思ったよりも長編になってしまいました。
お付き合い頂いている皆さん、ありがとうございます。
こうして始まった私のシェムリアップ生活(じぶんのやくわり①②③参照)、
することが欲しかった私は「できること」がなんなのかわからないままに
まずは施設のあるシェムリアップに行ってしまうという、思い返せば
考えなしの行動に出ました・・・。
私の住む場所は敷地内に建設中だった新しい宿舎の1階の一角。
オフィスになる予定である作りかけの部屋でした。
窓は鉄格子が入っていたもののガラスサッシはまだついておらず、
四角く穴があいている状態。
床はタイルでしたが未完。
机も椅子もありません。
そこに布団と蚊帳を持ち込み、タイルに直接敷いて蚊帳をかけて
息子と並んで寝ていました。
プノンペンから持ってきた冷蔵庫とテレビも床に置くしかありません。
テレビと言ってもカンボジア語のローカル番組しか映らないので
実質土曜日夜に設定した子どもたちのTVの時間に使用されるだけの
ものでした。
パソコンは支援者の方からのメールに対応するものでしたが、今のように
WIFIなんてあるわけもなく、携帯電話とPCを赤外線でつなぎダイヤルアップ
接続(若い人にはわからないかも・笑)していました。
置き場所がないので支援物資が送られてきた段ボール箱をさかさまにして
机に見立て、PC用に使ったり、当時手書きでお送りしていたお礼状や
報告のお手紙を書くために使っていました。
停電はほぼ毎日で夜になるとろうそく生活。
昭和?いや、もっと前なんじゃないかという毎日でした。
まずは子どもたちの顔と名前を覚えなくてはと思い、日本語授業用の
ホワイトボードに名前を書いて横に立ってもらい写真を撮りアルバムを
作りました。
他人の顔と名前を覚えるのが苦手な私にとっては毎日できるだけ子どもたち
と接することと部屋でこのアルバムを見ることが最初の仕事だったかも
しれません。
寄付を頂くと夫から連絡があるので私が箱の机でお礼状を書く。
しかし私にはそれ以外の何ができるんだろうか・・・と思い悩んだ・・・・
わけではなく、飛び込んだ後はじっくり考えることが好きな私は毎日
カンボジア人スタッフが何をしているのかを観察していました。
現状を客観的にとらえないと問題点や改善点を見つけることができないと
いうことが本能的にあったのかもしれません。
目の前に子どもたちがいるとついついすぐに手を出したくなるのもわかり
ますが、子ども大好き!ではなかった私は、自分よりも先に子どもたちの
指導をしているカンボジア人スタッフたちのやり方を観察しようと思った
のです。
まずは先に始めた人のやっていることをよく観察していいものは
自分のモノにしていきなさい、茶道講師をしていた母親からよく
言われていたことも影響したのかもしれません。
そこでいろいろなことに気が付きました。
朝食はみんななんとなく集まってお粥を作り、干し魚を焼いて食べます。
学校には行きます。
夕方は施設で飼っていた牛に草を食べさせる当番がありましたが、それ
以外の子は空き地でサッカーをしていました。
夜は自習時間があります。
カンボジアの学校は2部制で半日は学校がないため子どもたちは十分
時間があるはずなのに敷地内はゴミだらけ。蠅もたくさん飛んでいました。
井戸の周りはヘドロ状態で、水の流れる道すじもありません。
その1つの井戸で水浴びをし、調理をして、洗濯もしていましたが、それぞれに
出る排水は行き場がなくたまって蒸発するのを待つだけだったのです。
よく見ているとさっきまで魚を洗っていたタライで洗濯をしていました。
調理のおばさんを手伝うのは女の子だけ、男の子はみんな遊んでいるか
昼寝をしていました。
一番驚いたのは食事風景。
大きな子が先におなかいっぱい食べたら、ようやく小さい子が食べられる
ようになります。それまでは肘でガードされて手を出すことができないのです。
その食事も魚の切れ端が少し入った塩辛いスープで、白いごはんをたくさん
食べることをなんとかおなかを満たすようなものでした。
うーーーーん・・・・。
私が来る前に子どもたちの面倒を見てくれているスタッフの顔をつぶさずに
気になることを変えていくにはどうすればいいんだろうか・・・。
いや、それ以前にどうして大人が当たり前のことを指導できないのだろうか・・・。
当たり前のこと・・・
私にとって当たり前のことがカンボジア人スタッフには当たり前でないことにも
気が付きました。
当然まずはスタッフに理解してもらうことから始めようと思いましたが、大人に
なって頭が固くプライドもある相手。
そしてなんといってもシェムリアップという超ド田舎ではスタッフの力を借りずに
生活することもままならない私がえらそうにあれこれと教えるなんて勇気は
でませんでした。
当時25歳の私、厚かましく成長した今なら積極的に動いたのかもしれません。
そして私の出した結論は・・・
まずは自分がやろう
ということでした。
井戸の周りを掃除する、落ちているごみを炎天下の中黙々と拾う。
スタッフも子どもたちも見て見ぬふりでしたが、とにかく来る日も来る日も
汗だく、真っ黒になって掃除とゴミを燃やす作業だけを続けました。
そうするうちに数名の子どもたちが手伝いにくるようになりました。
そこで子どもたちと話をしたり、掃除の仕方を教えたりするようになり、だんだん
と手伝う子どもの人数も増えていきました。
これが現在の施設で夕方設定されている「お手伝いの時間」の原型です。
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