2018/11/09

大きな足跡

今日はカンボジアの独立記念日です。
私が生まれる20年前に、カンボジアはフランスから独立しました。
もし今カンボジアで暮らしていなかったら、そんな歴史も全く知らないまま暮らしていたんでしょうね。
独立後のカンボジア、1970年代のいわゆるポルポト時代を経て、国連主導の民主的選挙により今の政権が誕生がして25年が経ちます。
1990年代前半、ニュース番組などで日本から派遣された自衛隊のPKOのことや民間からの選挙監視員、文民警察の報道を見聞きしていました。

そのときすでにカンボジアの首都プノンペンに移住し、旅行会社を経営していた女性がいるのです。

大塚めぐみさん、といいます。

当時は観光客がほとんどなかったので、PKO派遣されてきた自衛隊やカンボジア情勢を伝えるために駐在していた報道関係者に対しての手配業務を主にしていたと聞いています。
時間があればセントラルマーケットに行き、市場のおばさんたちと会話することでクメール語を習得したそうです。

わたしが彼女に会ったのは2003年です。
カンボジアの子どもたちと日本の若者ををつなげるようなツアーを作りたいとの相談を受けました。
実はそういうお話は他からもよくあったのですが、スナーダイクマエでは数日間に渡り同じグループを受入れるということはしていませんでした。

めぐみさんと初めて会った時、彼女が若いころに児童養護施設の指導員をしていたことを聞きました。
施設に外部の人を入れることがどれだけ大変か、施設の中の人としての見解を持った人だったこともあり、常に「施設に迷惑をかけないこと」を前提にお話をしてくれました。
子どもたちが普段どのように生活をしているのか、訪問しても普段の生活をできるだけ乱さない時間帯や曜日はいつなのか、丁寧にきいてくれました。

それはわたしが一番気にしていたことでもあったので、この人とならなにか一緒にやってみたいと思うことができました。

結局そのツアーは15年も続き、何千人という日本の若者がスナーダイクマエを訪れ、わたしたちの教育方針に触れ、そのもとで育っている子どもたちと交流をしていきました。
ツアーが始まった当時、子どもとして参加していたパナーはのちに得意の日本語を活かし、めぐみさんの会社で観光ガイドして雇っていただきました。
彼がそのツアーをアテンドしてくる姿を見ると、15年という月日の長さを感じました。
彼もまた、めぐみさんと同様に、受け入れる側の立場をわかってアテンドしてくれる貴重な存在で、わたしも心強かったのです。

めぐみさんは歯に衣着せぬ物言いで、ときには厳しく、いや、厳しすぎて相手の誤解を招くことも多々ありました。
わたしも出会った20代後半からの10年ほどは、あまりにきつい言葉に何度も部屋で泣きました。

めぐみさんのことが苦手で、嫌いで、仕事以外では会いたくないと思うときもありました。

それでもめぐみさんは最終的にとてもかわいがってくれました。
たしかにめぐみさんの言葉はきついのですが、翌日思い返すと「もっともだな」と感じることも多かったのです。
そして最初に否定的にとらえた事柄でも、いい点をみつけるとそこに関しては素直に認めて褒めてくれる面も持った人だったので、そこに救われてきたこともありました。
それゆえに、メールの返信や会った時の返答の際には、わたしなりにめぐみさんへの敬意をもって対応してきたつもりでした。
それがめぐみさんに伝わったのかもしれないし、今になってですが、そうしてきてよかったなと思っています。

わたしは30代で母を、そして40になったときに父を亡くしました。
それと前後するようにめぐみさんもご両親を亡くしました。
人生の中で親を失うという大きな出来事、そのときの気持ちを共有することで、わたしとめぐみさんの関係はとても縮まったように思っています。
めぐみさんに言ったことはないけど、お母様を亡くした後のめぐみさんは言葉に角がなくなって、優しくなった印象があります。
「私の年齢でも親を亡くしたらこんなにつらいのに、博子ちゃんはもっと早くにご両親を亡くして・・・」と言ってくれたとき、自分の気持ちに乗せてわたしのことまで思いをめぐらせてくれたことが強く伝わってきました。

知り合って10年が過ぎた頃からは、節度を守りつつも、なんでも話せる関係になったように思っています。
お互いに共感を持ったり、価値観を共有できるタイミングが、わたしたちにとってはそのころだったのかなと、今はそんな風に受け止めています。

人との信頼関係はすぐに構築できるものではないし、そこに相手を尊重する気持ち、適度な距離感がないと続かないものだということ、めぐみさんとの関係を通じて、ゆっくりと時間をかけて、わたしは体験的に知りました。

そんなめぐみさんが今年の9月末で会社を閉めて、帰国するという決断をされました。
少なくとも週に1度は食事をしている仲になっていたので、めぐみさんが本当に帰国する直前まで実感がわきませんでした。

在住の有志により、めぐみさんの送別会をしたとき、自分でもびっくりするくらい涙がぼろぼろとこぼれてきました。
わたし自身のシェムリアップ生活18年の中で、これほどまでに色濃く、足跡をくっきりと残してくれた人は他にいるのだろうか、と。
嫌いでたまらなかったときもあるのに、そのときのわたしは素直に「さみしい」と涙を流していて、そのわたしをしっかりと抱きしめてくれているめぐみさんがいました。
しっかりと抱きしめてくれました

めぐみさんから、「カンボジアの人たちに生かされてここまでやってきた。だからカンボジアの人たちを悲しませることはしてはいけないんです。」という言葉をよく聞いていました。

めぐみさんがカンボジアを去ることになっても、わたしはそのめぐみさんの言葉を自分のものにして、受け継いでいきたいと思っています。
わたしがこれまで子どもたち、そして一緒に働いてくれているスタッフを大切にしようと思ってこられたのは、めぐみさんから何度も聞いていたこの言葉があったからです。

最後に最後に2人で会った時、めぐみさんから贈り物をもらいました。
それはゴールドの指輪でした。

「博子ちゃん、これから自分でもときどきお金を足してこの金を大きくしていってね。
いざとなったら売ればいいのよ。」

と、にこにこ話すめぐみさんを前にして、わたしもこんな大人になりたいと思いました。
もう十分大人の年齢なのですが、先輩たちの姿を追いかけながらも、若い人たちには自分が先輩からしてもらってきたことを返していける大人になりたいなと思ったのです。

ありがとうございます
お酒好きなめぐみさんにお付き合いしているうちに、最近少しは飲めるようになってきたので、次にめぐみさんと会うときは白ワインで乾杯したいと思います。

めぐみさん、長年にわたるカンボジア生活、本当におつかれさまでした。
かなり荒っぽいやり方だったのは否めませんが、わたしに色々なことを教えてくれて、ありがとうございました。
いただいた指輪、肌身離さず大事にしています。

日本での再会を楽しみにしています。