撮影してくれたのは元AERA所属の遠藤俊介君。
遠藤君は学生時代から数え切れないほどカンボジアを訪れて、長い
ときは半年ほど滞在。
ぼろぼろのスーパーカブにまたがり、カメラを携えて田舎の遺跡を
めぐっていました。
そんな中で出会う村人たちとの触れ合いをとても大事にしていました。
そんな彼から国際電話があり「ねーさん、白血病だった・・・」と告げられた
ときは絶句しました。
私の息子は電話を切った後「どんぐりぼうずは絶対に大丈夫やからね」と
泣きながら言いました。
息子は彼をどんぐりぼうずと呼んでいて、カンボジアに来た時はよく
相手をしてもらっていたのです。
2007年7月、入院中の彼を見舞うために新幹線で移動中に
訃報が・・・。
絶対に治る、絶対にもう一回カンボジアに行く、ねーさんに会いに行く、
と約束していた彼にもう会えないことがしばらくは信じらませんでした。
彼が亡くなる少し前、私は最愛の母を急性心不全でなくしていました。
続いて友人までも。
もっと生きてすることがたくさんあるはずの人たちがこの世を去って
いく、どうしてこんなことに、どうしてこの人たちじゃないといけないのか。
考えても考えてもいまだに答えは見つからないままです。
カンボジアが大好きだった彼をカンボジアのお寺に祀ってもらうことを
お母様から提案され、微力ながらお手伝いをさせてもらったのですが、
今日、彼の母校である東京工芸大学の現役学生の方が施設を訪れて
くれました。
遠藤君の後輩にあたるTくんの手には、遠藤君が亡くなるほんの少し
前にできあがった彼の写真集が。
この子の瞳の中に遠藤君が写っています 「カンボジアの子どもたち」 遠藤俊介 連合出版 |
Tくんは施設の場所がわからず、市場の近くにある雑貨屋さんで日本語の
できるカンボジア人に声をかけて場所を訊いたそうです。
それがなんとうちの卒業生のサイハー。
知ってるもなにも自分が住んでいた場所(笑
バイクに乗せて連れて来てもらっていました。
少しお話をして遠藤君のいるワットアトビアという寺院に移動しようと
思ったその時、別の卒業生サヴィが施設を訪ねてきました。
一緒に行こうということになり3人でお寺に。
サヴィの案内で無事にお坊さんと話もでき、お参りを済ませることが
できました。
ワットアトビアは遺跡があり、そのすぐ横に寺院があります。
遺跡が大好きだった遠藤君、ここなら満足してくれるかなと、そんな思いで
このお寺を選びました。
この遺跡のすぐ外が寺院 |
卒業生がTくんを孤児院に連れて来てくれて、また別の卒業生がお寺まで
案内してくれる・・・。
これはきっと遠藤君のいたずらやね、とT君と笑いました。
ふと車の外を見たときの景色 えんえんと一緒に見ている気持ちで・・・ |
えんえん(と私たちは呼んでいました)、ご無沙汰してしまってごめんね。
また会いに来るよ。
生きたくても生きることができなかった人たちが身近にいる。
そう思うと命がある限り精一杯生きようと思うのです。
後悔のない人生を。
立ち止まりそうになるときに背中をそっと押してくれる、そんな人たちなのです。
NHKの番組でこちらを知り、それから時折拝見してました。
返信削除外国で活躍されている日本人の番組は最近増えてますが、
運営する上での苦労は今まで伺い知れませんでした。
現地の子供たちのキラキラした笑顔だけが印象的で。
助けてくれる人も去っていく人も縁ですね。
遺跡の横のお寺は安心して静かに眠れそうです。
NHKの山崎ひな子さんですが、少し前に出身地の埼玉県で
竜巻被害があり、ご実家は大丈夫かと思い局へメールしました。
すると達筆で丁寧な葉書が届き、なんてきちんとした方
なんだろうと感心しました。
メアス博子さん同様、社会に貢献する方々は自らも居住まいが美しいな、と思います。
コメントありがとうございます。
削除ブログご覧下さっているとのこと、うれしいです。
昔のことについて詳しく書いたのは初めてですが
これはほんのちょっとで、全部書くと膨大になり
そうです(笑
活動とは直接つながりがない遠藤君のようなことも
含めて、本当にいろいろなことがあります。
彼が大好きなカンボジア、遺跡の近くで安心して
いることを私も願っています。
山崎さん、私も番組のDVDを送って頂いた際にとても
丁寧なハガキを頂きました。
心配りができる素敵な方ですね。
さらにとても美しい方ですし!
このブログは本当に気まぐれに書いておりますが、
どうか今後ともよろしくお願いいたします。