2020/01/17

今年もこの日が来ました

1月17日は生涯忘れることがない日。
併せて1月7日も。

1月7日は16年前に亡くなった母の命日です。
そして偶然ですがカンボジアでは虐殺政権からの解放日。

1月17日は阪神大震災の日。
今年であれから25年が経ちます。



今カンボジアの時間で午後6時前ですが、日本では午後8時前。
25年前の今日のこの時間、大学生だったわたしは当時避難所になっていた本山第1小学校の校舎から、母校である甲南大学の避難所に移動していました。

その少し前、夕方ごろだったように記憶していますが、本山よりも少し南西の方で火事がありました。
友人と2人で被害の状況を見ているときでしたが、消火活動の人手が足りなかったので、すぐに自分たちも手伝いに入りました。
火事というのはあっという間に火の手が回るというのをそのときはじめて目の当たりにしました。そしてとても熱かったあのときの熱風の感覚を、自分の皮膚が覚えています。

消火活動が一段落してから避難所に戻りました。
自分の住んでいた部屋は大丈夫だったのですが、人がたくさんいるところにいないと心細くて怖かったのです。
市の職員らしき方々がおにぎりなどを持ってきてくれましたが、絶対的に数が足りていなかったので大学生だったわたしは遠慮し、お年寄りや子どもたちを優先してもらいました。
学校の教室の引き戸を誰かが開け閉めするたびに、ガラガラという音におびえました。
地震が起きたときと同じような音に思えて、聞こえると体が震えました。


自分の中には震災というものが、そんな細かいことも記憶として刻まれていて、1月になるといつも同じことばかり思い出します。
話を始めるときりがないくらいに些細なことも口をついて出てきます。


6000人以上の方が犠牲になりましたが、その方々のご家族、ご友人など関係者にもわたしと同じようにそれぞれの記憶があるのだろうと思います。


和歌山にたどり着いたとき、わたしは地元の最寄り駅で泣いていたそうです。
「全部なくなった」と言って泣いていた、と母から言われました。

その日の夜は母と同じ布団で寝ました。
部屋のあかりはつけたままにしてもらいました。

1月7日母の命日が来ると、このときしばらく一緒に添い寝してもらったことを思い出します。
そして母に話しかけます。
「もうすぐまた震災の日が来るね」

1月17日が来ると毎年静かに思います。
「日々を丁寧に生きよう」

あのとき生き残った自分にできるのは、これからも丁寧に生きていくこと。
いつか母に会える日が来たら、「見ててくれた?」と聞きたいなと思っています。


2019/12/28

やっぱり2019年最後に・・・(長いですよ)

先日、令和元年最後の投稿と書いたのですが、やっぱりもう一回書きます。
マイペースです(笑


2019年は平成と令和が混在している1年となったわけですが、来る2020年からは完全に令和になりますね。

だからというわけでもないのですが、なんとなく今年の間にモワっと思っていたことを書いて、すっきりと新年を迎えたいなと思いまして。



今年1年を振り返ると、執着心、について考えさせられることが多かったように思います。


わたしは人にも物にも執着心がないので、友人には自己肯定感が強いからじゃない?と言われたことがあります。

そもそもなぜ今年それについて考えたかというと、私自身ではなく、赤の他人様がいろいろなことに執着している(ようにみえるといってもいいけど)場面に出くわすことが多くて、「しんどいだろうな」と思っていたからです。

わたしが「しんどいだろうな」と思うのは、まぎれもなく過去の自分がそうだったからです。
だからもともと自己肯定感が強かったわけでもなんでもない(笑
かといってなにか強烈なコンプレックスを持って生きてきたわけでもないので、そういうふうに育ててくれた親には感謝しています。


なにかに執着した経験を思い出すと、しんどさしか蘇ってこないです。


じゃあなんで色々なものに執着しない自分になれたんだろうかと思うと、やっぱりカンボジアに来たからなんだと思うんです。
カンボジアに来たから、というか、ここに来てからいろんな経験をして、そこから導いた答えの中に、執着しないほうが自分も楽だよ、ということがあるんでしょうね。

で、今年は他人様が執着心まるだしで行動してるのを見てたり、ときにはこっちに矛先が向くようなことも色々とあったんですが、正直しんどかったですね。
見てても、こっちに向かってきても。

つまりそういうのを傍から見てて「しんどそうやな」と思うと同時に、自分も「しんど・・・なにこれ」と感じてたわけですね。



しんどいなあと思うこと、この20年たくさんあったけど、振り返るとほぼほぼ執着心から来てたような気がするので、人間ってすごいですよね、しんどくならない方法を知らないうちに身につけてきたというか(笑
この20年、いや前半の10年間くらいなのかな。そこから徐々にそういうのがなくなって、今に至るのか。

人は急に変わりませんからね。
いやー、そうやとしてもわたし、かしこいな。
うん、かしこい。
誰も普段褒めてくれんから自分で褒めとこ。

まあ、自分と同じ人間はこの世に2人といないので、わたしがそうやからって他人もそうなるとは言えないし、みんなそれぞれ違うわけなんですけど。
それにわたしのいうことが正しいわけでもないし、わたしが自分で勝手にかしこいと思っているだけやし。

とにかく、なんにしても執着心を持っている人を見てて、自分も「しんど・・・」ってなるなら、見るのやめようと思います。そっと離れます。


完全なる令和の時代到来に向け、自分にとってあまり意味のない「しんど・・・」とは決別いたします。

歳を重ねるにつれ、楽しく生きたいなと思うようになりました。
歳とる(老いるという意味で)のも嫌じゃないし、怖くないし。実際楽しいなと思ってるので、この調子でいきたいな、と。

自分のことが好きやな(あかんとこも含めて自分やし)とおもえる自分が幸せなんやなって思います。

何の話やったかな・・・。

そうそう執着心。
もし一つだけ自分の中に密かにある執着心を挙げるとしたら・・・。

うちは一人息子やということもあるし、自分の親が思ったよりも早く死んじゃったということもあるし、なんか親として息子とできるだけ長くいたいなという気持ちは強いです。
お母さんともっと長く一緒にいたかったんで(マザコンです)。
あ、お父さんも(笑

だからたぶんそれは「寿命」なんでしょうね。

すごいさらっと書きますけど、わたしは国(日本)が難病指定している病気の患者なので、わりと健康には気を付けています。
だから逆に長生きできると思うんですよね。(ポジティブ)


息子命、な母ですが、本人に言うと呆れそうなので、ここにひっそり書いておきます。
これからあの子がどんな大人になっていくのか、ずっとずっと見ていたい。(執着心丸出しすぎる笑)



年末にちょっと真面目に考えて、来年はどうしようかなぁという時間を持つこともいいですね。

わたしはいつもぼわっと、なんとなくこうしようかなあという考えを持つようにしています。
そうしてるとだいたい自分の思う幸せな方に向かっていけてるので。

良くも悪くも様々なものごとに寛容な社会であるカンボジアで、来年も皆さんにはお世話になって、ときには自分もなんか役に立てることがあれば・・・、生かされていくのだろうと思います。

これ読んで、結局何が言いたいねんと思った方、長文読んでもらったのにすみません。
たぶん感性が違うだけなので気にしないでください。

なんかふわっとわかるわーと思ってくれた方、ありがとうございます。


来年は、より多くの人があるべき方向に導かれ、自分らしく幸せな日々を過ごせる1年になりますようにという神目線で今年最後のブログを締めくくりたいと思います。


今年も関わってくださった皆様ありがとうございました。
意味もなくわたしに迷惑をかけてきた皆さん、さようなら。

それでは、皆様よいお年をお迎えください。


2019/12/15

宣伝みたいで恐縮なのですが・・・

令和2度目の投稿が令和元年最後の投稿になりそうです。
いつもながらマイペースです。


今日は今年お声がけいただいた講演のまとめを・・・。
12月となり、今年の記録を残しておこうと思いました。


★関西学院大学国際学部(兵庫県)


★りら創造芸術高等学校(和歌山県)

★神戸親和女子大学(兵庫県)


★静岡県立大学学生NGOあおい(静岡県)


★飯田市鼎公民館(長野県)

★共和病院(愛知県)


★大阪西南ロータリークラブ(大阪府)

★和歌山県立星林高等学校同窓会(和歌山県)


★福島成蹊中学校(シェムリアップ)

★ウォーキングツアーご一行様(シェムリアップ)



写真がないのですが、吹田市立豊津中学校でもお話させていただきました。(先生から写真が届きません・・・)
それぞれの場所でたくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。


日本ではもちろんですが、カンボジアにいるときでもご要望があれば講演させていただいています。(施設訪問とは別になります)

テーマはご要望にお応えしています。

来年も帰国時にこういった機会をいただけそうで、各所からご連絡、お問い合わせをいただいております。
ご興味のある方は下記アドレスまで気軽にご連絡ください。


それでは皆様、よいお年をお迎えください。

来年もマイペース更新になりますが、よろしくお願いいたします。

2019/05/05

一番のおともだち

早くも令和最初のブログ更新です。
褒めてください(笑


昨夜、カンボジア生活の苦楽を10年以上にわたって共有してきた友人とその娘さんと食事しました。

娘さんとは生まれたときからのお付き合い。
と、わたしが勝手に言ってるだけですが・・・。
初めての出産子育てで友人が大変だった時、わたしがどれだけ役に立ったのかはわからないけど、気休めくらいの存在ではいられたかなと自負しております。

そんな娘さんも、もう中学生になりました。

とてもシャイで、たまに御飯に行っても静かにしていて、私と話すことはほとんどありません。
もう少し小さいときはわたしが変顔をすると、静かに微笑んでくれていましたが、最近は彼女も大人びてきたので、わたしも変顔は控えています。

そんな彼女がなんだかもじもじしながらお母さんに向かって、「今出していいの?」と聞いています。
レストランで席についてすぐのことでした。
お母さんにうながされ、出してくれたのがこれです。

これはまさか・・・
最初FRIENDと書かれたほうだけくれたんですが、それでもそれがなんなのかわたしにもわかりましたよ。

お母さんがすかさず「自分の方も見せてあげないと、ひろこちゃんにわかりにくいよ。」と言ってくれたので、もう片方を出してくれてドッキング。

BEST FRIENDのハートができました。

去年かおととしくらいのことだったと思うのですが、市内のインターナショナルスクールに通う彼女が、

My best friend in Siem Reap is ひろこちゃん

と言ってくれたことがありました。


うれしかったのでずっとそのことを覚えていました。


とはいえ、もう中学生になった彼女がいまだにこんなふうに思ってくれていたなんて・・・。

シャイでほとんど話すことのない彼女がそんなふうに言ってくれるというのは、きっとわたしと自分のお母さんの関係を見てくれているからなんだと思います。
友人とはしょっちゅう会うわけではなく(彼女は仕事が忙しくてなかなか会えないのです)、数か月に一度の会食を楽しみにするような仲です。
子どもって自分のお母さんを大事にしてくれたり、本当にきちんと付き合っている人のこと好きになりますよね。
わたしが子どものときはそうでした。
表面上だけの人って子どもでもわかるんです。

だからこれは娘さんとわたしの友情の証であると共に、彼女のお母さんとわたしの関係を認めてくれている証でもあるわけです。

カンボジアに長年住んでいるわりには、交友関係はあまり広くなく、とっつきの悪い人と思われているかもしれませんが、わたしが求めているのは広く浅くの関係ではなく、こういう人間関係なんだと改めて感じさせてもらう出来事でした。

子どもに教えられることってほんとにたくさんあります。

あと、子どもの視点も。
しっかり大人のことを見つめている、ということを忘れてはいないなと思いました。

ありがとう、一番のおともだち。

2019/04/30

平成最後の ←言いたいだけ

平成最後でも令和最初でもええやんと思っていたのですが、令和最初はいつでも書けるけど、平成最後は今日しかないかと思い直して書き始めました。


わたしが初めてカンボジアの地を踏んだのが1997年、平成9年のことです。
昭和が終わるときはたしか中学3年生だったのかな。
ちょっと話がそれますが、この年に昭和の歌姫・美空ひばりが亡くなって、子どものくせに妙に悲しみにふけっていた時、クラスのイケイケの女子に「ひばりちゃん亡くなったなあ、さみしいわ」と言われて、このイケイケ女子もひばりちゃん好きやったんか!と驚いたことだけは鮮明に覚えています。
ひばりちゃんが亡くなって昭和が終わった・・・という感覚を持っている人もたくさんいるのではないかと思います。

わたしたちは昭和後期の記憶もはっきりあり、平成も初めから終わりまでちゃんと覚えている世代になるんですね。
そんなことあまり考えたことなかったけど。

そしてその平成の三分の二くらいはカンボジアで過ごしたことになります。

だからわたしは平成時代の日本を肌で感じる機会が少ないままに、今に至りました。


先日平成生まれの(息子と同い年)若者二人が施設を訪問してくれたのですが、そのときにこんな話をしました。


「イマドキの若者は」という言葉、これってどの世代も若いときに必ず言われるものだと思うんです。
そのときそれを言う人が物事を判断する基準は、自分たちの生きてきた時代なんですよね。
言い換えれば「自分たちの頃はこうだったのに」みたいな気持ちが強い。
まあ自分たちが一番と思いたいのは人の常なので、ある程度はいいんですけど。


わたしの母は戦後生まれ、父や叔父、叔母たちは戦前生まれでした。
母は親戚が集まったりしたあとに、よく「戦前の人たちの考えが自分には理解しづらいけど、教育の違いなんかなあ」と言っていました。
そして自分が開いていた茶道や華道の教室に来る若い生徒さんたちに「今の若い子はしっかりしてる。自分の考えをちゃんと発言できるし、わたしらの若いときと違うわ。」とも言っていました。

自分と違う世代の人たちを知ろうとか理解しようする気持ちが見て取れました。
特に若い人たちへの期待が。

自分たちはこうだったからと相手に押し付けると、相手はその時代を知らないから混乱するんでしょうね。
その人たちが生まれたころ自分は大人になっていたわけなので、その感覚のギャップを埋めようと思ったら、想像したり、その世代の人たちの話をたくさん聞くしかありません。

「それが足りないからいつまで経っても理解し合えないのだとしたら、若い人たちの話を聞いてみたいな。こっちの感覚を押し付ける前に。みんなにもわたしらのことを理解してもらいたいから。」と、彼らに話していました。

母の影響もあるし、平成のほとんどをカンボジアで過ごし、平成時代の日本を直接感じる機会が少なかったこともあるでしょう。
実際のところ、平成後半に生まれた人たちが、日本とか社会にどんな感覚を持って子ども時代を過ごしたのかは興味があります。

「今日はここまで来て、色々と話を聞かせてくれてありがとう」
という言葉が自然に出ていました。

そしてもう一つ。

イマドキの若い子たちを育てたのは誰なのか、ということを忘れてはいけないと思います。
あいさつができないなど礼儀がなってないという話もよく聞くけど、教えられてないからじゃないのかな。
もちろん実際にそういう人に会うと不愉快でムッとしてしまう自分がいるんですけど、落ち着いて考えると教えてもらってないことはできないし、教えなかった周りの大人の罪を感じたりします。
自分たちの時代がよかったと思うなら、それを下の世代に伝えないとね。
教えてもらえずに大きくなった人たちが気の毒でもあります。
反対にきちんとできる子にも会うんですけど、そのときは「ご両親、近くにいたであろう大人の皆さん、ありがとう」と思います。


毎日のなんでもない日々に当たり前のことを当たり前に積み重ねておかないと、10年とか20年経ったときに取り返しのつかない澱のようなものがたまってしまう、大人の責任ってこういうところにあるのかな、と。


取り返しのつかないと書きましたが、取り返しはつくんですよね、きっと。
それは今日からでも、そのなんでもない当たり前のことを積み重ねる日々を始めることなんです。

結果がいつわかるのかわからないことに取り組むのって難しいんですけど、自分と自分の近くにいる人への愛とか思いやりがあればできる、というか、やらないとね。
そのためにはなんでも他人事にしないで、自分は何ができるのかと考えで行動することが大切です。

明日から始まる令和をそんな時代にしたいなって思います。
地味に。淡々と。静かにこっそりと決意表明です。


2019/04/22

答えは自分の中に

SNSが身近なツールとなって久しく、なんでもかんでも思ったことをすぐに全世界に公表できるようになりました。

基本的に誰かを傷つけるとか攻撃するための言葉でなければ、全世界に思いのたけを叫んでも全然いいと思ってます。
あとはネガティブな感情は、わたしは書かないように気をつけてます。


わたしのような職業をしていると、自分の活動をお知らせするとき、ともすれば「誰かのために」とか上から目線に見えたり、自慢げな内容、不遜な表現になってしまう(そう受け止められてしまう)こともあるかもしれません。

わたしにとって、他人からそう思われることは穴に入りたいくらい恥ずかしい話なので、本当にそんなふうになりたくないと思っています。


伝えることって比較的やりやすいのですが、黙っていることって難しいのかもしれません。
昔がよかったというわけではないのですが、わたしが今の仕事を始めた頃にはSNSどころかインターネットもほぼ整備されていない状態だったので、誰にも知られずに黙々とやるしかなかったんです。
誰かに知ってほしいという欲求すらなかったです。

伝える術がお手紙かパソコンのメールしかなかったし、その瞬間に誰かの反応を知ることもありませんでした。


今は今日の子どもたちの様子をこの瞬間に皆さんにお知らせすることもできるし、そういう意味ではほんとに便利になったなあと思います。


そういうツールを持たない頃から今の仕事をしてきた私が、黙ってやることやってればいい、とか言うと「今はそんな時代ではない」とか「自分をどう見せるかを考えたほうがいい」とかいう意見もあるんですが。


わたしは・・・


本当に自分の等身大の姿を生身の人間として知ってくれている人が一人でもいる限りは、虚像みたいなものを作りたくないなあと思っています。

たった一人でも自分が大切に思う人に疑問に思われるような見せ方をしたり、現状を知っている人がいるのに事実よりも自分を大きく見せることで、その人たちから幻滅されたり、失望されるのは耐えられないなと思うんですよね。
いや、ほんまに、それは恥ずかしすぎる・・・ない、ない。

それと引き換えに、顔も名前も知らない人たちからたくさんの称賛を得て、なにになるんだろうとしか思えません。
そんなことで身近な友人の信頼をなくすことのほうが、とんでもなく怖いことです、わたしにとっては。


今取り組んでいること、悩んでること、それでも何とか進んでいること。
自分の持ち場があり、そこで真剣に向き合っている人は他の誰かの見えない部分を想像することができます。
全部言わなくても、黙っていてもわかってれる人がいるということです。

でもなあ、人間だから、言いたくなりますよね。

そんなときはやはり生身の人間に話すことが一番です。
しんどいねん・・・、と言える人がいるかどうか。
それが今の等身大の自分だから。



ずっと前にこのブログに、父がわたしに「お前のことはお前にしかわからん」と言ったという話を書いたことがあります。
転じて、「知らない人が言うことは気にするな」という風にわたしは受け止めました。


「世の人はなにをぞ言わば言え 我が為すること我のみぞ知る」

という坂本龍馬の言葉から来ているのかな、と思ったりするのですが。
「龍馬のこういう言葉があってな・・・」と説明せずにいうあたりがうちの父らしさがあります。

なんでもかんでも言わないとわかってくれないたくさんの人からその時限りの誉め言葉を得るよりも、黙っていても理解しようとしてくれる人がいることのほうが、わたしにとっては幸せであり、大きな支えになるのです。


頑固で、わかりづらくて、怖そうとか言われるけど、わたしはそうだから仕方ないです。
自分を偽ること、本当の姿よりも立派に見せることって、他の誰よりも自分自身が一番つらいように思います。

便利なツールに使われるのではなく、うまく使って自分の本当の姿と子どもたちの今を知ってほしいなと思っています。

よくこのブログにも書いていますが、自分のやりかたと違うことをする人を否定はしません。
わたしはそう思う、ということを文字にしてみました。
なんか黙っていられなくて、わざわざ。



で、もう一つ黙っていられないことがありますのでここに告知します(笑

今年も子どもたちの絵画展開催します。
よろしくお願いいたします。

わたしは絵画展のために一時帰国するのですが、合間に色々なところからお声をかけていただき、講演会やおはなし会をする機会をもらっています。
(現時点で10会場ほど)

もしもまだほかにもお話をさせていただける機会があれば、受け付けておりますのでご一報ください。

2019/03/03

サイハー

卒業生にサイハーという男の子がいます。
一番手前が幼き日のサイハー

今は観光省発行のガイドライセンスを取得して、フリーランスのガイドとして自立しています。
最近彼女ができたらしく、SNSでは仲良さげな写真ばかり投稿しています(笑

今日、うちを訪問してくださったグループのガイドもさせていただいていたようです。

そのメンバーの方にこんなことを教えてもらいました。
サイハーが話したことらしいのですが・・・

スナーダイクマエを卒業できて本当によかった。
こんないい場所は他にないと思う。

ただし、それがわかるのは卒業してから。

子どもとして生活しているときは、お母さんが本当に怖かった。


怖かったと思いますよ、でもそれはやってはいけないことをしたときだけです。

子どもには媚びない主義なので(笑
(子ども以外にも、か・・・笑)

メンバーの方々は、気配りもしてくれて、とてもいいガイドさんだったと言ってくれていたのですが・・・。
卒業生大集合@わたしの部屋
この卒業生メンバーの中だと、一番頼りないのがサイハー・・・笑
いつもみんなに「大丈夫?」といじられています。

サイハーは両親の代わりに養育してくれていたおじさんに虐待を受けていた過去もあり、子どものときからかわいらしい顔とは裏腹に、その表情にはときどき憂いが見え隠れしていました。
自分の本音を容易には見せないようなところもあり、実際のところ、私にとっては少しわかりづらくやりにくい子どもでもあったんです。

そんなサイハーが、大人になった今、うちのことをいい場所だと第3者の方々に話してくれていたり、わたしのことが怖かったと本心を言ってくれたりすることが、わたしにとってなによりもうれしいことなんですよね。

答えはその時に出るわけではない、ということ。

ここにいるみんなの子ども時代に10年後を見据えた接し方を心がけていました、と今日の皆さんにもお伝えしたのですが、先にサイハーの話を聞いていたからか、余計に皆さんの心にも響いたようでした。

いわゆる大変なことっていうのは日々起きるのですが、こういう日があるとなんとなく幸せな気分になり、なんとなくごまかされて(笑)、また少しでも前に進む力に代わるんです。

幼少期、うちに来る前はつらいこともあったけど、今のサイハーは一人声を殺して夜中にひっそり泣いていた時のサイハーとは違います。
スナーダイクマエでたくさんの愛情を感じ育ち、今は人を愛することも知ってくれました。


今の子どもたちの10年後、どんな気持ちでスナーダイクマエを見てくれるようになるのかな。
それを楽しみにしながら、まだまだここでやっていくぞと思っています。