2019/01/09

1月7日

今から14年前の2005年から2006年の年越しはカンボジアで過ごしていました。

年が明けて1月8日、父から電話があり、1月7日に母が亡くなったと言われました。
元旦には母から電話もありましたが、他の人たちと会っている最中だったので、会話もそこそに切ってしまっていました。今となっては心残りでなりません。

父から伝えられる事実がなんのことかまったく理解できず、それを全身で拒否する自分がいた感覚を今でも思い出すことがあります。

その日から数か月間の自分の記憶が今でも曖昧です。

父の電話を受けて、翌日の便で息子を連れて帰国しましたが、どうやって関空までたどり着いたのか本当に覚えていません。

母はとても元気な人でした。
茶道と華道の講師をしていて、和歌山にある世界遺産熊野古道の研究もずっと昔からしていたので、古道を歩く方々のガイドをすることもありました。
母が亡くなったのは、その熊野古道を案内した直後のことでした。

わたしは幼いときから母が大好きでした。
父と母がケンカしても、理由はどうあれ無条件に母の味方でした。
学校のことやその日に起きた出来事は、なんでも母に聞いてもらいたかったし、母の考えを聞く時間も大切に思っていました。

でも思春期になったころ、少しだけ母を避けるようになりました。
茶道、華道の教室には当時何十人ものお弟子さんがいて、先生と慕われている母を見ていると疎ましい気持ちになりました。
今思えば、それはたぶん母を取られるような気持ちだったからなのかもしれません。
そして母をかなうはずもないのに、ライバルのように思う自分もいました。

結局は母が好きすぎて、そういうふうになったんだろうなと、今は思います。

シェムリアップに移住し、まったく教育されていない子どもたちに、生活習慣を1から教える日々になった時、気づいたことがあります。
それは、自分がいかに丁寧に育ててきてもらったか、ということです。

掃除、洗濯、片付け、食器洗いなどの家事を細かく子どもたちに教えながら、なぜ自分は自然とできることがこの子たちはできないんだろうと思いました。
教えてくれる人がそばにいなかったから、答えはそれしかありませんでした。
子どもたちが知らないことを知り、それを吸収すればするほどに、母の丁寧さを感じていました。

ようやく子どもたちに基本的な生活習慣や他者の気持ちを考えて行動することなどが定着し始め、この様子を母にも見てもらいたいと思っていたころに、母が亡くなりました。

そんなわたしに「今も見てくれているよ」と言葉をかけたくなる人もいると思います
それはもちろん善意からですし、言いたくなる気持ちはよく理解できます。
それでも、「でももういないんだよ、会話がしたい、母の考えを聞きたい、まだまだ教えてほしいことは山ほどあった、それはもう一生叶わないんだよ」という気持ちになってしまうことも否定できないんです。
それだけ深い悲しみがあります。

母が亡くなって13年が経って、2014年に父も亡くなりました。
あまり好きではなかった父でしたが、母が亡くなってからはわたしの心のよりどころになってくれていたので、二人とも早すぎるでしょう、といつか会った時に言いたいと思っています。

息子が反抗期の頃、わたしは自分が母を嫌った時期を思い出していました。
子どもたちと接するとき、息子はそれをどう思って見ているんだろうという思いはいつも頭の片隅にありました。
お弟子さんたちをとても大切にしていた母も、もしかしてわたしが息子を思うような気持ちを持ちつつ、お弟子さんたちに接していたのかもしれないと、息子の成長と共に思うようになりました。

息子は今、私と離れて日本で暮らしています。
時々電話で話すこともあるのですが、よっぽどでないかぎり、話をそこそこにして切ってしまうことはしないようにしています。
息子も同じ気持ち、いやわたし以上にそうしてくれていると思います。


今でも問題に直面したとき、母だったらなんと言ってくれただろうと考えます。
それを想像しながら答えを見つけようとします。
時が経って、自分のやってきたことに納得がついたときに、答え合わせが完了したような気持ちになります。
母が亡くなり、ずっとずっと大きな宿題を抱えながら、時折こうして答え合わせをして前に進んでいるような気がします。


母のことを尊敬していますが、一つだけ文句を言わせてもらうとしたら、

死ぬのが早すぎた

ということでしょうね。


だからわたしは母と自分の生きてきた道のりを直接話したり、父と母に「早すぎたでしょう」と伝える日は、ずっと先にとっておきたいと思っています。
離れていた間に起きた出来事を山のようしておいて、話が尽きないように。
これからまだしばらくは、それをたくさん準備させてもらいます。


母からわたし、わたしから息子へ
つながっているものがあります

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