2018/05/10

今年もまた再会がありました

久しぶりの更新。もはやそれが当たり前になってしまっております。
それでもこれを読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

今年は15年ぶりに春の帰国をいたしました。
カンボジアは4月がお正月、新年を迎える季節です。

タイへの出稼ぎ労働者が増えている近年、カンボジア正月に一時帰国する
人たちも多いのですが・・・。
帰国前に1通のメッセージを受け取りました。

「おかあさん、ぼくは4月にかんぼじあにかえります。おかあさんはいますか?」

送ってくれたのは、施設の卒業生サヴィの弟、サヴォでした。
何年も前からタイで暮らし、独学で習得したタイ語(読み書きも)を使って
工場内の通訳をしている、ということは知っていました。

サヴィ、サヴォ兄弟はもちろん施設に一緒に入ってきたのですが、その後
離れ離れで暮らすことになります。
結婚した姉が2人を引き取ると言ってきたとき、弟のサヴォは行くと、そして
兄のサヴィは行かないという決断をしました。

サヴィはここにいたほうが日本語を習得できると考えての決断でした。
サヴィについてはこのブログ内でも別記事で紹介しているので、お時間の
ある方は読んでみてください。

そのときに別れてからずっと会っていなかったサヴォとつながったのは昨年。
フェイスブックで私を見つけてくれたことがきっかけでした。

その時から何度となくメッセージをくれていた彼、時には日本語、時には
英語で交流していました。

ちょうどカンボジア正月に何年振りかの帰省をすると連絡をくれましたが、
あいにく私も日本に帰国が決まっていて、「あえないね。ざんねんです。」
と返信していました。

春の帰国を終えて、カンボジア正月最終日に戻ってきたわたしに、サヴォから
再度連絡がありました。

「いま、どこですか?」

彼はまだシェムリアップにいたんですね。
そしてすぐにうちまで顔を出してくれました。

私が知っているサヴォは小学生の少年で、でも目の前にいるのはまっすぐな
視線をなげてくる立派な青年でした。

翌日の早朝のバスでタイに帰るということだったので、30分ほど話しました。

サヴォの働く会社は携帯電話の部品などを組み立てているそうで、カンボジア人
従業員が300人ほどいるそうです。
彼は管理職のタイ人と労働者のカンボジア人をつなぐ通訳業務をしているとの
ことでした。

お兄ちゃんのサヴィはうちに残ることで日本語を習得し、現在は日本語ガイド
として活躍していますが、弟のサヴォもこうして語学で自立した生活をして
いることがわかり安心しました。
しかも私と話すときはできるだけ日本語を話そうと一生懸命でした。
子どものときに学んでいた日本語を覚えていてくれただけでもうれしかったです。
語彙が足りない部分はクメール語で補いつつの会話。
あっという間の30分でした。


別れ際、「元気でね」と声をかけると・・・

大きく両手を広げてハグしてきたんです。

すごくびっくりしました。

たぶんお兄ちゃんのサヴィなら恥ずかしがってやらないような気がします。

その瞬間だけ、少年のサヴォにもう一度会ったような気がしました。
無邪気に抱きついてくる少年に。
でもそのサイズは紛れもなく青年で、わたしはすっぽりと彼の腕の中に
包まれてしまっていました。
とても不思議な瞬間でした。

立派になったね
 20代半ばになったサヴォ、タイ語を習得するのにどれだけの努力をしたのか
隣の国とは言え異国で何年も暮らし、どんな苦労をしてきたのかと思うと
笑顔で別れたかったのに涙が止まりませんでした。

また会おうね。
会いに来てくれて、ありがとう。