2014/05/22

カンボジア以前の自分をめぐる

例年になく5月にトークイベント、子どもたちの絵画展とイベント続きで
帰国中の私。
ありがたいことに帰国中は地元の友人たちや、大学時代の後輩などから
お誘いを受けます。

帰国してきたその日には高校時代の同級生、今ではお互いにお母さん。
そのあとは結婚して名古屋に住んでいる大学の部活の後輩。
そのすぐあとに同じく大学時代の部活の後輩と昼、夜と別々に。
そして昨日は高校時代から友人のおじさん(笑)2名。


私がカンボジアで施設運営をして、カンボジアの子どもたちにお母さんと
呼ばれるようになっても、カンボジア以前の私を知ってくれている人たちに
とって、私は旧姓の「おーまえ」もしくは「おーまえさん」。
私のやっていることを特別視せずに、普通に接してくれるのがうれしい。

後輩には、「自分が無知なのかもしれないけれど、カンボジアのことは
あまりよくわからない。それに日本にいても大変なことに向き合っている
人ってたくさんいるじゃないですか。」というようなことを言われて、私は
すごくうれしかったのです。

そうなんですよ、カンボジアでカンボジアの子どもたちにおかあさんと
呼ばれる日本人は絶対的に数が少ないから目立つけど、親として
日々子育てに向き合うのは日本にいるお母さんたちも同じ。
どこにいても自分にしかできないことはあると思うし、させてもらえる
喜びや幸せがあると思います。

別の後輩は仕事明けすぐに子どもたちの休日ということでアウトドアな
遊びに連れていくと行っていて、きっと彼にとってはその遊びが楽しみで
仕事を頑張れるのだろうなと思ってみたり・・・。子煩悩なパパっぷりが
ほほえましかったなあ。


高校時代の友人たちは、絵画展を手伝ってくれたり、あるいはそこには
あまり興味はないけど思い出したように呑みに誘ってくれたり。
でもみんなの前の私は「おーまえ」であることは変わりなく、会ったときに
特別カンボジアのことを詳しく聞かれることもなく(笑
とりとめない話や、近況をお互いに話し合います。


カンボジア以前の私、もしあの頃のいくつかの選択肢の中から違うものを
選んでいたらどんな人生になっていたのかな。

それでもきっと友達や後輩たちとの関係性はなにも変わってなかったん
だろうな。

カンボジアを選んだことで出会えた人たちがたくさんいて、私は自分の
選んだ道を後悔したことは一度もないけれど、もしかしたらそんなふうに
思わせてくれているのはカンボジア以前の私を知ってくれているみんな
の存在なのかもしれません。

自分の息子にも施設の子どもたちにもこういう誇れる友人を持ってほしい
なあと思います。
どこで何をしていても今の自分にできることをきちんとしていれば、いつでも
お互いに元気な顔を見せることができる。
そして大人になってからも新たによい出会いに恵まれるではないでしょうか。


実際に会った時間から戻って一人になるとしみじみとそんなことを思ったりして。


明日からの絵画展@名古屋、がんばるぞと、そんな気持ちをもらった時間
なのでした。



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