2011/11/08

始まりのはじまり

来る日も来る日も一人で施設の敷地内のゴミ拾いをしていた
2000年5月ごろ。
今でも乾季から雨季の変わり目の季節になるとふと思い出します。



今でこそ約3500坪の敷地は2棟のコンクリートの建物や、高床の
台所、食堂兼教室、養鶏場にグラウンド、畑などきちんとエリアが
分けられた状態になっていますが、当時は門の近くにボロボロの
高床式の小屋が1軒と、建設中のコンクリートの建物があるだけ。

私は建設中の建物の1階のこれまた未完成の部屋で寝ていました。
窓も入っていなくて、床はコンクリートのまま。
そこに布団を敷いて蚊帳をつって寝ていました。
プノンペンから持ってきた冷蔵庫とテレビ、日本から持参したノート
パソコンが家財道具のすべて(笑

机がないので段ボール箱をつかって支援者の方にお礼状を書く、
ものすごい昭和的な(笑)生活でした。


そんな環境よりも私が嫌だったのは、敷地内のゴミの多さ。
それにともなう大量のハエ・・・。
1つだけあった井戸は、料理、洗濯、水浴びすべてに利用し、そこに
あるたらいで野菜を洗って、洗濯もしているのを見てなんとも言えない
気持ちになったものです。


11年前のスナーダイ・クマエ孤児院のことです。


とにかくゴミを集めて燃やす。
乾季の終わりごろですから日中は暑いんですよね。
40度越えは当たり前です(苦笑
その頃の子どもたちには、連帯感、協力、思いやりなんていう感覚は
いっさいなかったので、私がゴミを拾っていても、

「あの人、暑いのに一人で何やってんだか」

冷たい視線で遠くから見ている子たちがほとんどでした。
手伝ってと言われるのも面倒くさかったんでしょうね。

そのうち少しずつ手伝ってくれる子が増えて、敷地内がきれいになり
ました。
植木もなくて殺風景だったので、デイゴの木やココナツを植えました。
土が見えてる部分には芝生を植えました。

そんな作業が今では朝夕の「作業時間」として定着したんです。


あの頃からみんなは私を「おかあさん」と呼んでくれていたけれど、
それは単なる呼び名でしかなかったように思います。


今年のカンボジア正月のとき、子どもたちが「おかあさん、下に来て!」
と呼ぶので行ってみると、なにやら儀式っぽい準備が・・・。

言われるがままに指定された場所に座ると、


ばしゃーーーーーっと水をかけられました・・・。

ナンデスカ・・・



カンボジアのお正月、おかあさんに感謝の気持ちを表すために水浴び
させて、石けんで体を洗うという習慣があるそうです。
私、11年住んでますが初めて聞きました(苦笑

足元にしゃがんでいる女の子たちは、全員で私の足を洗ってくれています。
ものすごい勢いでした(笑


こんなに緑いっぱいになった院内で、みんなから楽しいプレゼントをもらった
今年のカンボジア正月。

2000年4月にシェムリアップに住み始めた私にとって、この季節は
忘れられません。

あの頃、まったく共同作業をしなかった子どもたちがこんなふうに一緒に
笑って過ごしているんですからね。

今から思えば、あのゴミ拾いが「始まりのはじまり」。

2 件のコメント:

  1. すごく一生懸命ゴミ拾いをされていたんでしょうね。
    子供たちが心を開いてくれるまで大変な苦労だったと
    思います。

    写真の子供たちの笑顔素敵です。

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  2. なびさん
    コメントありがとうございます。

    ゴミの量が尋常じゃなかったんですよ。
    ものすごくて・・・。
    私がこれは気持ち悪いと思って始めたことが、あとで子ども
    たちも清潔=気持ちいい、という実感に変わったから、今の
    きれいな施設を保ててるんだなと思います。
    地味な作業でした・・・(苦笑

    子どもたちと青空と庭の緑、一番好きな風景ですね(笑

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