2014/12/02

海南市民講座 【これからの生き方と逝き方】

11月29日海南市の福祉センターで開催された市民講座でお話しする
機会を頂きました。
今回はいつものようにカンボジアのお話ではなく、9月にすい臓がんで
亡くなった父を自宅で看取った経験をお話しするというものでした。

福祉センターは何年も前に華道講師であった母が華展をさせてもらった
ことがある場所です。
華展終了後に一枚ずつ手書きで来場者の皆さんにお礼状を書いていた
母をふと思い出しました。
母は父よりも9年早く急性心不全で他界しています。

この日は一緒に看取りをした姉と共に話をすることになっていました。
これも初めてのことで、前夜に軽く打ち合わせをしましたがどうなるかは
わかりませんでした・・・。

登壇される皆さんと事前の打ち合わせを少々したところで時間になり会場に。

大盛況
客席にはたくさんの方がいらっしゃって、後ろの方で職員の方が新しい椅子を
準備されている姿が見えました。

それでもまったく緊張しなかったのは不思議です。

いよいよ自分たちの番になりました。
資料に従って話すように準備していたため、すらすらと言葉が出ました。

父の逝き方~家族、周りの方と共に~というタイトルで
写真にもありますが、ガンがわかってから、それについての話し合い、その後の
自宅での介護から看取りへの流れとそのときどきの私たちの気持ちをお話し
しました。

父がガンとわかったとき、なんでうちのお父さんが・・・と思いました。
母が急性心不全で亡くなったこともいまだになぜという思いが消えることは
ありません。

父がガンの治療はしないと決めたこと、それを家族で全力でサポートすると姉と
話し合ったこと、信頼できる医師と看護師に出会えたことがよい看取りができた
要因だというお話をしました。

父は若いころ遊び人でとにかく母に迷惑をかけてばかりの人でした。
私も姉も父が嫌いでした。
一言で遊び人と言いますが、想像を超えた遊びをする人でした・・・。

どうしてそんな父を私たち姉妹が全力でサポートする気持ちになれたのか。
先に亡くなった母から託された気持ちがあったからではないでしょうか。
父がこうして家族に自宅で看取られて逝くことができたのは、母が父を見捨て
なかったからだと思います。
そして母の急逝というつらい体験があったからこそ、父の時は精一杯悔いなく
できることをしようと思えたのでしょう。

そんなことを思うにつけ、母の愛というのは深く、大きなものだったのだと感じます。

母がそこまで見越していたのかどうかは誰にも分らないけれど、そうやって
自分なりに答えを見つけることで愛する人の死を受け入れていくのだと思います。
完全ではないにせよ、私は母の死を受け入れるのに10年かかったことになり、
受け入れることに手を貸してくれたのは父の看取りという体験でした。
結局は両親の大きな愛の中に自分はいるのだと思います。


介護をする姉に「ありがとう、すまんなあ」と言っていたという父ですが、私にはそんな
ことはなかなか言ってくれませんでした。
昔から私には娘というよりは息子に接するような父でした。
父を最期まで看てくれた新垣医師の手紙には、カンボジアから私が戻った時
前日まで80しかなかった血圧が100まで上がったエピソードが書かれていました。
言葉にしなかったけど、私がいたことを喜んでくれたのだと思います。

病気になってから父が何度も私たちに言ったことがあります。それは「きょうだいで
仲良くするように」ということでした。
とにかくそのことを気にかけているようでした。

何をするにしても正反対の姉と私ですが、それゆえにないものをお互いに補える
のかもしれません。
若いころは自分と違う姉にいらだったり、喧嘩もしましたが、きっとこれからは
仲良くやっていけると思います。
とはいっても、もともと仲が悪かったわけではないのですが・・・。


会場の真ん中最前列に私が尊敬する岩崎順子さんが座っていました。
この夏、私が本音を話せるように、父の命がある間に本音でカンボジアのことを
人前で話せるようにとその機会を設けてくださったのが岩崎さんでした。
父は当日会場に来る体力はなかったけれど、私の友人が撮影してくれたDVDを
うちで見てくれました。
『ええトークショーに仕上がったな』と言っていました。
私は父と最後にかけてもらった言葉がどうしても思い出せないので、この言葉を
最期の言葉だと思っています。
この日終始落ち着いて話せたのは岩崎さんの顔がずっと見えていたからですね。
岩崎さんのブログ


人前で話す経験など皆無の姉が緊張しながら少ない言葉で一生懸命話すのを
横ではらはらと見ていました。
できるところは助けたつもりで、結果的にほとんど私が話すことになりました。

きっと私たち姉妹はこれでいいのだと思います。
なぜならどちらも自分にもっていないものがあるのに、お互いにそこに嫉妬する
ことなく素直に違いを受け入れているからです。
そんな気持ちを持てる姉妹に育ててくれた両親に感謝したいと、改めて思いました。


若いころ滅茶苦茶だった父ですが、その中にも譲れない信念のようなものを
持った人でした。
いつ死ぬかわからんから好きなことをするんや、とよく言っていました。
一方仕事で人に迷惑をかけることはなかったように思います。

そんな父の生き方を、最期の逝き方につなげることができたのが私たちの
看取りの経験だったのです。
つたない話だったのでどこまでそれを皆さんにお伝えできたかわかりませんが
私自身も大変有意義な時間を頂いたと思います。

関係者の皆様、ご来場の皆様、ありがとうございました。
もしまた海南の皆さんのお役に立てる機会がありましたらぜひ参加させて
頂きたいと思います。
ずっとカンボジアで、日本の皆さんにお世話になりながらカンボジアの子どもへの
活動をしてきた私が、ようやく日本で何かを還元させて頂けるときを頂けて
心が救われる思いです。

ありがとうございました。





2014/11/21

おなじときを歩んで2

今日もチョムランのことを書きます。


彼がここに来た時は一生懸命虚勢をはって「自分は何も怖くない」と
いいながら夜に真っ暗な建設中の敷地内の建物の中に入っていったり、
誰とも仲良くしようしなかったりしていました。

標準よりもずいぶん細くて小さい体でそんなことをする彼を見ていると
とても悲しくなったのを覚えています。
ここでそんなことしなくてもいいんだよ、と心の中で思いながら当時クメール語
がまったくできなかった私は言葉ではない表現を選ぶしかありませんでした。

そして髪や体の洗い方すら知らなかった彼を自分の息子(当時2歳)と共に
シャワー室で洗ったり、爪の切り方を教えたり・・・
まずは自分の身の回りの基本的なことができるように、実際に私がやって
見せながら教えました。

そんな日が続いたあるとき、夕方だったと思います。
外に座っていた私にチョムランがトコトコ近づいてきました。
なんだろうと思っていると、横に座りこう言いました。

「おかーしゃん」

彼が初めて発した日本語です。

私は驚きつつもうれしくて、チョムランの肩を揺らしながら「もう一回!もう一回!」
と日本語で言いました。


そんなチョムランが今では日本語でスピーチを書くまでになったのです。

幼い頃のチョムラン、私の息子と共に
私はチョムランの原稿を読んで一人部屋で涙を流しました。
つたない日本語の中に、両親への「なぜ?」という思いや、スナーダイ
クマエを本当にいいところだと思ってくれている気持ちが詰まっている
ように感じられたからです。

生まれる場所や環境を自分で決めることのできないのが子どもです。
どんな大人に囲まれ、どんな言葉をかけられて育っていくのか、それは
一人の人間のその先を決めていく重要なカギになると思います。

それはチョムランだけではなく、他の子どもたちもみんな同じ。
そしてうちにいる子どもたちはみんなそれぞれに家族や村での出来事に
対する思いを持っているはずです。

私たちは起きてしまったことをなかったことにはできません。
でもそれはそれとしてこれから新しく前を向いていくために、少しだけ
背中を押すことはできると思っています。
それぞれの思いを簡単に「わかるわかる」などということはできないけれど、
これから先は一緒に歩いていく人がそばにいるよということを発信する
ことはできますよね。


私はスナーダイクマエにいる子どもたちにそんな気持ち、まなざしをむけて
やってきました。

あいかわらず勉強が苦手なチョムランですが、なにがあってもあなたの
味方だよという気持ちはずっと伝え続けていこうと思っています。

私もチョムランの言うように、がんばります。









2014/11/19

おなじときを歩んで1

一人の男の子がスピーチ原稿の添削をしてほしいと持ってきました。

チョムラン18歳。
今年から高校1年生になりました。
まずは彼の書いたスピーチを読んで下さい。

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「まけないで」

私は貧しい家族に生まれました。私の両親はいつもお酒を飲むので
子どもたちの将来はどうなるのかということを考えませんでした。

ある日私の両親はお酒が欲しいけどお金がないので買うことができ
ませんでした。
お金が欲しかったので子どもがいない家族に、「子どもが欲しいですか?
欲しかったら私の子どもを売ってあげるよ。」とききました。
私の両親にとって自分の子供は大切なものじゃなかったのでしょう。
たぶん動物と同じと思っていたと思います。
どうして私の両親は自分の子どもを売るのか私は知りたいです。

私のきょうだいは5人います。4人は両親が売りました。でも私は運が
よかったのです。おばは両親が子どもを売ってしまったことを知ってい
ました。
そのときおばさんは両親を叱りました。「なんで自分の子どもを別の
家族に売ってしまうの?」
おばさんは両親と話してから私を自分の家に連れて帰りました。

おばさんの生活はあまりよくないので私の将来を考えて「スナーダイ・
クマエ」という施設に連れていきました。
そこは子どもたちの将来のために無料で勉強をさせるとてもいいところです。
「スナーダイ・クマエ」に私を送ってからおばさんは家に帰りました。

そこに入ってから英語や日本語などを勉強させてもらって本当にうれし
かったです。
それからもう14年です。今、私は18歳で今でも「スナーダイ・クマエ」に
住んでいます。
毎日勉強を頑張っています。

初めてここに来てから今まで日本人のお母さんが色々なことを助けて
くれています。彼女に恩返しがしたいので私は一生懸命お手伝いとか
勉強とか色々なことをがんばっています。今は日本語の先生がいないので
自分で勉強します。
話したいときはできるだけ話します。先生がいなくても自分でがんばったら
いつかできると思います。

皆さん、じぶんがやりたいことがあったらやってみてがんばって下さい。
なせばなると思います。皆さん、なんでも負けないでがんばりましょう。

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私がシェムリアップに住み始めたのは2000年。
そして私が初めて自分の判断で施設に入れた子どもがチョムランです。
当時5歳と言われていましたが、生年月日もわかりませんでした。
(カンボジアでは今でも農村部に行くと生年月日不詳のことが多いです)

私は「この子は実家が貧しくて売られていたんだ」と聞いていました。

今のカンボジア生活はこの子が入ってきたのとほぼ同じに歩んできた
とも言えます。

チョムランは体は小さく、学校の勉強も苦手でした。
小学校は何度も落第し、中学校の卒業試験にも1度落ちています。
それに合格できないと高校に進学ができないので、そのときに彼にきいた
ことがあります。

このままもう一度中学3年生をするのか、職業訓練を受けて働くか。

チョムランは迷いなく「僕は勉強したい」と言ったのを覚えています。
勉強が苦手で、成績も悪く、試験で落ちることもよくあった彼ですが
学校も勉強も「嫌い」ではなかったのですね。
私は「もう一度だけ中学校に行ってもいいけど、今度試験に落ちたら
将来についてもう一度私と一緒に考えましょう」と答えました。

限られた予算の中で子どもたちを養育し、そんなに余裕のある運営をして
いるわけではありません。
もちろんチョムランもそのことはわかっていたと思います。

そして2度目は卒業試験に合格し、高校生になることができたのです。
彼よりもずっと後でここに入ってきたラタナーと同じ学年になりました。



ちょっと他の用ができて席を離れるので、また次回続きを書きます。






2014/10/18

これからの『生き方と逝き方』・自宅での看取りを家族と共に考える

もう1か月以上日本におります。
実は先月16日に父が亡くなりました。

この夏、体調不良で入院した父でしたが、検査の結果は末期のすい臓がん。
年末まで命があるかどうかと言われていたのが、その1か月後には9月いっぱい
までもつかどうかだと余命宣告を受けていました。

本人は詳しい余命を知りませんでしたが、がん告知はされていました。
がんだと知ったときに、がんの切除手術、放射線治療は拒否しました。
唯一抗がん剤だけは渋々受け入れたものの途中で「薬に負ける」と言って
服用を自分でやめました。
とにかく自宅で好きなように動き、食べ、家族と過ごしたいということだったので
痛みをとることだけに専念し、自宅でも使用できる鎮痛剤をもらっていました。

私たち家族は父の願いを叶えることだけを考えて、相談し、サポートしました。

父には友人の開業医の先生がいて、全幅の信頼を置いていたので、自宅で
療養することになってからはその先生に往診をお願いしていました。
また在宅療養している患者のために訪問看護をしてくださる看護師さんにも
きてもらっていました。

いまだに本当にそれでよかったのかと思い返す日々です。
まったく悔いがないとは言えませんが、それでも先生や看護師さん、そして
父とずっと一緒に暮らしていた姉夫婦と共に父の最期をできる限りサポート
できたとの思いもあります。

父が亡くなった後のある日、訪問看護をしてくださっていた看護師さんからの
依頼を受けて、海南市民健康公開講座でお話をさせていただくことになりました。


第21回市民公開健康講座 これからの『生き方と逝き方』
2014年11月29日(土) 13:30 - 15:30 
海南保健福祉センター2階多目的ホール
海南医療センター・海南市保健課 共催

1部 市民フォーラム(13:40 - 14:30)
『自宅での看取りを家族と共に考える』
家族、医師、看護師の視点から4名が合同でお話しします。

2部 講演(14:30 - 15:30)
『住み慣れた場所で穏やかに逝く方法』
講師 紀の川市 坂口内科 坂口健太郎先生

参加費無料

問い合わせ先
海南医療センター地域連携室 073-483-8785
 
海南市保健課           073-483-8441


私たち姉妹と一緒にお話ししてくださるのは、父を最期まで看てくださった
新垣先生と看護師の奥田さんです。

カンボジアや関わっている施設のこと以外のこういった場所でお話をする
のはこれが初めてです。
私は自分の家族ががんになるとは思っていませんでした。なる可能性は
必ずあるし、それは自分の身に起きてもおかしくないことなのに、です。
病気に関する専門知識はもちろん、在宅の看取りに関する知識もまったく
ありませんでした。
そんな私たち姉妹がどのようにして父に寄り添い、最期までを看ることに
なったのか、またその際に受けた周囲からのサポートやその連携、そして
何よりもがん患者となった父本人の心構えとその生き様を皆さんにお話し
することで、どなたかの一助になるのであればと思っています。


私が昨年、今年と連続でトークイベントをご一緒させて頂いた
海南市在住の岩崎順子さん(がんが病気じゃなくなった日 著者、全国で
講演をされています)は、ご主人をがんで亡くされています。
父のがんがわかってからは、岩崎さんに数々のアドバイスをいただきました。
岩崎さんとの交流から生まれた具体的なエピソードもお話ししたいです。


きっと父は私たちがそんな役割をいただけることを喜んでいると思います。

9年前に先に逝ってしまった母を一緒に聞いてくれていると思って、当日は
貴重な時間を無駄にしないように精一杯務めたいと思います。


2014/09/05

過ぎたときから贈られてくるもの その3



施設を卒業した子どもたちはここで身につけたことや勉強したことを活かして
自立した生活を送っています。
ブンヤーはその子たちと自分の今を比べて、恥じているように思えました。

「おかあさんにずっと会いたかったけど、恥ずかしくて会えなかった」

そんな思いを抱えてもやっぱり会いたいと思ってくれたブンヤー。
思っただけではなく、本当に会いに来てくれたこと。
ときおり目を潤ませながら、昔のことや今のことを隠さずに話してくれました。


恥ずかしいことなんてないです、私にとって一度でもここで一緒に暮らした子は
みんな同じです。



最後に立ちあがったとき、彼を抱きしめて「ごめんね」としか言うことができま
せんでした。
彼は「おかあさん・・・」と小さい声で言っていました。

今年になって初めて小さい子どもを抱きしめることができましたが、それも
あってかブンヤーを抱きしめることに抵抗はありませんでした。
あのとき自分がブンヤーに対してもっとできたかもしれないことを
取り戻すような気持ちでした。




未熟さのために彼らに十分できなかった経験から、今の子どもたちに関わる
一つ一つを丁寧にしようと思うようになりました。
出ていってしまった子どもたちへの「ごめんね」という気持ちは今でも持ち続けて
いたことでした。
そのときの自分のいっぱいいっぱいでやってきたけれど、今の自分ならもっと
違う方法を考えたかもしれないと思ってしまうことがあります。



一つ一つの出来事に振り回されてしまうことが多いけれど、その集合体が
のちの大きな流れとなっていくことを思えば、何事にも丁寧に向き合おうと
思えるのかもしれないですね。
この再会が一層その思いを強くさせてくれました。



ブンヤーとは電話番号を交換しました。
これでまたいつでも会える、かな。
お互いにちょっとだけ歳をとりました 笑


なにもかもが精一杯だった20代の私よりも今は少しマシに、そんな自分に
なれていると思うので、またブンヤーとの関係を形作っていきたいと
思っています。



最後にずっと遠くもなく近くもない場所にいてくれたチョムランが言いました。
「おかあさん、ぼく、せんぱいとまたあえて、うれしいです」
チョムランの成長ぶりにブンヤーも驚いていました

ブンヤーが出ていったあの日が今日という日につながっていたことなど
そのときは考えることもできませんでした。
ブンヤーがくれた再会という贈り物に私はこれからどんな形で応えていけ
るのか、また一つここでのやりがいを見つけたような気持ちです。




(おわり)


2014/09/04

過ぎたときから贈られてくるもの その2


食堂のすぐ横にある語学教室には見慣れたチョムランの背中。
その背中にそっと寄り添うように一人の男性が座っていました。


ブンヤーーー!!

思わず名前を呼び掛けてしまいました。
あのときと変わらない笑顔で「コンニチハ」と日本語で挨拶するブンヤー。
少し大人になったような気がしたけれど、私にとっては前回の記事に載せた
写真と変わらぬ少年がそこにいました。

チョムランが何かを察するように私たちを食堂へとうながしてくれました。

ここにいた頃は学校の成績もそれなりによく、日本語の習得もなかなかの
ものだった彼。
残念ながら中学3年生で学校に行くことをやめ、うちを出て田舎に帰って
しまいました。
日本語は少し覚えていたものの、会話のほとんどはクメール語でした。


聞くともう今年で29歳になったとのこと。たしかに10年以上も経つのだから
当たり前なのですが。
うちを出たときは(もちろん両親の承諾がありました)実のお母さんからかなり
失望されたそうです。
そんな状況が耐えられなかったのか、その後彼は単身でタイに出稼ぎに
行ったと話していました。それも6年間も・・・。
今年に入ってカンボジアからの出稼ぎ労働者が数万人単位でタイ警察の
取り締まりにあい、強制的にカンボジアに帰還させられていましたが、彼も
その中の一人だったとか。

今は友人の手伝いでときどき車の運転をしているだけで定職はないと話して
いました。

私が離婚したことを告げると一瞬絶句して目を閉じていました。
そして開いた目には「でもどうしておかあさんは今でもここにいるの?」と
問いかけているようでした。

「みんなが助けてくれるからだよ。子どもたちが好きだし。」
尋ねられたわけでもないのに私がそう答えると、深くうなづいていました。


「なんで・・・ブンヤーはあのとき出ていったの?」
ずっと聞きたかったことを思いきって聞いてみたのはそんな会話のあとでした。

訪問してくる皆さんや講演を聞いて下さったことがある方はご存知かと
思いますが、私がここに来てから数年間は子どもたちの中でいさかいが
絶えませんでした。
それに漏れずに彼もどうしても仲良くなれない子がいたのです。

ある日その彼とブンヤーがケンカになったとき、ちょうど当時代表を務めて
いた私の元夫がプノンペンから施設の様子を見に来ていました。

勉強はできてもお手伝いなどをさぼり気味のちょっと悪ガキだったブンヤーは
深く理由も聞いてもらえずに一方的に謝るように怒られたというのです。

大人の前ではいい子を演じていた(とブンヤーは言います)仲の悪かった子を
日ごろから忌々しく思っていたブンヤーは謝ることができませんでした。


たしかに当時はそういったケンカがほぼ毎日、そして仲の悪い子たちの間には
交わることを拒むような見えない壁が存在していました。


私は前の夫と指導の仕方でよくぶつかりました。(悪口ではありません)
まずは話して聞かせるようにしていた私は前の夫から「そんなやり方は
ここでは通用しない」と小馬鹿にされていました。
それでも私は彼のやり方とは違い、怒鳴らない、殴らない、とにかく感情を
ぶつけて「怒る」ことはしない、と心に決めていました。

しかし一度かたくなに閉じてしまったそのときのブンヤーの心を開くにはまだ
十分な信頼関係がなかったのかもしれません。
古いスタッフなら知っていますが、私はまったく話さない子どもを前に何時間
でも話すまで待ったことが何度もあります。
でもそのときブンヤーはただ「田舎に帰りたい」と繰り返すだけでした。

あまり公言したことはないのですが、そのころ私は夫が怖かったのです。
感情的に怒鳴ることも多く、若かった私もそれに応酬することがよくありました。
そして次第に彼のそんな性格に疲れ(向こうも思っているでしょうね笑)
顔色を見ながらできるだけ怒らせないようにしてしまっていました。
彼のやり方に疑問があっても言えない、言ったあとの彼からの暴言で
自分が傷つくことを避けるようにしていました。



当時の様々な状況や私の未熟さも、ブンヤーが出ていく原因の一つだった
のだと思います。


(つづく)







2014/09/03

過ぎたときから贈られてくるもの その1

もう9月ですね。全然更新しないことをむしろウリにしよかと思う今日この頃。
マニアの皆様お待たせしました、約1カ月ぶりの更新です。


書こうと思っていることはいくつかたまっているのですが、すべてタイミングが
ありますので、何かが降りてきた瞬間でないとまったく筆が進みません(笑

思っていることはちょっとそのまま置いといて、今日書きたいと思ったことを
綴ってみます。
そして久々に連載形式にしてみようかと・・・。
そうすれば書かざるを得ないという・・・(笑
すみません、つべこべ言わずに書きます・・・。


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2000年4月末、まだ酷暑期の暑さの残るシェムリアップで私の新生活が
始まりました。
1998年から始まっていた施設の活動の中にいきなり入ってきたニホンジンの私。
子どもたちは25人前後いたと記憶しています。

あの頃ここにいた子どものほとんどが貧困農村出身、実家は子だくさんゆえに
養育ができないという理由で預けられた子たちでした。
「親がいるのになんで施設に来るのだろう」というのが正直な私の感想。

とはいえ、目の前に子どもたちがずらっといるわけで、そこから突き詰めて
考えている暇などありませんでした。

劣悪な衛生環境、栄養の不足した日々の食事、そしてなんといっても一緒に
暮らしているにも関わらずそれはそれは仲の悪い子どもたち・・・。

目の前の問題に対応するだけで終わっていく毎日でした。
今の施設を訪問した方にはまったく想像もできない、そんな場所。

2001年から2004年ごろまでの間に子どもたちがあいついで田舎に帰ってしまう
という事態が起きました。
親の都合で施設に入れられ、私が来たことで規則や時間割もできた暮らしが
窮屈だったり、あるいは一緒に暮らす子との折り合いがつかないなどの理由が
あったのだろうなと今は思います。
当時はなんとか環境をよくしようと必死だったので、そんな中で出ていってしまう
子どもたちに対して冷静にその心の中を見つめる余裕はありませんでした。



昨日の夕方スタッフが私を呼びました。

「博子さん、昔うちにいた子があなたに会いたいと訪ねてきましたよ」




数ヶ月前、あることがきっかけでその子と再会した卒院生のラーヴォから
こんな話を聞いていました。

その子とバイクで二人乗りしていたとき、彼はラーヴォに言ったそうです。

「おかあさんは元気にしているのか」、と。

そして、「僕のことは覚えてるか、会いたい・・・」、と。

ラーヴォは「おかあさんが忘れるわけがない、会いたければ会いに行って
みたらいい。きっと受け入れられるはずだから。」と答えたそうです。



彼とお別れしてからもう10年以上が経っています。
とても人懐っこくて、気がつけばそばにいたように思います。
感情がすぐに顔に出るので、誰かとけんかした時の険しい顔やうれしいときの
本当にニコニコした笑顔はよく覚えています。

当時のみんな
少しずつ仲良くなり始めた頃・・・
彼は写真の右はじ、黄色と白のしましまの服を着た子の後ろにいる
茶色いTシャツの男の子です。

少し緊張して彼が待つ階下の食堂に行きました。


(つづく)



2014/08/09

8月3日(日)トークショー@和歌山 番外編【父の感想】

昨年のトークショーには出席してくれたうちの父。
今年はちょっと来ることができず、友人夫妻が作成してくれたDVDを自室で鑑賞。

*友人夫妻は映像のお仕事をしています。
 詳しくはコチラのサイトで・・・→ スタジオなび

巨大絵画の子象の部分がパッケージに

見終わった感想。

「ええトークショーに仕上がったな」
「お前、ええ人に出会ったな」


以上。


笑 笑 笑



注釈:「ええ人」→トークで聞き手役を買って出て下さった岩崎順子さんのことです。

*順子さんのブログ 大きないのちのめぐりの中で
 ご主人をガンで亡くされた体験を軸にいのちについての講演を全国各地で
 700回以上もされている方です。




うちの父、いつもこうです。

最近は悩みを打ち明けることもなくなってきていますが(私が図太くなったとも言う)、
相談事をよくしていた時期の返信も簡単なものばかり。
一行だけ書いて、これをどう受け止めて自分で動くかが大事、みたいな・・・。

ものすごく理不尽で、腹が立って、くやしい出来事があった時も、

「お前のやってることはお前にしかわからん。誰にもわからん。」

と言われました、

ワタシ的な解釈で「誰にもわからん。(わからんようなアホは相手にすんな)」
という補足を勝手につけてみたり(笑




私が「お父さんに見てもらうことがメインでなびさんが編集してくれはったから、
私のアップ多かってんで」と言うと、

「そうか」と言って、にっこりわろてはりました。



忘れたらアカンのでここに書いておきます。




2014/08/07

8月3日(日)和歌山絵画展 岩崎順子さんと今年も・・・

ふう、気づけば前回の更新からおよそ1カ月・・・。
がんばって更新しまス的なことを何度も言っているような気がするのですが・・・(苦笑

たぶんそんなに数はたくさんいないと思いますが、このブログを読んで下さっている
マニアの皆さま、気まま更新ですみません。




今年の夏の絵画展、東京、神戸を経て、最終地和歌山も終了いたしました。

ふと思い返すと、すべての会場でトークをさせて頂くことになっていました。

東京、神戸は最初から決まっていたのですが、和歌山は本当に開催の直前に
決まったのです。
昨年トークをご一緒させて頂いた岩崎順子さんのご提案でした。
それも「私が聞き手になるから、博子ちゃんの心の中にあるものをみんなに伝える
ようなトークにしよう」と言って頂き・・・。

前回のブログに書いたのですが、東京の足立さんとのトークの後に「私でもお伝え
できることがあるかもしれない」と思えるようになってきていたので、順子さんの
勢いに乗って(笑)やらせてもらおうかなと。

たくさんの方が・・・
直前に決まったし、どのくらいの方が来て下さるのだろうかと思いつつ、どこかで
大丈夫と思っていたのは、順子さんがいたからです。
順子さんのファン、めっちゃ多いんですよ。だからこの写真に写っているのはほぼ
順子さんの関係者の皆さんです(笑

そしてもう一つの安心材料が、私の息子。ときどきブログに登場するあの息子です。
「ママ、明日はな、大丈夫、いっぱい人が来てくれるから」
根拠はわからないけど、前夜にそんな言葉をくれていました。
(当日140名ほどの来場者があったことを後に確認し、息子よ・・・と思いました 笑)


前置きが長くなりました。

トークはずばり、メアス博子心の奥底を語る~聞き手 岩崎順子 でした。
心の奥底というワードをくれたのは、カンボジア在住の友人でした。
普段は舞台の中心でお話をされる順子さんが「聞き手」になってくださると。
打ち合わせの雑談で私から出た話を細かくメモして下さっていて、それをもとに
構成を考えて下さっていたので、私はそれに乗っかる形で深い安心感の中で
自然に言葉を紡ぎだせたように思います。

施設の話をする機会はこの14年で数え切れないほど頂いてきたものの、
私の話を聞いてわかってくれる人はいるのかなとか、まだまだ他人様に話せる
ような経験はないよなとか思っていました。でも今回は話してもいいの
かもしれないと東京からさらに一歩進ませてもらえました。

前にブログに書いたエピソードで、子どもたちのことを14年経って初めて抱きしめる
ことができたという話があったのですが、そのことを順子さんがうながしてくれて
話すことができました。
でも自分でもなぜあのときにすんなり抱きしめることができたのか・・・わかるような
わからないような感じでいました。

皆さんの前で話したことで答えが見つかりました。


子どもたちが自分を大切にできるようになり、それを経て自分なりの愛情を
自分からの発意で私に向けてくれたときだったから。それを私がしっかり受け止め
ようという無意識の行動だったのだ、と。

ぎゅっと握り返してきた小さな小さな手、指の感触は今でも私の中に残っています。
それはきっと14年間の積み重ねが凝縮された感覚なんですね。
私が子どもたちにわかってほしいことの第一歩は「とにかく自分を大切に思って
欲しい」ということだったから。

もうひとつ忘れないのは、抱きしめたときの子どもたちのびっくりした顔(笑
やらないことを急にやったから・・・子どももびっくりだけど私もびっくりでした。


そんなひとつひとつのことを振り返り、新たな答えを見つけるきっかけにもなった
和歌山のトークでした。

うーーん、ブログにまとめて書くのは難しいですね。
1回のエントリーであまりに長文になると読むのも大変なので、今日はちょっと
ここでやめておきます。

また気が向いたら、今回のトークのことは何回かに分けて書くかもしれません。
(書きます、とは言わない 笑)

お世話になったすべての皆様、会場に足を運んで下さった皆様、ありがとう
ございました。








2014/07/11

7月6日(日)足立君江さんとのトークセッション

今年の東京絵画展も無事に終了し、なんだかとっても晴れ晴れとした
気持ちで和歌山に戻って参りました。

長年の支援者の方、施設を毎年訪問して下さる方、「施設には興味ないけど
私は博子に興味があるのよ!」と豪快に笑うご婦人(笑)、ボランティアツアーで
子どもたちとの交流を深めてくれた学生さんたち・・・

6年続けさせてもらっての開催で、こんなふうにいろんなタイプの方が一堂に
会す場になったことがとてもうれしかったのです。

その東京絵画展、最終日の午後からは写真家・足立君江さんとのトークセッション
が予定されていました。
足立さんとの出会いは2000年。
私が施設に暮らし始めて間もない頃のことでした・・・。
息子が哺乳瓶を加えて子どもたちの周りをうろうろしていた時期です(笑
足立さんはその様子も写真に収めて下さっていました。

そんな足立さんはこの14年間、毎年カンボジアに撮影に来られ、特に農村の
女性や子どもたちの様子を記録されてきました。
在住14年の私よりも村のことには詳しかったりします。

足立さんとのトークは実は2度目ということや、普段からもお付き合いのある
足立さんなので、私自身もかなりリラックスしていてやりやすかったです。
しかも会場の前列の方には知っている人の顔がずらっと並んでいて・・・
いつも普通に話しているような気持ちでその場にいました。

後ろにあるのは足立さんが撮影された施設の様子の写真
とはいえ、会場に来られた方の中にはうちの施設について詳しくない方も
いらっしゃるので、まずは活動紹介をさせて頂きました。
よくご存じの方もいるので、施設のハード・ソフトの両面を過去と現在の比較にして
お話することにしました。

その後は足立さんから撮影地である村でのエピソードを交えつつ、実際に撮影
された最新の写真を見ながらの説明。
住んでいる私でも知らないことも多く、話し手でありながら一番前で足立さんの
お話に引き込まれていました。
途中で足立さんが私にも話を振って下さるのですが、すっかり聞き手になってし
まっている私は慌てて話し手に戻り・・・(笑
そんなことが許されるのも旧知の仲の足立さんならではですよね。

そして今回会場に足を運んで下さった中に、施設を創立の時から支援して下さって
いる税理士の先生がいらっしゃいました。
過去と現在を比較する中で先生のご支援をご紹介できたのもよかったと思います。
現在図書室や調理室、子どもたちの交流場になっている建物を建設してくださった
のが東京在住の税理士、北島亮一先生です。
多額のご支援を長年継続されながらも、一度も自分の名前を出すようになどとの
指示はなく、この記事も私が勝手に書いています。
私が皆さんから「がんばっているね」「すごいね」と言われても絶対にうぬぼれては
いけないと思えるのは、先生のように黙って一番必要な経済的後方支援をして
下さる方がいるからです。
私は目立つ場所に身を置いているだけなのです。

子どもたちを安心した環境で育てられるのは先生やその他たくさんの支援者の方が
いるからであること、子どもたちにもそういった方々の気持ちを伝えていくことで
自分たちが大切にされていることを実感してほしいこと、そこから子どもたちが
自分以外の誰かを大切にできる人になってほしいこと、日ごろ思っているそんな
気持ちをこの場でお話できて、少しは恩返しをさせて頂けたかと思います。

北島先生はいつも税理士のお仲間と一緒に絵画展にお越し下さいます
初めてお目にかかったのは2000年、足立さんと出会ったときと同じです
人前で話すのはわりと苦手な方で(嘘つけ!というツッコミはなしで・・・笑)、いつも
緊張してしまうのですが、足立さんや会場に駆けつけて下さった皆さんのおかげで
今回はかなり落ち着いて話ができました。

施設に来たことがある人からも、ここまでゆっくりと話を聞いたのは初めてで運営の
ことなどもよく理解できたとの声も頂きました。

私などが話すのはおこがましいと思い続けて、なかなか踏み出せない領域
ではありましたが、今回こうして場を設けて頂くことで少し自信につながった
かもしれません。

ご協力下さった皆さん、ありがとうございました。
もし私がお話できる場があるなら、これからもカンボジア、スナーダイクマエを
通じて培ってきた大切なものについて皆さんにお伝えしたいと思います。





2014/06/28

帰国しました、そして絵画展です

帰国しました・・・・・・・・・・、10日ほど前に(笑


あー、もうほんま嫌になるけど全然ブログ更新してないです(笑

日本に帰ってきて、帰ってきて・・・、うん、まだ帰ってきたという感じがすると
ちょっと安心したり・・・。
でもシェムリアップに戻ると「帰って来たなあ」と思う自分がいたりして(笑

どっちやねん!と一人突っ込みです。



それはさておき・・・。


7月2日(水)~6日(日)まで、子どもたちの絵画展を開催します。
この夏は東京からスタートです。

日本アセアンセンターさんでの開催も早いものでもう4回目です。
2日(水)と6日(日)は午前10時から午後5時まで。
3日(木)・4日(金)は午前10時から午後8時まで。
5日(土)は休館日になります。


というわけで、帰国直後はその準備作業でばたばたしておりました。(言い訳)


今年で6年目になる子どもたちの絵画展。
始めた年はここまで続くとは正直思っていませんでした、というのは嘘で
私はずっと続けるつもりで始めました。

なんていうとえらそうなのですが、続けさせてもらえるイベントに、夏といえば
スナーダイクマエ絵画展!みたいになりたいなあというのは漠然と思って
いたのです。


何事もイメージから入る癖があるようで、しかも楽観的です。
根拠を聞かれると困るけど、始めるならば継続できるものをというのはいつも
心のどこかにあるようで・・・。
なんとなく、できるイメージがあります。(根拠はないです)

で、自分で「続ける~」というイメージを持つことによりプレッシャーを一人で
勝手に感じ、初日を迎えるまでは吐くほど緊張するという・・・(笑




周りの方々のお力添えと、子どもたちのあふれる想像力により今年も絵画展を
開催できるのは幸せなことですね。

今年はさらに東京絵画展の最終日7月6日(日)午後3時から、写真家・足立君江
さんとのトークショーも予定されています。

期間中、同じフロアで足立さんの写真展と共催させて頂くことになっています。

全部見たい!という方には日曜日の午後からお越し頂くことをオススメします。

その他の会場の予定は下記サイトにありますのでご確認ください。
↓     ↓     ↓
夏の絵画展 スケジュール

終日会場にて皆様をお待ちしております☆
今年もよろしくお願いいたします。







2014/06/14

雨季ですねえ

うっかり更新しないグセがまた出てしまいました。
前回からもう10日も過ぎているではないですか・・・。
すっかりに雨季になってはっきりしない空模様の毎日です。



今日は名古屋のトークイベントから思うことを少々・・・。

カンボジアから日本の方へのメッセージと言うテーマのイベントでした。

私は・・・
自分が特別なことをしているつもりはなくて、たまたまそれをする人が
少ない分野に身を置くことになり、周りの人たちとそこで一緒に生きている
だけなんだと思ってるんです。


今の仕事をしているのもゆるやかな流れに身を任せているとこうなって
いたような感じで、「カンボジアの教育を変えたい!」的な情熱派でもないし、
「カンボジアの現状を日本の人たちに伝えなきゃ!」という使命感にも
燃えていません。



私がやっていることは、人生において出会った人たちにできるだけ手を
抜かずに向き合うこと、なのかもしれませんね。
そしてそれはカンボジアでなくてもできることですね。
自分が身を置いている場所でそれぞれにできることはなんなのかを自分で
見つけていくことが大切なのだと思います。




会場に足を運んで下さった皆さんに伝わったかどうか不安ですが、
イベント終了後にメッセージを下さった方々が思いのほか多くいらっしゃって
かなり救われました。
ありがとうございました。




夏の東京や神戸の絵画展でも会場でお話させて頂く場を設けています。
素朴な内容になると思いますが、ちょっと立ち止まって自分と向き合う
機会にしてもらえるようなお話ができたらいいなと思います。

カンボジアにいるというと他人とはちょっと違う人生を送っているように
思われがちです。周りの人がそう思ってくれるのはいいとしても、それに
乗ってしまわないようにしたいものです。


雨季のどんよりした空の下にいるとなんだかネガティブな気分に
なってしまいますが、今年の夏も各地で皆さんに会えることを楽しみに
準備に励もうと思います。





子どもたちの絵画展の日程
2014スナーダイクマエ絵画展

絵画展でのトークの詳細は決まり次第お知らせ致します。



2014/06/04

立派になってはった人から再び・・・

1つ前の記事に名古屋絵画展でのどっきり再会について書きましたが、
その黒田君がもう一度紙面に絵画展のことを書いてくれました。


昨日の中日新聞夕刊に掲載されたそうです。

文章の書き方が新聞記者になってるなあと・・・(笑
実は黒田君、前の記事に書いたエピソード以外にも私を怒らせたことが
ありまして・・・
それがメールだったんですね(笑
メールの内容が当時の私にはとても偉そうで、自分勝手に見えたので
返信をしばらくせずに放っておくと言うひどいことをしました。
それだけ腹が立ったのかもしれないけど、大人げなかったですね(笑

そしてやっぱり返信しないのはよくないです。反省。ごめんね、黒田君(再

そんな彼が新聞で私や施設のことをこんなふうに絵画展と絡めて
とりあげてくれるとは思ってもいませんでした。


うちの子どもたちは他の人から「かわいそう」と思われる生き方はして
いないのです。
一人で泣いているときがあるかもしれないし、一人一人が背負っている
ものは私たちが簡単にわかるよといえることでもありません。

でも私にできることは、この施設に来たときを新しい一歩にできるように
ゆっくりと背中を押すことなんです。
あったことをなかったことにはできないけど、これから先のことは一緒に
作って行けるんじゃないかなと思っています。
そんな思いをゆっくりと聞いてくれて、文章に表してくれた黒田君に改めて
お礼を言いたいと思います。

ありがとう。

またね。


2014/05/28

立派になってはりました

今年の名古屋絵画展、中日新聞の方が取材に来て下さると言う
ことで記者さんと色々と会場でお話をさせて頂いていました。

「写真は別の者が来て撮影しますので」と言われていたのですが、
特別気にせずにいると、もう一人の方がやってきました。


・・・・・・

むむっ??

・・・・・・・・・・・・・

(私この人見たことある・・・ような・・・気がするけど・・・)

ちょっと一人で混乱していると、さっと名刺を差し出されました。

黒田・・・

クロダ・・・

はっっ!!!

「あのー、お目にかかるの初めてでしたっけ??」

控えめに訊いてみると、目の前にいる彼はニコニコしながら、

「いえ、初めてじゃないですよ~☆」



やはり・・・あのクロダくんかっっ!!



時はさかのぼって5年前、神戸で初の絵画展を行うということで、少し前に
ゼミの旅行で孤児院を訪問してくれていた立命館大学の学生さんたちが
お手伝いに来てくれることになっていました。

搬入作業が終わってから、絵画展を支援して下さっている皆さんとの会食
の席があり、ご好意で学生さんたちも招待して下さるとのこと。
事前にそれは伝えてあったのですが、一人だけTシャツ・短パン・ビーサン
の男子が・・・・

それがクロダくんだったんですねえ・・・(笑


ええ、ええ、もちろん私にこっぴどく叱られて、着替えて参加したのは言う
までもありませんが(苦笑
そのあとからは体調不良でお手伝いに参加することすらできず(どんだけ
怖かったんや・・・笑)

そのまま音信不通になっていたのでした・・・。



私はてっきり嫌われたと思いこんでいたのですが、クロダくんは私のことを
覚えていてくれたそうで・・・。
大学卒業後は中日新聞の記者になっていて、今回の取材があることを知り
他の方が担当する予定だったところをわざわざ交代して会いに来てくれた
とのことでした。


まさか5年後にこんな形で再会することになるとは・・・。


人生って面白い・・・、じゃなくて・・・、

ごめんね、黒田君。いや・・・、ありがとう、黒田君。


当時の学生さんたちと今でもその話が話題に上ることがあり、そのときは
どうしてるのかなあなんて思ったりしていたのですが、

彼は学生時代から言っていたジャーナリストになりたいという言葉をまさに
今実行しているところでした。

そして私に叱られた過去などなかったように・・・・
この笑顔(笑
翌日の中日新聞には彼が撮影した私の写真が・・・

写真が・・・・

って、これ爆笑顔やん!!!
記事の中心に据えられた私の写真は歯ぐき丸出しの爆笑顔・・・(笑

たまたまその日は黒田君の後輩に当たる子が絵画展のお手伝いにきて
くれていたのですが、一言つぶやきました。

「博子さん、仕返しされてますやん」


くーーろーーだーーーーーーーーー!!!(笑



そんな地味な仕返しをしてくれた黒田君とはその後連絡を取り合うように
なり、次回名古屋に行くことがあればごはんでも行きましょうねと話しています。


人の出会いってあとでどうなっていくかわからないものですね。
別れ方が気まずくても、タイミングやそのときの自分がしっかりできているかどうか
などいろんな状況によっては笑って再会できるんですねえ。

なにやら奥深いことを学んだ名古屋でした。


黒田君、立派になってはりました。

また今度笑って胸張って会える自分でいられるように精進します。












2014/05/22

カンボジア以前の自分をめぐる

例年になく5月にトークイベント、子どもたちの絵画展とイベント続きで
帰国中の私。
ありがたいことに帰国中は地元の友人たちや、大学時代の後輩などから
お誘いを受けます。

帰国してきたその日には高校時代の同級生、今ではお互いにお母さん。
そのあとは結婚して名古屋に住んでいる大学の部活の後輩。
そのすぐあとに同じく大学時代の部活の後輩と昼、夜と別々に。
そして昨日は高校時代から友人のおじさん(笑)2名。


私がカンボジアで施設運営をして、カンボジアの子どもたちにお母さんと
呼ばれるようになっても、カンボジア以前の私を知ってくれている人たちに
とって、私は旧姓の「おーまえ」もしくは「おーまえさん」。
私のやっていることを特別視せずに、普通に接してくれるのがうれしい。

後輩には、「自分が無知なのかもしれないけれど、カンボジアのことは
あまりよくわからない。それに日本にいても大変なことに向き合っている
人ってたくさんいるじゃないですか。」というようなことを言われて、私は
すごくうれしかったのです。

そうなんですよ、カンボジアでカンボジアの子どもたちにおかあさんと
呼ばれる日本人は絶対的に数が少ないから目立つけど、親として
日々子育てに向き合うのは日本にいるお母さんたちも同じ。
どこにいても自分にしかできないことはあると思うし、させてもらえる
喜びや幸せがあると思います。

別の後輩は仕事明けすぐに子どもたちの休日ということでアウトドアな
遊びに連れていくと行っていて、きっと彼にとってはその遊びが楽しみで
仕事を頑張れるのだろうなと思ってみたり・・・。子煩悩なパパっぷりが
ほほえましかったなあ。


高校時代の友人たちは、絵画展を手伝ってくれたり、あるいはそこには
あまり興味はないけど思い出したように呑みに誘ってくれたり。
でもみんなの前の私は「おーまえ」であることは変わりなく、会ったときに
特別カンボジアのことを詳しく聞かれることもなく(笑
とりとめない話や、近況をお互いに話し合います。


カンボジア以前の私、もしあの頃のいくつかの選択肢の中から違うものを
選んでいたらどんな人生になっていたのかな。

それでもきっと友達や後輩たちとの関係性はなにも変わってなかったん
だろうな。

カンボジアを選んだことで出会えた人たちがたくさんいて、私は自分の
選んだ道を後悔したことは一度もないけれど、もしかしたらそんなふうに
思わせてくれているのはカンボジア以前の私を知ってくれているみんな
の存在なのかもしれません。

自分の息子にも施設の子どもたちにもこういう誇れる友人を持ってほしい
なあと思います。
どこで何をしていても今の自分にできることをきちんとしていれば、いつでも
お互いに元気な顔を見せることができる。
そして大人になってからも新たによい出会いに恵まれるではないでしょうか。


実際に会った時間から戻って一人になるとしみじみとそんなことを思ったりして。


明日からの絵画展@名古屋、がんばるぞと、そんな気持ちをもらった時間
なのでした。



2014/05/12

好きな1枚

プノンクーレンにて
左はうちの息子、となりは現在美容師の専門学校に通っているユン。
プノンクーレン(シェムリアップにある聖地、みんなでよく遠足に行く場所です)に
行ったとき、ふと眼をやるとこの場面がありました。
ユンはまだ施設に来たばかりだったので日本語はできないはず。
うちの息子はクメール語ができるので会話しやすかったのかも。

時間を重ねることだけはどれだけ焦っても、先を行く人を追い越そうとしても
できないんですよね。
気がつけば14年も過ぎていましたが、こんな場面の積み重ねでした。

もちろん大きな出来事も色々とあったけど、それ以上に日常の何気ない日々が
たくさんあって、そんな毎日を過ごしてきたことが今の自分を形作ってくれたん
だなあと、この写真を見ながら思います。
本当にほっとした気持ちになるんです、この写真。





今週末18日(日)に名古屋で初めてのトークイベントをさせて頂くことになって
います。
特別なことをいきなり始めるということもあるかもしれませんが、一人一人
その場で与えられた役割を地道に積み重ねていくことがのちの自分を作って
いくことになります。
今やっていることを派手に宣伝することもできるのだけれど、、黙ってやってきた
ことを落ち着いて消化し、そこからお伝えできることを見つけていくほうが私には
合っているような気がするのです。
それぞれのやり方、進め方があるのだと思います。


名古屋ではそんな話や他の話も、ご一緒させて頂くお二人と共に内容の濃い
トークができたらいいなと思っています。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

5月18日(日) 13:00受付開始 13:30-15:30
JICA中部 なごや地球ひろば
メッセージ 拝啓~カンボジアから日本のあなたへ。
一般 2000円  学生 1500円

フォトジャーナリスト 安田菜津紀
カンボジアビレッジプロジェクト 金原竜生
スナーダイ・クマエ メアス博子
3名でカンボジアでの経験を通じてメッセージをお届けします。

当日申し込みもできますので、皆様のお越しをお待ちしております。

2014/05/06

名古屋でいろいろ・・・

少し前まであまりご縁のなかった名古屋。
数年前から絵画展の存在を知って下さる方が増え、神戸や東京の会場で
わざわざ東海地方から足を運んで下さっている方がいることを知りました。

そういった皆様にも足を運んで頂けるようになんとか名古屋で絵画展をと
思っていたところ、出身大学のOBでカンボジアで支援活動をされている
土岐織部ライオンズクラブの現会長加藤万寿夫様のご協力で昨年初めて
名古屋で絵画展を開催することができました。



今年は5月に下記2つのイベントを開催させていただけることになりました
のでお知らせ致します。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


トークセッション
【メッセージ 拝啓~カンボジアから日本のあなたへ。】

主催 NGOスナーダイ・クマエ
    カンボジアビレッジプロジェクト

話し手 フォトジャーナリスト        安田菜津紀
     カンボジアビレッジプロジェクト 金原竜生
     スナーダイ・クマエ代表     メアス博子

司会  佐々木愛


5月18日(日) 13:00受付開始 13:30-15:30
JICA中部 なごや地球ひろば 2階セミナールームB1-B4

参加費 学生1,500円 一般2,000円

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


スナーダイ・クマエ絵画展@名古屋

【期間】
5月23日(金)~25日(日)

【時間】
23日(金)午後2時から5時まで
24日(土)午前10時から午後5時まで
25日(日)午前10時から午後3時まで
*それぞれ時間が違いますのでご注意ください!


【場所】
妙香園画廊にて 場所の詳細はここをクリックして下さい。
(栄ガスビル向かいにあるお茶屋さんのビルです)

【販売】
絵画(額付き、マット付き)
新作Tシャツ、ポストカード
ステッカー
カンボジア雑貨


昨年制作した最新の巨大絵画が絵画展初公開になります!
卒院生サイハーの作品も展示販売致します。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

トークセッションでは20代のお二人とご一緒させて頂くことになりますが、
自分の体験を通じて私にしかお伝えできないことをお話しできたらと思って
います。

また絵画展ではますます独創的な世界をつくりあげている子どもたちの
様子をご紹介し、スナーダイクマエを応援して下さる皆様との交流を
深めたいと思います。



先日このブログでご紹介したノリさんにヘアカットなどもして頂き、荷造りも
ほぼ完了!
あとは明日日本に向けて出発するだけです。

名古屋でたくさんの方にお目にかかれることを楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。









2014/05/01

いいなあ~と思うこと

この二人 笑

この二人です、いいなあ~って思うこと。

在住の友人夫婦なんです。

だんなさんのトモさんは淡水魚研究家。
奥さんのノリさんは美容師。
そして夜は二人でナイトマーケットのフードコートで食堂経営。

なんでも細かく考えて作業を進めるトモさんと、かなりおおざっぱなノリさん。
二人それぞれのブログを見ていても性格が表れていておもしろいです。

トモさんのブログ Cambodia Fishes Life

ノリさんのブログ  Botia Life


お互いからお互いの愚痴を聞くこともしばしば(笑

でもね、それがいいんですよ。
なんていうか、凸と凹みたいな。
なんていうか、補い合いっていう感じが。

それにケンカしてもお互いにすごい気にしてる、かわいいところがあります(笑

イラッとしたときに変に気を遣わずに「イラッとしてます」オーラを遠慮なく
出して、臨戦状態満々の言葉も出して・・・

うーーん、うらやましいなあって思います。

私は意外にも言いたい事を言いそうで言わない。
どちらかというとあきらめて口を閉ざしてしまうヘンコタイプなので・・・(笑
言いたい事いうよりももっと悪い空気感を醸し出してしまいます。

写真は投網のやり方を写真で解説するために網を投げる順番に写真を
撮影しているところですが、ここでも小競り合いが・・・(笑


なんだかんだ言っても、お互いにパートナーがいないととても困る、かけがえない
存在として尊重する気持ちがあるのがそばで見ていてよーくわかります。


最近、うちの卒業生たちもお年頃になってきて彼女を紹介してくれたりするの
ですが、この二人みたいに変な気遣いはしないけど、気にかけて一緒に過ごす
パートナーと人生を歩んでほしいなあって思います。

私はその辺がとても下手みたいなのでなんだかうまくいかなかったけど(笑
支え合うというか、なんかいないと困る!みたいな関係、この二人を見ていると
とても憧れるのです。

私もおばあちゃんになるまでにそういう相手が見つかればよいかな(笑



2014/04/20

クメール正月のボランティア

カンボジアのお正月、アンコールワットをはじめとする有名な
遺跡群のあるシェムリアップには毎年各地から大勢の観光客が
押し寄せます。

観光客と言っても外国人ばかりではなく、他州からカンボジアの
人々も国民のよりどころであるアンコールワットにやってくるのです。

私は人混みがすごく苦手なのと、遺跡に入るためには外国人は
20ドルの入場料を支払わなければならないこともあり、お正月に
遺跡周辺に行ったことはほとんどありませんでした。

今年も行く予定はなかったのですがプノンペン在住の私のお姉さん
から「バイヨンの近くでボランティアしてるから、時間があったら来てね」
と連絡をもらったので行ってきました。

普段なら車で15分もあれば到着のバイヨン遺跡までなんと2時間・・・。
この先にアンコールワットのお堀があるはずなのですが・・・
この大渋滞を抜けてなんとかたどり着き、お姉さんとそのお友達の顔を
みたときはホッとしました。

お姉さんによると、今年の遺跡周辺のイベントにはカンボジアの高校生から
大人までものすごい数のボランティアスタッフが早朝から夜まで運営スタッフ
として関わっているとのこと。

たしかに渋滞中でゆっくり進んでいるときに車両の誘導などをしていた人
たちもみんなスタッフのユニフォームを着ていたし、その他のポイントとなる
場所でも必ずそういった人たちを見かけました。

カンボジアのお正月は年間を通じてもっとも暑いとされる酷暑期に迎えられる
ので、遺跡周辺の体感温度は日中で40度以上。
汗とほこりにまみれながら裏方に徹するカンボジアの人たちを見ていて
こんな時代になったのかと驚きました。

お姉さんがこんな話を教えてくれました。

カンボジアの人たちはまだゴミをその辺に捨ててしまうので、夕方になると
このへんはゴミが山のようになっている。
でもお客さんたちがいなくなった夕方から夜の間にゴミ収集のスタッフたちが
全部きれいにしてくれるから翌朝来るとなにも落ちてないくらいきれいになって
いるのよ。

今年の遺跡周辺でのイベントは、外国人観光客のための催しというよりも
カンボジアの地元の人たちが楽しめるようになっていたと思います。

別行動だったうちの施設の子どもたちも・・・
少数民族の文化に触れる
体験型のイベントを楽しんできていました。

最後にはバイヨン遺跡前で消防車から大量の放水。
カンボジアの文化でもある「水かけ」の豪快バージョンで、集まった人たちは
熱狂していました。
大興奮

私が2000年に施設に来た頃は「ボランティア?それをすればどんな得があるんだ?」
なんて言われることも多かったのですが、今では休みを満喫したいはずである
お正月にボランティアスタッフとして参加するカンボジアの人々がいることに
感動しました。


こういったイベントに関わる多くの人たちが、今後この国の政治を担っていく
立場の人々であったことを最後に記したいと思います。

威張ってばかりで仕事をしないような人たちでは決してありません。
食事の時間もなく、一般の人たちのために早朝から夜まで汗を流して走り回って
いました。
そしてそこには心満ち足りた笑顔があふれていました。

カンボジアの人たちがカンボジアの人たちのために楽しいイベント作りを行う。
そんな光景を目の当たりにして、この国が平和で、心も豊かに、希望が持てる
未来に向かっている一面を感じた今年のお正月でした。

お姉さんから声をかけてもらわなかったら、一般の人たちの楽しいお正月を
支えるために、裏で走り回る人々の存在を知らないままだったかもしれませんね。
普段から尊敬しているお姉さんですが、益々好きになってしまいました☆



2014/04/14

カンボジアのお正月に思う

日本人にはまったく、まったくもってなじみのない4月のお正月。

カンボジアでは毎年4月に新しい年が明けます。
年間でも酷暑期と言われるこの時期のお正月は在住14年になっても
なかなか慣れることができません。


とはいえ、周りのみんなが年末気分、お正月休みを満喫している
のだから、自分もその波に乗ってしまえということで、昨日は在住の
仲良し3家族でピクニック?日帰りキャンプ?に行ってきました。

             
川に行って魚を獲ったり、簡易コンロでソーセージを焼いてみたり、
テントのようなものを張った下でみんな楽しんで過ごしていました。
そんなお休みを過ごすのは私たち日本人だけではなく、周りには
カンボジアの人たちもけっこうたくさんいました。

川には近所の子どもたち、いや・・・、子どもたちだけじゃない・・・
昔話でしか聞いたことがないけれど「リアル川で洗濯」のおばちゃんや、
自転車とかバイクを川の中で洗うおじさん。
そして仕事中に我慢できなくなったのか、突然腰巻ひとつで川に
降り立ちその腰巻をタオルに背中を流し始めるトゥクトゥク運転手の
おじさん・・・。



そんなカンボジアの人たちを眺めながらふと川から少し離れた
木陰に目をやると、車に食事の準備一式を積み込んできて
食べる準備を始めた家族が目に入りました。

この人たち、川からわりと遠いところに陣取る(笑
さっそうとやってきたかと思うと、けっこうな早さで場所の確保から食べられる
状態に準備完了。
ちょっと生温かい風が吹いて「ひと雨くるかもねえ」なんて話しているうちに
その一家は食べ終わって、さっさと撤収。
気がついたらいなくなっていました。

川遊びをするでもなく、本当に「ご飯を食べた」だけで帰っていったのです。

そして呑気にUNO大会している私たちの頭上では雨がポツポツ・・・
幸い少し降っただけでやんだので濡れることもなかったけれど、あの家族は
雨を察知していたんだなと確信。


おでかけした限りはたっぷり満喫しないともったいないと思ってしまう私たち
ニホンジンに比べて、いつもと違う場所でごはんだけ食べて悠然と帰って
行くカンボジアの人たち・・・。
なんの気負いもなく、ニャム バーイしたら終了という気軽さ。


たまにあるんですよね、完敗やなあと思わされるとき。


洗濯してみたり、背中流し始めたり、ごはんだけ食べに来たり・・・
少々自由すぎるけど、幸せそうなカンボジアの人々。


一緒にいる時間が長くなるとついむかっとしてしまうこともあるんだけれど、
どうしても嫌悪にはならず、あまりよく知らない人にカンボジア人たちの
悪口を言われると「ムッ」としている自分に気がつくことがあります。

家族の悪口を私が言ってもいいけどあなたには言われたくないのよ、
みたいな感覚でしょうか(笑


わがままかもしれないけれど、この妙な愛着も時間をかけてゆっくりと育んで
きたのかもしれない。

今年もここの人たちと一緒に新年を迎えさせてもらいました。
私たち外国人を受け入れてくれているカンボジアの人たちにも改めて
感謝の気持ちと尊敬を・・・。



2014/04/06

一人ではない

ここ数日体調が良くない卒業生、ラーヴォ。

前に彼についてこのブログで書いたことがありますが、いつも施設の
ことや私のことを気にかけてくれる心優しく、そして意志の強い子です。

昨日、同じ会社で働いてる卒業生のサヴィーがうちに来たのですが、
ちょうどこれからラーヴォの様子を見に行くとのこと。

私は日本人会の総会出席のために出かけるところだったので、サヴィー
にお見舞いを託しました。


今日、ラーヴォから連絡がありまだ体調不良だというのにお見舞いの
お礼を言うので、その後どうなっているのか訊いてみたら、のどの炎症を
起していて、頭痛もひどいというのです。
こちらで出してもらった薬は効かないというので、私が日本から持ってきて
いる薬を届けることにしました。

あいにく私は今日もそのあとの予定があったので、用務員のサンおじさん
に届けてもらうことに。
私のへたくそなクメール語でよく理解してくれたものです・・・(笑


サンおじさんが迅速に動いてくれているの見ながら、助け合うことって
大切だなと思っていました。

めんどくさそうにすることもなく、「病気か?薬、持っていけばいい
んだな?」とすぐに動いてくれます。
私はいつもそんなスタッフたちに助けられてやってきました。


そしてもう一つ、ラーヴォが遠慮せずに薬を届けることを受け入れて
くれたことも・・・。

素直にしんどいことを話してくれて、こちらができることをやろうと
思えたのはそれがあったからです。

私が苦しいとき、大変なときにいつも話を聞いてくれるのがラーヴォ
です。

昨日サヴィーが来てくれたことも偶然じゃないのかもしれない、いつも
お世話になっているからお返しする機会をくれたのだと思います。


今、施設にいる子どもたちにまずわかってほしいことは「自分は一人ではない」
ということです。

それは卒業しても同じです。
私たちは今まで助け合ってきました。
卒業してもできることがあればしたいと思うのは当然の気持ちです。


私はよく、カンボジアの子どものためにがんばっていると言われますが、
そうではないのです。
みんながいるから助けられる場面も多い、だからこそ自分のできることを
やっていきたいと思えるのです。


日本を離れカンボジアで暮らす中で、「一人ではない」と思わせてくれる
みんながいるからやってこれたんですね。

病気の時は大人でも心細いものです。
まだ顔を見に行くことができていませんが、ラーヴォの回復を祈って。

私の気持ちをラーヴォに届けてくれたサヴィーやサンさんに感謝して、
そして素直にしんどいことを話してくれたラーヴォにも感謝なのです。

いつもみんなに助けられて生きています。




2014/04/04

強く、優しく

夕方の作業時間が終わって、ちょっとみんなを集めて話したいことが
あったのですが、小学生男子2名が見当たりません。
スタッフも敷地内で見つからない、と・・・。

あー、あー、やっちまいましたねえ・・・(苦笑

スタッフが外で見つけて連れてきました。

外のゲーム屋さんで友達がゲームしているのを見に行っていたそうです。


うちの中高生たちはそういうことはまったくしないのですが、小学生は
まだまだ・・・(笑


ルールとして外出する場合はスタッフに一声かけると決まっています
ので、規則を破ったことになってしまいます。


二人が私の前に来てごめんなさいと言いました。

説明するまでもない様子でしたが、うちは叱るときにきちんと説明する
のが決まりなので、スタッフが話していました。
今はそういう役割をスタッフに託して、私は横で聞くようにしています。


ちょうどみんながいたので「土曜日のテレビ鑑賞なしにしようか」と、
私からも言いました。

みんな少しがっかりしていましたが、仕方ないことも理解している様子。

二人にだけトイレ掃除などをいうこともできたのですが、久々だったので
ここはみんなでルールを守ることについて考える機会にしてほしいと思い
ました。

そして二人の男の子たちには「みんなに迷惑をかけること」の悲しさや
恥ずかしさもわかるチャンスかなと。

二人はみんなにも謝って、もう同じ失敗はしませんと話していました
そのあと一人の男の子は目に涙をいっぱいためていました。


そのときの気持ちを忘れないでほしいな。
みんなに迷惑をかけた事を自覚する経験。

迷惑だけじゃない、みんな心配してたんだよ。
どこ行ったのかなってあちこち探し回ってたんだよ。


小さい間にいろんな失敗をして、叱られて、少しずつ理解して・・・

そして強くて優しい人になってほしいと思っているのです、私は。


そのためにたまには厳しいことも言わないといけない。
小さいことと見過ごさず、手を抜かずに。

うちの子たちはみんないい子です。
私たちが丁寧に育てていくのです。
強く、優しく。

他人の気持ちがくみ取れる人になってほしいのです。

2014/03/26

私がさせてもらえるようになったことについて

3月は施設の訪問者がとても多い時期になります。
そんなわけで今月はいつもより多くの訪問者対応をさせてもらいました。

2時間と言う制限を設けて受入れをさせてもらっているのですが、支援団体の
方が来る場合は例外もあります。

いずれにせよ、最近は「子どもたちと遊びたい」という理由で訪問してくる
人たちよりも、運営のことや、ここにいる子どもたちが日々どのようにして
暮らしているのかを知りたくて訪問してくる人が増えているように感じます。




私が施設に関わるようになったのは26歳になる年、まだ25歳の頃でした。
在住者も少なく、観光客も今のように多くありませんでしたが、施設のことを
知って訪ねてくる人もいました。

右も左もわからず、そこでの新しい暮らしを始めるだけで精一杯だった
あの頃、私が話せることはほとんどなかったように思います。

支援者の方も、右往左往する私のことをきっと頼りなく感じていたと思います。

施設を知る人の中には「あの子に何ができるのか、荷が重すぎるのでは
ないか」と言う人もいたし、そのときは悔しい気持ちはあったけれど、今になって
思えばそれも仕方ないことだったのかもしれません。

それでも恵まれたことに支援者の多くは私のことを励まし、支えてくれました。
そしてありがたいことに施設の支援者の方は施設創立から今に至るまで
関わり続けて下さっている方がほとんどなのです。

その当時よく言われたのは、「自分の娘と同じような年齢の子ががんばって
いるのだから、応援したい」という言葉でした。
その言葉に支えられて、20代・30代を過ごしてきたと思います。

悔しいことやつらいことがあっても、前向きにやってこれたのはそういった
心のこもった言葉、それを投げかけてくれる人たちがいてくれたからです。


自分を育ててくれたのは両親です。
衣食住、学校に行くことなど子どもの時に自分を取り巻く環境はすべて
親の手に委ねられていたはずです。
カンボジアに来たのは自分の意志であり、親に与えられたものではあり
ませんが、「親の理解」があったからこれたのだと思います。

でも育ててくれたのが両親だけではないのだということをカンボジアに来て
から理解するようになりました。
子どもころと大人になってから決定的に違うことは、環境を自分で整える
ことができるかどうか、だと思います。


親の理解があったとはいえ、自分の意思を通した分だけ責任が伴い、
さらに親の範囲を越えた新しい人との出会いもありました。

それらすべてに今の自分は育てられて来たのだと思うのです。



施設ができた当初、問題だらけの子どもたち、子どもと同じような振る舞い
しかできない(と当時の私の目に映っていた)スタッフたちに囲まれ、理解者が
そばにいないさみしさをなんとか支えてくれたのは、私のやろうとしている
ことを理解し励ましてくれた人たちです。

私が周りの人から与えられてきた分、子どもたちには長い目で、優しい
まなざしを向けることができたのでしょう。

ただし、そういった他者からの思いを受け取ることのできる素地を作って
くれていたのは両親からの愛情なのだと思います。
自分はとても丁寧に育ててきてもらったのだということを、カンボジアに
来てからの体験で知ったのです。

だからこそ今関わっている子どもたちに丁寧に接したいと思えるのです。
両親、そしてその後関わってくれたすべての人の気持ちを子どもたちに
渡していく作業を地道にやっていきたいのです。

それが世代をつないでいくこと、そして私がここでさせてもらえること
なのだと思っています。



施設の訪問者の皆さんには今書いたようなお話に実際の体験を含めて
お伝えしています。
高校生から年配の皆さんまでいろいろな世代の方にお目にかかることが
多いのですが、私の話がそのときそのときの皆さんにとってすこしでも
お役にたてる内容であれば、これまで支えてきて下さった皆さんへの
恩返しにもなるのかな、と思っています。

ささやかですが、大人としてようやくそんな時期を迎えさせてもらえる
ようになった喜びを感じています。


やはり私がここでさせてもらえることは色々な意味で「伝えていくこと」
なんですね。
そういった思いが年々確信に変わっていっています。

周りの人たちに育ててもらい、私がさせてもらえるようになったことに
ついて書きました。



☆今日は真面目に(笑)☆







2014/03/18

甲南学園 by AERA  

私が代表を務めている施設では夏に子どもたちの絵を日本に持って行き
絵画展を開催しています。

場所は東京、神戸がこれまで5回、和歌山が3回、そして名古屋が1回です。

神戸絵画展5回のうち3回は私の母校である甲南大学にある施設を無償貸与
して頂き開催しています。

昨年まで3年連続お世話になっているのです。



昨年、大学の広報部の方からご連絡を頂き、今度大学が出版することに
なっている書籍に卒業生の一人として掲載したいとのお知らせを頂き
ました。
甲南大学には著名な経営者の先輩や、その他の分野で活躍されている
諸先輩方が多数いらっしゃるので、本当に私なんかでよいのかとかなり
恐縮したのですが・・・。


昨年末に取材をして頂き、もうすぐ発売になりましたのでここでお知らせ
したいと思います。


甲南学園 by AERA ( AERAムック)
朝日新聞出版

3月29日発売

クリックして頂くと詳細が見れます

 神戸は学生時代を満喫した街です。
思い出いっぱいの神戸のことも掲載されているようなので今から楽しみです。

甲南大学の関係者の皆様、神戸に興味のある方々、よろしくお願いします。


ほんまに恐縮ですが、本の告知でした。

甲南大学広報部の皆様、色々とありがとうございました!

2014/03/14

お世話になります・・・

昨日料理中にエビの殻のとんがった部分が指に刺さり流血。

たいしたことはなかったのですが、

「エビやけどなにがついてるかわからんから、ちゃんとあとで消毒やで」

とは、息子さんからのありがたいお言葉・・・。



その後、部屋を訪ねてきた卒院生スレイニー(女子)が部屋を出る際に、

「おかあさん、中からちゃんと鍵をかけてくださいね」

と、またまた優しいお言葉・・・。




私がいつも子どもたちに言っていた言葉が今は自分に返ってくる。




ずっと頼りない母で申し訳ない・・・。

これからもお世話になりますがよろしくお願いします、と思った夜でした。






2014/03/07

マイペース

うっかりしてました、ブログ更新。
また1カ月以上あけてしまう勢いで書いていません(笑

この前ふと思い出したことがあります。

常にマイペースな息子を見て、なんでやろ、と思っていましたが、
私も子どもの時は母親から「めっちゃマイペース」と言われて
いたことを・・・。



笑 ・・・・

そしてよく寝る子どもでした。

今は加齢のせいか朝は6時半までに絶対に目が覚めるのですが、
子どもの時は何時間でも寝ていたような・・・。
大人になっても飛行機に乗ると着席5分以内で寝れる自信はあります。
離着陸を知らずに寝ています。
飛行機好きな息子は逆にそんなときこそしっかり目を開いてるらしい
ですが、私は寝てますから知りません(笑


寝る話はもういい(笑)、マイペースの話を続けましょう。


こう見えても小中学校まではまあまあ成績が良かったのです。
高校で一気にダメになる典型的な親がっかりタイプでしたが。
でも1番じゃないんですよね。

自分よりも成績がいい子がいてもあまり気にならなかったんです。

笑えるくらい他人への闘争心のない子でした。
「あんなめっちゃ勉強できる子に自分が勝てるわけない」と普通に
思っていました(笑


そのかわり、自分ルールみたいなのがあって、今回は何点以上とれる
と思っていたのにそれに達しないとなると、めちゃくやしい(笑
もしくは得意と思う教科だけ高得点だと満足してました。
得意なんやから高得点やろうに・・・(笑 自分に甘い・・・(笑



ある日のことです。
学校のテストの結果が悪かった息子に車内で言いました。

「なあ、そんなんでくやしくないん?絶対に1番になってやろうとか
思えへんの?」


どの口が言うてんねん・・・(笑


しかしながら・・・・


それをぼけーーーーっと聞き流している息子を見て、

完敗じゃ・・・

と思った次第です。


どうやら親子は親子みたいです。

おかげでおかしな嫉妬に悩んだり、他人を恨んで無駄な時間を過ごす
こともなく、幸せに生きています(笑



2014/02/18

やっとできるようになったこと

先日のバレンタインデーの様子は施設のブログで書きましたが、
実はみんながメッセージを持ってきてくれる前にちびっこ女子たちが
独自で私に贈り物をくれていました。

ヤーン、カンニャ、ロアッ、サロァッから
手書きのカードとバラのキャンディ。


施設の子どもたちに関わるようになってからしたいけどできなかったことが
あります。
それはちびっこにハグすること。

ぎゅっと抱きしめること。


子どもたちは虐待を受けて親と一緒に暮らせなかったり、事故で親を
亡くしたりと様々な背景を持ってここに集まってきています。
他の人にはわからない気持ちを抱えているのだと思います。

抱きしめることは簡単な行為なのですが、私にとっては重すぎてなかなか
簡単にできませんでした。ずっと心の中では気持ちはあったけど。

考えすぎ、と言われるかもしれないけれど・・・やはり私には難しい
ことの一つでした。

でも今年に入って一時帰国から戻った際、すんなりとちびっこ女子を
抱きしめることができました。
今回のバレンタインの時も。

普段そんなことをしない私を見て女の子たちは驚いていたけど、ギュッと
私のことを握り返してくれた感触は忘れません。

14年も経ってやっと??と笑う人がいるかもしれませんね。

子どもが好きでたまらないとか、カンボジアの教育の現状を変えたいとか
そんな志を持ってここにきたわけではなく、結婚をきっかけに関わることに
なった施設。
長年関わり続ける中で思いが少しずつ温まり、かけがえのない場所に
なっていった流れで見ると、このギュッとハグできるようになったことも
少しずつ温まり、縮まっていく子どもたちとの距離の通過点なのかも
しれません。

先日、着地点を見つけたら・・・ということを書きましたが、着地点が
1つ1つの通過点になっていくんですよね。


今年はやっと、ちびっこたちを抱きしめることができるようになりました。
どんくさい私のペースはこんなもんです(笑
そんな私についてきてくれる子どもたち、ありがとう。

やはり私はここの子どもたちが大好きでたまらない、みたいです(笑

こんな何気ないことだけど、これからも子どもたちと一緒に育んでいきたい
と思っています。


2014/02/11

たまには熱く話したりもするらしい

前回記事から気がつけばもう10日以上も経過しているではないですか・・・。
あかん・・・ゆるすぎる・・・。
今年こそはブログをもっと真剣に書くぞと意気込んでいましたが、新年の
誓いを年末まで覚えている人っているのでしょうか?(と話をそらす・笑)


それはさておき・・・

私たちの施設では10年前から地球の歩き方ボランティアツアーの受入れを
させて頂いていて、おそらく3000人近い方との交流活動を行ってきています。
メインは施設の運営を知ってもらい、子どもたちと交流をしてもらうということ
なのですが、私も参加者の方と少しだけ交流する時間を作って頂いております。

施設概要は初日にスタッフから説明をしておりますが、やはり子どもたちと
実際に交流し、作業時間に汗を流してこそ伝わる話もあると思うんです。

そういうわけで私が皆さんとご一緒する時間は最終日の作業時間後です。
よっぽどの体調不良や一時帰国で不在などの理由がない限り必ず顔を
出したいと思っている時間です。

今回は「カンボジアの人々の変化」についてがお題でそれをきっかけに
施設や私が触れるカンボジアの生活、人々の話のみならず、今の自分の
在り方や、それを形作る過程に何があったのか、そんなことをお話させて
頂きました。
真剣です
最後に大学生らしき若者2名からご質問を頂きました。

1つ目は、これからの施設をどんなふうにしてゆきたいと思っているのか?と
いうこと、もうひとつはカンボジアに来ると決心できたのはなぜなのか?という
ものでした。

施設運営としては、ローカルスタッフの育成と自己資金調達能力向上の
2点、そして今の子どもたちの家族的な雰囲気を継続することが最初の質問
への回答でした。

2つ目なのですが、これが大変難しく・・・むしろこちらが質問したいくらい
なのです。

自分のやりたいことや行きたい場所が決まっているのにどうして躊躇するの
でしょうか?、と。

私は着地点を見つけると喜んでそこに飛んでいくタイプなので(笑
おそらく慎重な人はその前に、こんなことも起きるかも、いやあんなことも
あるかもしれない、自分はそれでも大丈夫だろうか・・・と考えるのでしょう。

着地点が見つかればそこで起きる困難も自分なりに乗り越えていきたいし、
むしろ着地点があることがその励みになるので、一番最初の時点では
さほど意気込んでないのかもしれません。
だってあとで立ち向かうべき困難がきっとやってくるから(大なり小なり)、
そのために余力を残しておかないとしんどくないですか?(笑

言い方を変えれば、「着地点を見つけることは始めの一歩」なのです。
つまり、始めなければその先に何があるかは見えない、やってもいないこと
についてあれこれと思いを巡らせてあきらめるという選択肢が私には
ないのだと思います。
(自分と反対の人と自分を比較したり、批判するつもりはありません。)
むしろ始めてから何が起きるのか、向こう側を見てみたいと思っている
のかもしれませんね。


ただし・・・
参加者の方にも話したのですが、こんなことを言いながら私は意外にも
保守的で慎重です(説得力ないですか?笑)
自分の城を築きあげていくということは、守る人たちがそこにいるという
ことなんですよね。
だからこそその人たちを巻き込むような行動をしないように気をつけます。

ゆえに異常なまでに神経質で繊細です(笑 自分で言うな)



ここに書いたことはほんの一部で、実際にはもっと内容の濃い話をさせて
頂きました。

一生懸命聞いて下さる方を目の前にするとできるだけの対応をさせて
もらいたくなるので、今回はかなり熱く語ってしまったように思います。

参加者の皆さん、ありがとうございました。

私がお話したことが皆さんの次の一歩への手掛かりになればいいなと
いつも考えています。



参考
地球の歩き方の旅
「カンボジア交流活動8日間、スナーダイクマエ孤児院を訪ねて」
ツアーの詳細は上記サイトにあります。

添乗日記「院内作業と博子さんのお話」


2014/01/31

にんじゃがーるず

日本から帰って連日面会の予約がありましてばたばたと過ごしております。

30日のお客様はかわいいお嬢さん、岩谷麻奈美さん。
シェムリアップの養豚ガール、山田史織さんの大学時代のご友人だと
のこと。
シェムリアップに来るなら博子さんに・・・と紹介してくれました。

孤児院の話のみならず、海外で働くことやそれにまつわるあれこれも
かなりゆっくりとお話しました。
というのも、彼女は現在シンガポール在住。日本でのOL生活を終え、
シンガポールでお仕事をされているということだったからです。

そしてそして彼女は有名なブロガーでもありました。

彼女のサイトはこちら

NinjaGirls

シンガポール在住の日本人女性3名で運営しているこのサイト、日本では
めざましテレビに取り上げられたこともあるそうですよ。

私が色々とお話している途中で「ちょっとメモとってもいいですか?」と言い、
ノートを出してなにやら書いていらっしゃいました。
いやはや、メモとってもらうほどのお話でもないのですが・・・(汗

途中で山田さんも登場し一緒に記念撮影。
ユンの指が上の方に写ってますね・・・(笑
彼女たちは私より10歳くらい年下。
私もカンボジアに来たばかりの頃には周りに先輩方がいましたが、
20代半ばで社会経験のない私に厳しい言葉を下さったり、あらぬ噂を
立てられたりと、まあまあ苦労しました・・・(笑
逆に未熟な私をゆっくりと見守ってくれて、ときおり厳しい助言をくれ
ながらもずっと応援してくれる方もいました。

私はできれば後者の先輩になりたいなと(笑

もちろん対象となる人と自分の価値観が合致したり、応援したくなる
要素があるかどうかは重要です。
シンプルに、素直でまっすぐな人なら応援したくなると思います。

私が話した色んなことは、もしかしたら、もしかしたらですが彼女の
サイトにも載るかも・・・です。
もし載ったらまたお知らせします(笑

場所ややっていることは違っても一人で戦うオンナ同士、妙に意気投合
して本当に楽しい時間でした。

私も今年で40歳。
彼女たちと話していて、先輩からも後輩からもかわいがられる40代に
なりたいなあと思った次第です。


追伸

昨日山田史織さんより下記メッセージが・・・

(私の友人が)「博子さんは本当、男気溢れてるー!カッコイイ!」と博子さん
の生き方にめちゃめちゃ共感していました!

ありがとう、ありがとう、うれしいよ、でもね、このブログで何度も言って
いるように、

メアス博子は「女」なのよーーーーーー!!!(笑

☆おわり☆

2014/01/29

名古屋学芸大学短期大学部にて

名古屋、少し前までは東京に行くときに通過する駅くらいに
しか思っていなかったのですが、昨年あたりからよく足を運ぶ
ことになりました。
昨夏は初のスナーダイクマエ絵画展@名古屋も開催しました。


昨年秋ごろに名古屋学芸大学短期大学部の鈴木薫先生が
施設を訪ねて下さって、年末に学生さんたちがカンボジアに
スタディツアーに来られることを聞きました。
先生との出会いは以前アンコール小児病院の看護師さんを
していた赤尾和美さんからのご紹介。
次回のカンボジア訪問の際に先生が学生さんたちを施設に
連れてきたいとのご希望でした。

日程を聞くと残念ながら私が日本に一時帰国中。
はたと思ったのが、事前学習として大学にお邪魔して施設の
説明などができるのではないかと言うことでした。
先生のご尽力により交通費も出して頂けることになり、また
名古屋に赴く機会を頂いたわけです。

大学の教室ですが階段のあるような大きな教室ではなかった
ものの、外部講師として授業の時間を1コマ頂くということで
責任を感じつつお邪魔することに・・・(汗

孤児院の成り立ちやこれまでの取り組み、そして子どもたちに
何を伝えていこうとしているのか、またそこに対する障害として
カンボジアの歴史的背景があることなどをお話ししました。
私がそこで本当に伝えたかったのは、学生さんたちがこの
内容から自分の育った環境について、あるいは関わりのあった
大人の人たちがどれだけ手をかけて育ててくれたのかということを
振り返るきっかけにしてほしいということでした。

最後に一人一人から感想や質問が
皆さん将来は子どもに関わる仕事を目指しているそうで、私たちが
大切にしている協力して環境を保つことや、そのために周りの大人が
どういった対応をしていけばよいのかというところに着目してくれて
いました。

地元和歌山から名古屋への日帰りはちょっとしんどかったのですが、
行ってよかったと思います。
私はカンボジア人の手によるものと名付けられた施設で「日本人」として
最大限に自分の役割を果たすために何をすればよいのかということと
常に向き合っています。
現地でできることは自分なりにやってきたつもりですが、それを支え
続けて下さっている日本の皆さんにこれから何をどうやって還元させて
頂けるのかということが近年のテーマです。

そういったことも含めて、カンボジアでの経験、そして現在進行形の
私たちの活動のお話を日本の色々な方々にお伝えすることで、
「今の日本」に生きる方々のお役に立てることがあるのではないかと
思っているのです。

ありがたいことに最近はお話ができる場を頂くことが多くなっています。
私にしか伝えられないことは何か、年齢、職業、置かれている環境が
違う方々に頭の中に少しでも残るようなお話ができればと思います。

この冬はこの大学でのお話以外にも色々な機会を頂きましたが、
今後はそういったことにも積極的に取り組んでいきたいと思っています。

鈴木先生、学生の皆さん、ありがとうございました


他にも受入れをさせて頂いてるスタディツアーやボランティアツアーが
ありますが、施設の子どもたちが何かしてもらうだけの立場ではなく、
相互に有意義な時間になることを目的としています。
そのために訪問者希望の方には多くの注意事項を守って頂くように
事前にお伝えします。

いつでもだれでも見学可能、というわけではありません。
詳しくはこちらをご覧ください。↓
連絡先・訪問予約方法と注意事項






2014/01/26

日本滞在最後の日に思う

いよいよ明日カンボジアに戻ることになりました。
そのための荷造りやら、諸々の手続きなどがありまして・・・

携帯電話の契約のことで代理店に行きました。

番号を呼ばれて座ったのですが、どうも店員さんの受け答えが
しっくりこない・・・
むむ・・・

目的語をきちんと言わず、自分がわかっていることを相手もわかって
いること前提で話すので、なんどか質問しないと話がわかりません。
そしてやっと終わりに近づいたとき、


もう訊きたいことはないですか?



と言われました・・・。

脱力・・・。

目の前にいる私よりも10歳以上は若いであろう店員さんがまるで
私の先生かのように見えました(苦笑


私が質問しなければならなかったのは彼女の話し方があいまいすぎる
から、だったのに・・・(泣


カンボジアでは自分がお客さんなのに店員さんに怒られたり(笑)して
なんだか立場がよくわからなくなるという経験は日常茶飯事です。

でもまさか日本でもこんな扱いを受けるとは・・・

2つの依頼をしていたのですが、どちらのことを話しているのかわからない
話し方をするので、「どちらのことか言ってから話してください」と伝えると


ふっ


と、鼻で笑っていました。
そんなもん言わんでもわかるやん、という気持ちがこもった「ふっ」です(笑

一気にカンボジアの風が吹いた気分(笑

あるある、カンボジアでは店員さんに小馬鹿にしたように笑われたり、
舌打ちされること!

って、いやいや、ここは日本や!!


一応最後まで理性は保っていたのですが、最後に訊きたいことはないですか?
と言われたので、

「訊きたいことは特にないのですが、お話のしかたをお勉強された方がいいですよ。」

と言っておきました。

できるだけ落ち着いて静かーーーに目を見て言うときました(笑



カンボジアでやられても「カンボジアやしな~。しゃーないよなー。」と流せる
気長さはある程度持っているのに、日本だと「むっ」としてしまうのはなんで
でしょうか・・・。
やっぱり日本だとサービスを受けて当然という気持ちになっているんですかねえ。


なんだかもう自分が変なのかどうなのかもわかりませんが、日本滞在最終日に
面白い体験をさせていただきました。


☆おわり☆

2014/01/17

1月17日

1月17日、一生忘れることのない日です。

当時神戸で暮らしていた私も被災したけれど、大切な人を失うことも、
自宅やお店や仕事を失うこともありませんでした。

誰が亡くなっていてもおかしくない状況にも関わらず、自分自身の命を
失うことはありませんでした。



いまだにこの日のテレビなどで震災の映像を目にすると涙があふれて
きてしまいます。

19年経っても。




この日は普通に過ごします。特別なことは何もせず。

いとこや息子とランチをして、夜は家族全員でごはんを食べます。

そんな日常の幸せを感じつつ、神戸のことを思います。

そうするともっといろんなことを思うから。

2014/01/06

これでやっと新年なのです

新年明けましておめでとうございます。
て、6日になってやっと今年初のブログ更新です(笑
こんな調子ですが今年もよろしくお願いします。



大学を卒業してから何年になるんだろうと数えてみて

恐ろしくなってやめる・・・(笑

大学時代の友人たちとの新年会、もう7年くらいになるのか。
私が参加する前から他の人たちはやっていたらしいのですが、
あることがきっかけで私も参加するように。

あることについてはまた今度(笑

とにかく1月3日は大学の同級生と新年会と決まっているので
(今年は初めて4日開催やったけれど)、それがすまないと
新年の気分にならないのです。

私たちは甲南大学経営学部97年卒。
学籍番号が近かった人を中心に仲良くなりました。

やたらと昔のことを覚えている人とか、理論で攻めてくる人とか、
毒舌が過ぎる人とか、天然とか・・・まあいろんな人がいます。
私はその中でも一番マトモです、そのはずです。

今年も会話の95%くらいはあとで思い出せないほど中身のない
どうでもいいバカ話だったのですが、残りの5%に人生観とか
仕事への思いなどがギュッと詰まっているわけです(失笑

いつも最後の最後になると話は仕事のことに。

結局、今自分の与えられた場所、あるいは自分で選びとった場所で
全力を注いでいるかどうか、それが大事なんだなと。


メンバーの一人が、他のメンバーを指して「自分の友達にこんな奴が
おるねんなと誇らしかった」みたいなことをいっていましたが、
妬んだり、比較して自分を卑下しないのは、きっとこの人も今やることを
ちゃんとやってるからなんでしょうね。

40歳アラウンドになってきて思うことは、ここからは30代にやってきた
ことが生きてくる時代に突入するということ。
もうここまできたら同じ年齢でも経験値の差を縮めるのはなかなか
難しいかもしれません。

バカ話95%ではありますが、私にとって毎年恒例のこの新年会は
忘れていた気持ちを思い出したり、今の自分の考えをまとめる大事な
時間です。

今年は参加メンバーがMAX