2014/03/26

私がさせてもらえるようになったことについて

3月は施設の訪問者がとても多い時期になります。
そんなわけで今月はいつもより多くの訪問者対応をさせてもらいました。

2時間と言う制限を設けて受入れをさせてもらっているのですが、支援団体の
方が来る場合は例外もあります。

いずれにせよ、最近は「子どもたちと遊びたい」という理由で訪問してくる
人たちよりも、運営のことや、ここにいる子どもたちが日々どのようにして
暮らしているのかを知りたくて訪問してくる人が増えているように感じます。




私が施設に関わるようになったのは26歳になる年、まだ25歳の頃でした。
在住者も少なく、観光客も今のように多くありませんでしたが、施設のことを
知って訪ねてくる人もいました。

右も左もわからず、そこでの新しい暮らしを始めるだけで精一杯だった
あの頃、私が話せることはほとんどなかったように思います。

支援者の方も、右往左往する私のことをきっと頼りなく感じていたと思います。

施設を知る人の中には「あの子に何ができるのか、荷が重すぎるのでは
ないか」と言う人もいたし、そのときは悔しい気持ちはあったけれど、今になって
思えばそれも仕方ないことだったのかもしれません。

それでも恵まれたことに支援者の多くは私のことを励まし、支えてくれました。
そしてありがたいことに施設の支援者の方は施設創立から今に至るまで
関わり続けて下さっている方がほとんどなのです。

その当時よく言われたのは、「自分の娘と同じような年齢の子ががんばって
いるのだから、応援したい」という言葉でした。
その言葉に支えられて、20代・30代を過ごしてきたと思います。

悔しいことやつらいことがあっても、前向きにやってこれたのはそういった
心のこもった言葉、それを投げかけてくれる人たちがいてくれたからです。


自分を育ててくれたのは両親です。
衣食住、学校に行くことなど子どもの時に自分を取り巻く環境はすべて
親の手に委ねられていたはずです。
カンボジアに来たのは自分の意志であり、親に与えられたものではあり
ませんが、「親の理解」があったからこれたのだと思います。

でも育ててくれたのが両親だけではないのだということをカンボジアに来て
から理解するようになりました。
子どもころと大人になってから決定的に違うことは、環境を自分で整える
ことができるかどうか、だと思います。


親の理解があったとはいえ、自分の意思を通した分だけ責任が伴い、
さらに親の範囲を越えた新しい人との出会いもありました。

それらすべてに今の自分は育てられて来たのだと思うのです。



施設ができた当初、問題だらけの子どもたち、子どもと同じような振る舞い
しかできない(と当時の私の目に映っていた)スタッフたちに囲まれ、理解者が
そばにいないさみしさをなんとか支えてくれたのは、私のやろうとしている
ことを理解し励ましてくれた人たちです。

私が周りの人から与えられてきた分、子どもたちには長い目で、優しい
まなざしを向けることができたのでしょう。

ただし、そういった他者からの思いを受け取ることのできる素地を作って
くれていたのは両親からの愛情なのだと思います。
自分はとても丁寧に育ててきてもらったのだということを、カンボジアに
来てからの体験で知ったのです。

だからこそ今関わっている子どもたちに丁寧に接したいと思えるのです。
両親、そしてその後関わってくれたすべての人の気持ちを子どもたちに
渡していく作業を地道にやっていきたいのです。

それが世代をつないでいくこと、そして私がここでさせてもらえること
なのだと思っています。



施設の訪問者の皆さんには今書いたようなお話に実際の体験を含めて
お伝えしています。
高校生から年配の皆さんまでいろいろな世代の方にお目にかかることが
多いのですが、私の話がそのときそのときの皆さんにとってすこしでも
お役にたてる内容であれば、これまで支えてきて下さった皆さんへの
恩返しにもなるのかな、と思っています。

ささやかですが、大人としてようやくそんな時期を迎えさせてもらえる
ようになった喜びを感じています。


やはり私がここでさせてもらえることは色々な意味で「伝えていくこと」
なんですね。
そういった思いが年々確信に変わっていっています。

周りの人たちに育ててもらい、私がさせてもらえるようになったことに
ついて書きました。



☆今日は真面目に(笑)☆







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