日本でのお仕事を終え、カンボジアに戻って10日ほどが
経ちました。
夏は毎年絵画展に始まり、絵画展で終わる日本滞在。
今年は会場が1つ増えたこともあり、いつも以上に時間が経つのが
早かったような気がします。
そんな中で滞在終盤のお盆の時期、特に予定もなく実家で過ごし
ながら、施設における自分の役割が変化してきていることについて
思いを巡らせていました。
2000年4月、なにもわからないままにプノンペンからシェムリアップへ。
当時1歳の息子を連れて・・・。
最初は夫とともにプノンペンの自宅で暮らしていました。
お手伝いさんが3人、運転手さんが1人、いつも誰かが身の回りのことを
気遣ってくれる環境。
治安が悪い、交通事故でも補償がないなどの理由で夫からは極力
外出するなと言われていた私はカンボジア独特の薄暗い作りの家の
中で1日の大半を過ごしていました。
掃除も洗濯も料理もすべてお手伝いさん。
息子のミルクなどの買い出しに行くときは運転手さんに助けてもらっての外出。
ついに息子の面倒までお手伝いさんたちがみるようになってしまい、私は
なにもすることがない・・・。
あるとき掃除や洗濯などを自分でしたら夫がびっくりするほど怒りました。
「カンボジア人の仕事をとるな」
そもそも家事も料理も好きな方で、私がやとってほしいと言ったわけでも
ないのに勝手に準備されて「君には不自由させない」と。
彼にとっての優しさはいつもお金ではかるものでした。
私はなんのために生きているのか・・・、何をしにプノンペンまで来たのか、
そんなことをよく考えていました。
「することがない」
こんなに苦痛な毎日ってあるんだろうか、と。
そんな日々が私にシェムリアップ行きを決断させたのかもしれません。
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