふふ、と笑う私。


そこにサヴィーが続けます。

「でもね、サイハーくん、働き始めたらそのことがもっとよく
わかりますよ。」



気づいたら、向こうで水浴びに興じる子どもたちがにじんで
見えていました。


そう、ゆっくりゆっくり、子どもたちとの心の距離もこうやって
縮めて、関係を築いていきたい。
わかりづらいかもしれないけど、それが私のやり方です。

子どもに限らず、すべての人間関係は共有体験や過ごす時間、
会話の内容によってその深さを増していくか、さらに希薄に
なってしまうのかが決まっていくような気がします。
それが正しいとか正しくないとかいう話ではなく、私はそういう
ふうに築いていきたいだけなんです。

かわいそうとか、気持ちがわかるとか、簡単に言えない。
ただ大切に思う相手であればあるほど、大事なことはしっかり
伝えたい。
それが私の愛情表現でもあります。

特に一緒に暮らす子どもたちに対しては、手を抜かずにいき
たいと思っています。

愛する人すべてが健康で力強く、時には誰かと支え合い、
少しでも前進できる、そんな1年になりますように。
カンボジアの女神さま、よろしくお願いします(笑

2012/04/02

甲南大学広報誌「甲南Today」

3月末に発行、発送された甲南大学広報誌「甲南Today」。

在校生と卒業生の方々だけが読めるものだと思っていたのですが、
ウェブ上で閲覧できるようです。

http://www.konan-u.ac.jp/kouhou/pdf/today41.pdf

19・20ページで私が紹介されています。


写真が大きくて恥ずかしいですね・・・。

それ以外の記事でも、以前このブログでご紹介した同級生が企画した
「神戸ぶたまんサミット」のことなど、興味深い記事がたくさん。
やっぱり甲南生でよかったなあと思いつつ読みました。

今年の夏も必ず甲南大学に行くのですが、そのときは所属していた
器械体操部の練習をのぞきに体育館にも足を運びたいなと思って
います!

2012/03/30

3月が終わってしまいます ~関係づくりについて・・・~

このブログを始めた頃に書きましたが、私はたいていが3日坊主。
できるだけきちんと更新したいです、と宣言したものの気がつけば
3月はなんの更新もしないまま終わってしまいそうなことに気がつき
ました。


ここのところ年度末ということもあり、なにかとばたばたしていたと
いうことを言い訳にさせて頂きましょう(笑

2・3月は年間を通しても夏と並んで訪問者の多い時期です。
ぼんやりしないように毎朝5時半には起きるように心がけています。
私の部屋からは残念ながら朝日は見えないのですが、空がだんだん
明るくなってくるのは6時前ごろでしょうか。
薄いピンクの空、どんより曇り空、びっくりするほど赤い空のときも
あります。
毎日違った顔を見せてくれる空の色の変化を見ながら、「今日も
ぼちぼちがんばるか・・・」と若干脱力気味で動き始めるわけです。


















ほんまに起きてるん?と思われないために写真UP(笑

明け方はこんなにきれいな空も、午前8時を過ぎればほぼ同じで
40度近い気温と照りつける(というか、焼きつける?笑)日差し・・・。
笑ってしまうほど情緒のないカンボジア。
慣れたのか愛着がわいたのか、今ではそんな気候にも嫌気よりも
微妙にほほえましく思っている自分に気づいたりします。


人との関係づくりと同様、私とカンボジアの関係も12年の歳月を
かけてゆっくりゆっくり構築されているようです。
すぐに「好き!」とか「大切な場所!」なんてとてもじゃないけど言え
ませんでしたが、この関係ものんびりゆっくり進めてゆきましょう。

私がまどろっこしいので人間関係ができあがる前に去ってゆく人も
いるのは確かなのですが、お互いに違う人格、まったく同じ人なんて
この世にはいない、相手を理解したいと思えるようになってはじめて
問題が起きた時も思いやりをもって対応できるようになるのではない
かなと思います。
(この考え方は父親の影響だと思っています)
逆もしかり。
周囲の人にそう思ってもらえる自分でいられるように・・・。

あんまり急いでも仕方ない、そんな自分だから仕方ない(苦笑



☆おまけ情報
4月1日午後6時35分~10時 TV東京「日曜ビッグバラエティ」
午後6時50分ごろにちょこっとだけ私が出ます。
施設の高校3年生女子スレイニーも一緒に。

昨年6月に出演させて頂いたのと同じ番組。
そのときのディレクターさんがまたこの番組でシェムリアップ在住の
他の女性の取材に来られたのです。
その女性とは、「クル・クメール」というアロマ製品の製造販売をされて
いる篠田ちひろさん。
私と同じ25歳でカンボジアに来られて3年が過ぎたそうです。

同じ番組内で、アンコール小児病院の赤尾和美さんも登場します。
私は和美さんが大好きで、NGOの先輩としてとても尊敬しています。
カンボジアの子どもに対する医療環境の改善、スタッフの育成など
彼女のこの地での貢献度ははかりしれません。

二人ともとても素敵な女性です♪

2012/02/17

友人の著書紹介

山川徹、私の友人でフリーランスライターをしています。

山形県出身の彼が来月、東北の震災に関する本を出版します。

ちなみに彼はいつも私に厳しいことばかり言う、例のあの人です。


彼との出会いは2000年。
私がシェムリアップに住み始めてすぐの頃でした。
あれから12年。
学生だった山川君は当時話していたとおり、ライターになり、この
本が3冊目の著書となります。


















「東北魂 僕の震災救援取材日記」
山川徹 著
亀山亮 写真
東海教育研究所 発行
2012年3月2日発売


本のあとがきには私のことも書かれています。

山川君は悪友なのであまりほめたくはないのですが、この本に
限ってはほめます。
よく取材し、現場の人と関わり、様々な思いを込めて書きあげた
内容に心打たれると思います。

私も早く手元に置きたい一冊です。


2012/02/11

今年もTVに出演させて頂くことになりました

冬の一時帰国中のある日、TV制作会社の方から1通のメール。

2月に放送予定の番組への出演依頼でした。


いつも思うのですが、みなさんどうやって調べてらっしゃるんでしょう。
カンボジアでNGO活動している方は他にもたくさんいるし、カンボジア
だけではなくて世界中にいろんな日本人が散らばっている今の時代。

それにしても毎年のようにこんな機会を頂けるのはありがたいことです。

TVに出演させて頂く事は新しいご縁を頂くことでもあるのですが、
やはりこれまでの支援者の方や以前から孤児院を知って下さって
いる皆さんに今の活動や子どもたちの様子を見て頂けることが一番
うれしいですね。

私が一人でこつこつ書くブログよりも、映像で視覚から入る情報の
ほうがはるかにわかりやすい面があります。


今回は孤児院の10年の積み重ねが今どのような形になっているのか
ということをお伝えできたらと思って、制作関係者の方にもその点を
ご相談させて頂きました。
もちろん、撮影も編集もみなさんプロですから完全にお任せしています
ので、私も内容詳細はまだ知りません。
どんな番組になっているか、とても楽しみです。


「未来へのおくりもの」 2月11日(土)
BS-TBS 午後10時から10時54分

ご自宅でBSが見れないという方も、放送後ウェブ上で動画配信も
あるそうです!
動画配信サイトは下記。


子どもたちや卒業生、今のローカルスタッフたちの様子をたくさんの
方にご覧頂けたらと思っています。

いつも応援して頂き本当にありがとうございます。

2012/02/08

大変が大変じゃなくなること

先日、地球の歩き方ツアー「スナーダイ・クマエを訪ねて」で
大学生の皆さんが施設を訪れてくれました。

最近は訪問時に私が不在となることが多かったのですが、
前回は子どもたちとの交流時間を見学させてもらいました。

そのとき一人の参加者の女性とお話する機会がありました。


彼女が私に訊いてくれたのです。
「カンボジアに住んでいて、大変なこと多いですか?」

たしかに文化も習慣も違うカンボジアに10年以上住んでいると
この質問はよくされますが、なにを大変と思うか、なんですよね。

停電はしょっちゅうあるし、虫だってたくさん飛んでくる。
それだけでも大変で日本に帰りたくなる人もいるでしょうね。

子どもたちに自分の気持ちがすぐに伝わるわけでもないし、
スタッフとの意思疎通がうまくいかないことも多々あります。
それでも私の記憶にはそれが大変だったとは残っていないようです。


このブログで何度か書いたかもしれませんが、私は両親から
様々なことを教わってきました。
うちのお手伝いもそうですし、挨拶や言葉遣いにも厳しい親でした。
教えられたことをすべてきちんとできているかは別にしても、それは
今でも自分の頭と体にしっかり残っているんですね。


10年以上ここに関わるようになって、だんだん自分のやりたいことが
はっきりしてきました。
それはたぶん、伝えていくことなんですね。

自分が親から、あるいは自分の周りにいた大人、先輩たちから
教えてもらってきたことをここにいる子どもたちに伝えていくこと。


施設には子どもがたくさんいて、ただそれだけの状況で「大変ですね」
と声をかけて頂くことはよくあります。
でも私は・・・、自分のやりたいことをさせてもらっているのだと思うん
です。

じゃあ私にとって何が大変なことなんだろう、と。
彼女の何気ない一言からそんなことを考え込んでしまいました。

大変と感じることは日々あるんだと思うんですが、長い時間をかけて
それをとらえてみると、後日笑い話になることもあるし、深い学びの
きっかけになることもあります。
だから大変なこともあとになればどんなことも自分にとって必要な
経験だったのかなと思います。


これまでに、先に生きてきた人たちからもらってきた言葉などを基礎に
して、実際の経験があり、そこから自分なりの価値観を作りだして
いくわけですよね。

そう考えると私の基礎を作ってくれたのはやはり両親です。
自分だけがもらうものをもらい、他の人にそれを渡していかないのは
ずるいんじゃないかなと思うんです。

だから、施設で子どもたちやスタッフに伝えたいことを伝えようとする
行為はやっぱり自分のやりたいことなんですよね。


私はよく、そんなに気長に物事を考えられるね、と言われるんですが
あまりに短い期間で結果だけを求めるのは性格に合わないようです。
もちろん、どうでもよいと思う相手には冷淡なほどに無関心になる
性格でもあるのはわかっています(笑


今回、この女性と話していて彼女があまりに素直な反応を見せてくれる
ことに実はとてもうれしいと思っていました。
私の中に今の若い人たちは物事を分かったようにとらえて、他人の話を
聞かない人が多いという思い込みがあったからなんでしょうね。

かつての自分だってそう思われていたかもしれないのに(笑


関心を持って、素直に耳を傾けること。
自分が得たものは自分の周りにいる大切な人とわけあっていくこと。
つまり、伝えていくという作業をこれからも続けていきたいですね。

よくしゃべるねーと言われることの多い私ですが、伝えたいことが
多すぎてそうなってしまうのかもしれません。
思い返せば子どもの頃、親が話してくれることを聞いて自分がどう
思ったのかを返すのが好きでした。

もっともっと子どもたちに伝えるものを得るためにも、これからも
関心を持って物事に取り組んで、自分のものにしていきたいなと
思います。

2012/01/04

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。

気がつけば年が明けてもう4日経っていました。
今日から仕事始めの方も多いかと思います。

私はまだ実家の和歌山でゆっくりさせてもらっています。
今年の冬はいつもよりかなりのんびり過ごしています。

今年から孤児院で新しいことを始めようと思っています。
まだ準備段階なので、また改めてお話したいと思いますが。


子どもたち、スタッフ、私も施設にいる中でたくさんの学びがあります。
失敗もしますがそこから次の段階にいけるような環境でありたいと
思っています。

つまりそれは、スナーダイ・クマエという施設そのものの成長でもあると
言えます。

私にとってスナーダイ・クマエは自分の子どものようなものだなと思う
ことがここ数年多いのです。
団体もそこに関わる人の手が入り続けることで生き物と同じように成長
していくのだなと思います。


今年、スナーダイ・クマエがどんなふうに変わっていけるか。
そこに自分がどのような関わりを持てるか、感謝の気持ちを忘れずに
ときどき自分を客観的に見つめながらまたこの1年がんばろうと思います。

どうか今年もよろしくお願い致します。
皆様のご健康とご多幸を心からお祈りしております。