2019/04/22

答えは自分の中に

SNSが身近なツールとなって久しく、なんでもかんでも思ったことをすぐに全世界に公表できるようになりました。

基本的に誰かを傷つけるとか攻撃するための言葉でなければ、全世界に思いのたけを叫んでも全然いいと思ってます。
あとはネガティブな感情は、わたしは書かないように気をつけてます。


わたしのような職業をしていると、自分の活動をお知らせするとき、ともすれば「誰かのために」とか上から目線に見えたり、自慢げな内容、不遜な表現になってしまう(そう受け止められてしまう)こともあるかもしれません。

わたしにとって、他人からそう思われることは穴に入りたいくらい恥ずかしい話なので、本当にそんなふうになりたくないと思っています。


伝えることって比較的やりやすいのですが、黙っていることって難しいのかもしれません。
昔がよかったというわけではないのですが、わたしが今の仕事を始めた頃にはSNSどころかインターネットもほぼ整備されていない状態だったので、誰にも知られずに黙々とやるしかなかったんです。
誰かに知ってほしいという欲求すらなかったです。

伝える術がお手紙かパソコンのメールしかなかったし、その瞬間に誰かの反応を知ることもありませんでした。


今は今日の子どもたちの様子をこの瞬間に皆さんにお知らせすることもできるし、そういう意味ではほんとに便利になったなあと思います。


そういうツールを持たない頃から今の仕事をしてきた私が、黙ってやることやってればいい、とか言うと「今はそんな時代ではない」とか「自分をどう見せるかを考えたほうがいい」とかいう意見もあるんですが。


わたしは・・・


本当に自分の等身大の姿を生身の人間として知ってくれている人が一人でもいる限りは、虚像みたいなものを作りたくないなあと思っています。

たった一人でも自分が大切に思う人に疑問に思われるような見せ方をしたり、現状を知っている人がいるのに事実よりも自分を大きく見せることで、その人たちから幻滅されたり、失望されるのは耐えられないなと思うんですよね。
いや、ほんまに、それは恥ずかしすぎる・・・ない、ない。

それと引き換えに、顔も名前も知らない人たちからたくさんの称賛を得て、なにになるんだろうとしか思えません。
そんなことで身近な友人の信頼をなくすことのほうが、とんでもなく怖いことです、わたしにとっては。


今取り組んでいること、悩んでること、それでも何とか進んでいること。
自分の持ち場があり、そこで真剣に向き合っている人は他の誰かの見えない部分を想像することができます。
全部言わなくても、黙っていてもわかってれる人がいるということです。

でもなあ、人間だから、言いたくなりますよね。

そんなときはやはり生身の人間に話すことが一番です。
しんどいねん・・・、と言える人がいるかどうか。
それが今の等身大の自分だから。



ずっと前にこのブログに、父がわたしに「お前のことはお前にしかわからん」と言ったという話を書いたことがあります。
転じて、「知らない人が言うことは気にするな」という風にわたしは受け止めました。


「世の人はなにをぞ言わば言え 我が為すること我のみぞ知る」

という坂本龍馬の言葉から来ているのかな、と思ったりするのですが。
「龍馬のこういう言葉があってな・・・」と説明せずにいうあたりがうちの父らしさがあります。

なんでもかんでも言わないとわかってくれないたくさんの人からその時限りの誉め言葉を得るよりも、黙っていても理解しようとしてくれる人がいることのほうが、わたしにとっては幸せであり、大きな支えになるのです。


頑固で、わかりづらくて、怖そうとか言われるけど、わたしはそうだから仕方ないです。
自分を偽ること、本当の姿よりも立派に見せることって、他の誰よりも自分自身が一番つらいように思います。

便利なツールに使われるのではなく、うまく使って自分の本当の姿と子どもたちの今を知ってほしいなと思っています。

よくこのブログにも書いていますが、自分のやりかたと違うことをする人を否定はしません。
わたしはそう思う、ということを文字にしてみました。
なんか黙っていられなくて、わざわざ。



で、もう一つ黙っていられないことがありますのでここに告知します(笑

今年も子どもたちの絵画展開催します。
よろしくお願いいたします。

わたしは絵画展のために一時帰国するのですが、合間に色々なところからお声をかけていただき、講演会やおはなし会をする機会をもらっています。
(現時点で10会場ほど)

もしもまだほかにもお話をさせていただける機会があれば、受け付けておりますのでご一報ください。

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