1月17日、一生忘れることのない日。
あの日の早朝、試験勉強のため徹夜していた私。
隣の家のおばさんは圧死したけれど、すぐ横で生きのびた私。
そしてなぜか今はカンボジアに住んでいる私。
21年経っても、あの日の記憶はすべてモノクロでしか思い出せません。
神戸から色が消えた日でした。
あのとき神戸に住んでいたというと、カンボジアでの使命が待っていたから
生かされたのかもしれないねという言葉をもらうことがあります。
そういうふうに言ってくださる方を否定するわけではないのですが、でも
違うんです。
みんな同じ状況だったのに、たまたま命拾いしたんです。
あのときにもらった命だから、カンボジアで子どもたちと一緒に暮らすことを
心に決めた、なんて安っぽいことは死んでも言えないと思っています。
そのことを今のカンボジアの活動の意味づけになんてとてもじゃないけど
できません。
6000人以上もの方が亡くなったあの震災にむけて、生き残ったから自分は
どうのこうのなんて言えないんです。
みんな生きたかった、それだけが真実だと思います。
生きている自分に今日できることといえば、静かに祈ることだけです。
また1年、丁寧に生きよう。
2016/01/17
2016/01/07
母の命日
新年あけましておめでとうございます。
新年のごあいさつですら遅れがちのわたくし。
どうか懲りませず、今年もよろしくお願いいたします。
「お姉ちゃんはええなあ、長いことお母さんと一緒にいられて。って
あやちゃん(私の母)には何回もそんなこと言われたんよ」
お正月、田舎で親戚が近所にたくさんいる中で育ったもので、毎年元日には
叔母のうちにあいさつにいきます。
今年もいつもと変わらずに行ったのですが、少し遅れてしまったこともあり
いとこたちはそれぞれどこかに行ってしまっていました。
残されていた叔母(といってももう80前のおばあちゃん)が話し出したのは、
いつもならにぎやかな食卓に残された私と二人の時でした。
叔母と私の母は10歳も離れたきょうだいです。
それで叔母に母は、お姉ちゃんのほうがお母さん(私の祖母)とたくさん
時間を過ごせてうらやましいとよく言っていたそうなのです。
私は母からおじいちゃんの話はよく聞いていたので、おばあちゃんのことを
そんな風に言っていたことを知りとても意外に感じました。
叔母はつづけて言いました。
「あやちゃんが亡くなった時、私は涙も出んかった。あの子が先に逝くなんて
誰も思ってへんかったやろ。茫然と、なんで?なんで?と思うだけやった。」
このブログに何度か書いていますが、私の母は2006年に急性心不全で
亡くなっています。
その日の朝まで元気だったので、誰もが信じられない思いだったのです。
叔母からそんな自分の気持ちを聞かされたのは初めてのことでした。
「だからな、あやちゃんは私らよりも早くおばあちゃんのところに行きたかった
んかなあって。私はそう思って納得するしかなかったんよ。」
叔母の最後の言葉を聞いて、母への関わり方が違うと死の受け止め方も
違うんだなと思っていました。
そこに違和感はなく、むしろ叔母の言葉のおかげで腑に落ちたような気が
したのです。
私は母がどうして60歳という年齢でこの世を去ってしまったのか、自分が生きている
間にその答えは見つからないと思っています。
叔母の話を聞くことができて、それが答えではないけれど、少し救われた
ような気持ちになったのでした。
今日、1月7日は母の命日です。
昨年9月に膵臓癌で亡くなった父と一緒に私や叔母のことを見ていてくれた
かもしれませんね。
それとも、叔母の体を使って母が私にくれたメッセージだったのかもしれません。
母の命日だからこそ、明日カンボジアに戻るというバタバタの中でもこの
ことをブログにつづりたいと思いました。
元日に母を感じることができた2016年。
今年は新しいことにも挑戦していきたいと思っています。
相変わらずの不定期すぎる更新ですが、皆様温かく見守っていただけましたら
幸いでございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年のごあいさつですら遅れがちのわたくし。
どうか懲りませず、今年もよろしくお願いいたします。
「お姉ちゃんはええなあ、長いことお母さんと一緒にいられて。って
あやちゃん(私の母)には何回もそんなこと言われたんよ」
お正月、田舎で親戚が近所にたくさんいる中で育ったもので、毎年元日には
叔母のうちにあいさつにいきます。
今年もいつもと変わらずに行ったのですが、少し遅れてしまったこともあり
いとこたちはそれぞれどこかに行ってしまっていました。
残されていた叔母(といってももう80前のおばあちゃん)が話し出したのは、
いつもならにぎやかな食卓に残された私と二人の時でした。
叔母と私の母は10歳も離れたきょうだいです。
それで叔母に母は、お姉ちゃんのほうがお母さん(私の祖母)とたくさん
時間を過ごせてうらやましいとよく言っていたそうなのです。
私は母からおじいちゃんの話はよく聞いていたので、おばあちゃんのことを
そんな風に言っていたことを知りとても意外に感じました。
叔母はつづけて言いました。
「あやちゃんが亡くなった時、私は涙も出んかった。あの子が先に逝くなんて
誰も思ってへんかったやろ。茫然と、なんで?なんで?と思うだけやった。」
このブログに何度か書いていますが、私の母は2006年に急性心不全で
亡くなっています。
その日の朝まで元気だったので、誰もが信じられない思いだったのです。
叔母からそんな自分の気持ちを聞かされたのは初めてのことでした。
| 45年前のあやちゃん |
んかなあって。私はそう思って納得するしかなかったんよ。」
叔母の最後の言葉を聞いて、母への関わり方が違うと死の受け止め方も
違うんだなと思っていました。
そこに違和感はなく、むしろ叔母の言葉のおかげで腑に落ちたような気が
したのです。
私は母がどうして60歳という年齢でこの世を去ってしまったのか、自分が生きている
間にその答えは見つからないと思っています。
叔母の話を聞くことができて、それが答えではないけれど、少し救われた
ような気持ちになったのでした。
今日、1月7日は母の命日です。
昨年9月に膵臓癌で亡くなった父と一緒に私や叔母のことを見ていてくれた
かもしれませんね。
それとも、叔母の体を使って母が私にくれたメッセージだったのかもしれません。
母の命日だからこそ、明日カンボジアに戻るというバタバタの中でもこの
ことをブログにつづりたいと思いました。
元日に母を感じることができた2016年。
今年は新しいことにも挑戦していきたいと思っています。
相変わらずの不定期すぎる更新ですが、皆様温かく見守っていただけましたら
幸いでございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2015/12/25
聖なる日、思うこと・・・ と番組の告知
大変ご無沙汰するのが恒例となっております、メアス博子です。
また3ヶ月も放置してしまったブログ。やる気はあります、一応あります。
今日はクリスマスですねえ。
最近はカンボジアでもクリスマスが定着?認識?されてきています。
一時帰国中の私にもカンボジアから卒業生のケインちゃんがクリスマス
メッセージを送ってきてくれました。
カンボジアに行って間もないころに、夜中こっそりと子どもたちの蚊帳の中に
プレゼントを置いて回ったんですけど、朝になってみんなから「サンタさん、
ありがとう」とまっすぐな瞳を向けられたことを思い出しました。切なかった、
完全にばれてました、わたくし。
それはさておき・・・
12月13日に卒業生のラーヴォの奥さんが第一子となる男の子を無事に
出産しました。
3700gとかなりのビッグ赤ちゃんだったようです。奥さんのナリーちゃん、おつかれ
さまでした。
私は名古屋での絵画展のために一時帰国中。
仕事が始まる前にこの一報が入りました。うれしかったなあ。
そしてこの短い滞在ですが、友人宅や親せき宅で感じたことを・・・。
私がお邪魔したお宅には、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、いとこやその
子どもたちがみんな集まっていました。
おじいちゃんやおばあちゃんに甘えるお孫さん、おかあさんやその他たくさんの
親せきたちに抱っこされる赤ちゃん、久々に会って他愛もない話で盛り上がるいとこ
たち・・・。
うーーん、やっぱり家族の健康とこの平和な雰囲気に勝る幸せはない、な。
なんでもない当たり前のことに見えるかもしれないけど、これを普通と思えるように
守っているみんながすごいし、そういうものがそばにあることが幸せなんだなあと
かみしめて感じていました。
きょうだいでちょっとした小競り合いをしながらお父さんやお母さんに叱られたり、
それでも結局はみんなでおいしくご飯を食べたり、笑ったり。
幸せなことなんやなあ、これが一番の幸せやなあ、と。
ラーヴォにとって子ども時代はうちの施設がすべてになっていて、いわゆる
普通の家庭の中では育っていないけど、今彼の腕に抱かれている赤ちゃんは
これからラーヴォとナリーちゃんから愛情をいっぱいに受けて育っていく。
ラーヴォがそんなお父さんになるために必要だった子ども時代の経験の中に
私がいるのだとしたら、それもまたすごく幸せなこと。
「本当にかわいくて、ずっと見ていたい気持ちです」ラーヴォがくれたメッセージ。
子どもを見てそんなふうに思える人に育ってくれてありがとう。
私が息子を出産した瞬間に母が言ったのは、
「やっとこれで命のバトンタッチができた」
だったんだけど、すこしだけその気持ちがわかるような気がしました。
命をつないでいくことは決して子どもを産むということだけではないんですね。
親から教えられたことを子どもに伝えることが命をつなぐこと。
子どもは自分が産んだ子であるとは限らない。
自分に関わる子どもたち、みんなが大切な命で。
親から受け取ったものを自分なりにどうやって子どもに伝えるのかということを
意識できるかどうかで、自分の生き方も変わってくるように思います。
日本の家族の様子やラーヴォの第一子誕生から、そんなことを思っていた聖なる日
なのであります。
みなさんはどんな年末をお過ごしでしょうか??
大切な人たちとのかけがえない時間(一見当たり前に思えるもの)をすごしてくださいね。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【テレビで紹介していただきます】
12月28日(月)午後9時から
テレビ東京系列
「世界ナゼそこに?日本人 2時間半スペシャル」
テレビ東京系列なのでお住まいの地域で放送があるかどうかご確認ください。
ちなみにわたくしの地元である和歌山では放送されない模様です(笑
また3ヶ月も放置してしまったブログ。やる気はあります、一応あります。
今日はクリスマスですねえ。
最近はカンボジアでもクリスマスが定着?認識?されてきています。
一時帰国中の私にもカンボジアから卒業生のケインちゃんがクリスマス
メッセージを送ってきてくれました。
カンボジアに行って間もないころに、夜中こっそりと子どもたちの蚊帳の中に
プレゼントを置いて回ったんですけど、朝になってみんなから「サンタさん、
ありがとう」とまっすぐな瞳を向けられたことを思い出しました。切なかった、
完全にばれてました、わたくし。
それはさておき・・・
12月13日に卒業生のラーヴォの奥さんが第一子となる男の子を無事に
出産しました。
| 小さい命を腕の中に・・・ |
さまでした。
私は名古屋での絵画展のために一時帰国中。
仕事が始まる前にこの一報が入りました。うれしかったなあ。
そしてこの短い滞在ですが、友人宅や親せき宅で感じたことを・・・。
私がお邪魔したお宅には、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、いとこやその
子どもたちがみんな集まっていました。
おじいちゃんやおばあちゃんに甘えるお孫さん、おかあさんやその他たくさんの
親せきたちに抱っこされる赤ちゃん、久々に会って他愛もない話で盛り上がるいとこ
たち・・・。
うーーん、やっぱり家族の健康とこの平和な雰囲気に勝る幸せはない、な。
なんでもない当たり前のことに見えるかもしれないけど、これを普通と思えるように
守っているみんながすごいし、そういうものがそばにあることが幸せなんだなあと
かみしめて感じていました。
きょうだいでちょっとした小競り合いをしながらお父さんやお母さんに叱られたり、
それでも結局はみんなでおいしくご飯を食べたり、笑ったり。
幸せなことなんやなあ、これが一番の幸せやなあ、と。
ラーヴォにとって子ども時代はうちの施設がすべてになっていて、いわゆる
普通の家庭の中では育っていないけど、今彼の腕に抱かれている赤ちゃんは
これからラーヴォとナリーちゃんから愛情をいっぱいに受けて育っていく。
ラーヴォがそんなお父さんになるために必要だった子ども時代の経験の中に
私がいるのだとしたら、それもまたすごく幸せなこと。
「本当にかわいくて、ずっと見ていたい気持ちです」ラーヴォがくれたメッセージ。
子どもを見てそんなふうに思える人に育ってくれてありがとう。
私が息子を出産した瞬間に母が言ったのは、
「やっとこれで命のバトンタッチができた」
だったんだけど、すこしだけその気持ちがわかるような気がしました。
命をつないでいくことは決して子どもを産むということだけではないんですね。
親から教えられたことを子どもに伝えることが命をつなぐこと。
子どもは自分が産んだ子であるとは限らない。
自分に関わる子どもたち、みんなが大切な命で。
親から受け取ったものを自分なりにどうやって子どもに伝えるのかということを
意識できるかどうかで、自分の生き方も変わってくるように思います。
日本の家族の様子やラーヴォの第一子誕生から、そんなことを思っていた聖なる日
なのであります。
みなさんはどんな年末をお過ごしでしょうか??
大切な人たちとのかけがえない時間(一見当たり前に思えるもの)をすごしてくださいね。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【テレビで紹介していただきます】
12月28日(月)午後9時から
テレビ東京系列
「世界ナゼそこに?日本人 2時間半スペシャル」
テレビ東京系列なのでお住まいの地域で放送があるかどうかご確認ください。
ちなみにわたくしの地元である和歌山では放送されない模様です(笑
2015/09/06
読売テレビ系列「グッと!地球便」1時間スペシャル
すっかりブログの更新が滞りまくり、気がつけば3か月近く放置と
なっておりました。
懲りずに今まさにこの画面を見てくださっているあなた!素敵です(笑
ありがとうございます。
今日は6月に取材を受けたTV番組の告知を・・・
2009年にも出演させて頂いた、「グッと!地球便」という番組です。
この番組は海外で暮らす家族の様子を録画したものをお笑い芸人の
ぐっさんこと山口智充さんが日本の家族に見せに来てくれるという
内容です。
以前の出演の際には、私の様子をぐっさんが実家に持って行ってくれて
父と姉と共に見てくれました。
あとで地元の同級生に聞きましたが、ぐっさんが私の実家に入っていく
のを見ていた人がたくさんいたそうで、何事かと思っていたらしいです(笑
父はぐっさんと一緒に取ってもらった写真のデータを誤って消去して
しまっていました・・・なんてこと・・・。
今回はスペシャル番組ということで、普段は海外に行かないぐっさんが
現地に赴き過去の出演者を訪ねるという内容、私も息子もわくわくでした。
正直にいうと、ぐっさんは(ぐっさんって気安く呼んでしまっていますが・・・)
本当にすごくいい雰囲気をまとった方でした。
大物オーラで他人を寄せ付けないみたいな怖い感じもないし、インタビュー
されても威圧感がないのですらすらとお答えすることもできました。
写真撮影にも気軽に応じてくださったし、息子はセルフィーで撮ってもらって
いました。(セルフィーにした息子にも驚きましたが・・・笑)
無類の飛行機好き、機内アナウンスマニアの息子に付き合って下さって、
休憩時間なのに飛行機の声帯模写(ぐっさん)から機内アナウンス(息子)
という流れでモノマネまで披露してくれました。
めっちゃええ人やなあと思いながら、プロの芸に口を開けて見るだけの母。
子どもたちと交流する際も不公平が出ないように気遣ってくれていたのが
印象的でした。
ここまで書いた話、インタビューのこと以外はカメラの回ってないところでの
出来事です。
ほんまにすごいええ人やなあっていう印象しかありませんでした。
何回もいいます、ぐっさんはとてもいい人でした!(笑
ほんで放送はいつやねん!という突っ込みがそろそろきそうなので・・・
↓ ↓ ↓
読売テレビ系列
『グッと!地球便 1時間スペシャル*カンボジア』
9月6日(日) 午前9時55分~
いつもより30分早く始まるそうです。忘れそうな方は今から予約しておきましょう!
番組の予告サイトはこちらです
『グッと!地球便 1時間スペシャル』
私の他にも過去にこの番組に出演された皆さんが取り上げられています。
・CANDY ANGKOR 飴細工職人 YAYOIさん
・淡水魚研究家 佐藤智之さんと美容師 典子さん夫妻
・遺跡修復に従事されている??さん(番組のHPでも名前がないのでここでも)
この3組の皆さん、普段からよく知っている顔なじみの方ばかりです。
知っている人たちと一緒に出演ってどんな感じになっているのか、自分でも
楽しみです。
残念ながらぐっさんと一緒に撮って頂いた写真は掲載できないのですが、
とても自然にさっと肩に手を回してくれたのが本当によい思い出の一枚に
なりました。
私はカンボジアにいますので6日の放送は見れないのですが、ご覧になった
方はぜひご感想などもお知らせ下さいね。
よろしくお願いします。
なっておりました。
懲りずに今まさにこの画面を見てくださっているあなた!素敵です(笑
ありがとうございます。
今日は6月に取材を受けたTV番組の告知を・・・
2009年にも出演させて頂いた、「グッと!地球便」という番組です。
この番組は海外で暮らす家族の様子を録画したものをお笑い芸人の
ぐっさんこと山口智充さんが日本の家族に見せに来てくれるという
内容です。
以前の出演の際には、私の様子をぐっさんが実家に持って行ってくれて
父と姉と共に見てくれました。
あとで地元の同級生に聞きましたが、ぐっさんが私の実家に入っていく
のを見ていた人がたくさんいたそうで、何事かと思っていたらしいです(笑
父はぐっさんと一緒に取ってもらった写真のデータを誤って消去して
しまっていました・・・なんてこと・・・。
今回はスペシャル番組ということで、普段は海外に行かないぐっさんが
現地に赴き過去の出演者を訪ねるという内容、私も息子もわくわくでした。
正直にいうと、ぐっさんは(ぐっさんって気安く呼んでしまっていますが・・・)
本当にすごくいい雰囲気をまとった方でした。
大物オーラで他人を寄せ付けないみたいな怖い感じもないし、インタビュー
されても威圧感がないのですらすらとお答えすることもできました。
写真撮影にも気軽に応じてくださったし、息子はセルフィーで撮ってもらって
いました。(セルフィーにした息子にも驚きましたが・・・笑)
無類の飛行機好き、機内アナウンスマニアの息子に付き合って下さって、
休憩時間なのに飛行機の声帯模写(ぐっさん)から機内アナウンス(息子)
という流れでモノマネまで披露してくれました。
めっちゃええ人やなあと思いながら、プロの芸に口を開けて見るだけの母。
子どもたちと交流する際も不公平が出ないように気遣ってくれていたのが
印象的でした。
ここまで書いた話、インタビューのこと以外はカメラの回ってないところでの
出来事です。
ほんまにすごいええ人やなあっていう印象しかありませんでした。
何回もいいます、ぐっさんはとてもいい人でした!(笑
ほんで放送はいつやねん!という突っ込みがそろそろきそうなので・・・
↓ ↓ ↓
読売テレビ系列
『グッと!地球便 1時間スペシャル*カンボジア』
9月6日(日) 午前9時55分~
いつもより30分早く始まるそうです。忘れそうな方は今から予約しておきましょう!
番組の予告サイトはこちらです
『グッと!地球便 1時間スペシャル』
私の他にも過去にこの番組に出演された皆さんが取り上げられています。
・CANDY ANGKOR 飴細工職人 YAYOIさん
・淡水魚研究家 佐藤智之さんと美容師 典子さん夫妻
・遺跡修復に従事されている??さん(番組のHPでも名前がないのでここでも)
この3組の皆さん、普段からよく知っている顔なじみの方ばかりです。
知っている人たちと一緒に出演ってどんな感じになっているのか、自分でも
楽しみです。
残念ながらぐっさんと一緒に撮って頂いた写真は掲載できないのですが、
とても自然にさっと肩に手を回してくれたのが本当によい思い出の一枚に
なりました。
私はカンボジアにいますので6日の放送は見れないのですが、ご覧になった
方はぜひご感想などもお知らせ下さいね。
よろしくお願いします。
2015/06/18
子どもに好かれなくてもいい
日本の一部店舗で販売されているという、ハーゲンダッツの抹茶きなこ黒蜜が
気になってしょうがない今日この頃。
気づけばまたまた更新が2か月も遅れておりました。本人もびっくりです。
そしてどこにいらっしゃるかわかりませんが、このブログを読んで下さっている
皆様、本当にありがとうございます。
今日は「子どもに好かれなくてもいい」ということについて・・・
子どもに好かれなくてもいい、なんていうと「孤児院やってるのに子どもが嫌い
なの?」って思われるかもしれませんね。
でも私は子どもに好かれなくてもいいと思っています。
毎日毎日子どもたちを見続けて、何かあれば小言のように「手は洗ったのか?」
「部屋を片付けているのか?」「ハサミ持ったまま走っちゃダメ!」とか言ってる
私やスタッフのことを子どもたちがどう見るか。
言われた瞬間に「教えてくれてありがとう」なんて思う子はきっといないでしょう。
うるさいなー。
めんどくさいなー。
このあたりが妥当なところでしょう。
子どもに好かれなくてもいいんです、でも嫌われたらダメなんだなあ。
嫌悪という感情があるだけで、伝えたいことが伝わらなくなることって多いと
思うんです。
言い換えれば『受け入れてない』ってことですよね。
そうなってしまうと、その人の言うことは内容がどうであれ頭に入ってこない。
そして子どもに受け入れてもらうために媚びる大人。
実はこれが一番嫌われるんじゃないかと。
自分に対してどれだけ真剣になっているか、子どもって本能的にそういうことを
見てるんではないかと思います。
要するに適当に扱ってはいけないということなんではないかと思うんです。
意外と繊細な部分でもありますね、これは。
誰だって他者から嫌われたくないものです。
でも一見嫌われるかのように思われる行動に、深い気持ちが隠されている
ところが大切なんではないかと。
じゃあどうすればそれができるのか。
けっこうしんどいんですけど、「好かれなくていいから毅然と伝え続けること」
なんだろうなと思います。
いつかわかるときがくるかもしれないと信じることなんですよね。
でもいつまで経ってもわからないかもしれないんです。
だけど、伝え続けるんです。これがポイントです。
ぶれずにいきましょう。
なんで私がこれを書こうと思ったかというと、私が子どもに好かれなくてもいい
んですよって話した時、相手の顔が曇ったことがあって。
受け取り方にもよるんでしょうけど、好かれなくてもいい=相手のことが好き
ではない、もしくは好かれたいと思っていない、と思われたのかもしれません。
好きだから、いやもっと言うと愛しているからこそ好かれなくていいから伝え
続けていきたいと思うんだけど、それがうまくわかってもらえないこともあるん
ですね。
もちろん好かれた方がうれしいし、いいに決まってます。
でもそれが一時的なものであれば虚しいだけです。
子どもに(今)好かれなくても、(いつかわかってくれたら)いい。
って、言いたかったんですけど、端折りすぎたのかな(笑
いつも言うように私たちの物語はどこかの一部分を切り取った時間だけでは
なくて、ここで出会ったときからずっとこれからも続いていくものなんです。
だから、今だけを見た好き嫌いの問題ではない、ということなんです。
うーん、話で伝えるのも難しいけど、文字で表すのも難しい・・・(笑
まあその人に伝わらなくても、子どもたちに伝わっていればいいんです
けどね。
やっぱり人間なので、本意でない伝わり方をすると気持ち悪いわけです(笑
異文化、育つ環境もまったく違う子どもたちと一緒に暮らして15年が過ぎました。
この時間の中で私が育んできた子どもたちとの関係や距離感、そういうものを
信じていきたいです。
とはいえ、アタマが硬くなるのは嫌だなあと思うので、自分の置かれている
立場や空気はそのときどきで読んでいきたいですね。
カンボジアの人たちに、お前もういらんわ、って言われたら終了。
そう思っていますが、媚びません(笑
気になってしょうがない今日この頃。
気づけばまたまた更新が2か月も遅れておりました。本人もびっくりです。
そしてどこにいらっしゃるかわかりませんが、このブログを読んで下さっている
皆様、本当にありがとうございます。
今日は「子どもに好かれなくてもいい」ということについて・・・
| 好かれなくてもいいけど、私はみんなが大好きだ |
子どもに好かれなくてもいい、なんていうと「孤児院やってるのに子どもが嫌い
なの?」って思われるかもしれませんね。
でも私は子どもに好かれなくてもいいと思っています。
毎日毎日子どもたちを見続けて、何かあれば小言のように「手は洗ったのか?」
「部屋を片付けているのか?」「ハサミ持ったまま走っちゃダメ!」とか言ってる
私やスタッフのことを子どもたちがどう見るか。
言われた瞬間に「教えてくれてありがとう」なんて思う子はきっといないでしょう。
うるさいなー。
めんどくさいなー。
このあたりが妥当なところでしょう。
子どもに好かれなくてもいいんです、でも嫌われたらダメなんだなあ。
嫌悪という感情があるだけで、伝えたいことが伝わらなくなることって多いと
思うんです。
言い換えれば『受け入れてない』ってことですよね。
そうなってしまうと、その人の言うことは内容がどうであれ頭に入ってこない。
そして子どもに受け入れてもらうために媚びる大人。
実はこれが一番嫌われるんじゃないかと。
自分に対してどれだけ真剣になっているか、子どもって本能的にそういうことを
見てるんではないかと思います。
要するに適当に扱ってはいけないということなんではないかと思うんです。
意外と繊細な部分でもありますね、これは。
誰だって他者から嫌われたくないものです。
でも一見嫌われるかのように思われる行動に、深い気持ちが隠されている
ところが大切なんではないかと。
じゃあどうすればそれができるのか。
けっこうしんどいんですけど、「好かれなくていいから毅然と伝え続けること」
なんだろうなと思います。
いつかわかるときがくるかもしれないと信じることなんですよね。
でもいつまで経ってもわからないかもしれないんです。
だけど、伝え続けるんです。これがポイントです。
ぶれずにいきましょう。
なんで私がこれを書こうと思ったかというと、私が子どもに好かれなくてもいい
んですよって話した時、相手の顔が曇ったことがあって。
受け取り方にもよるんでしょうけど、好かれなくてもいい=相手のことが好き
ではない、もしくは好かれたいと思っていない、と思われたのかもしれません。
好きだから、いやもっと言うと愛しているからこそ好かれなくていいから伝え
続けていきたいと思うんだけど、それがうまくわかってもらえないこともあるん
ですね。
もちろん好かれた方がうれしいし、いいに決まってます。
でもそれが一時的なものであれば虚しいだけです。
子どもに(今)好かれなくても、(いつかわかってくれたら)いい。
って、言いたかったんですけど、端折りすぎたのかな(笑
いつも言うように私たちの物語はどこかの一部分を切り取った時間だけでは
なくて、ここで出会ったときからずっとこれからも続いていくものなんです。
だから、今だけを見た好き嫌いの問題ではない、ということなんです。
うーん、話で伝えるのも難しいけど、文字で表すのも難しい・・・(笑
まあその人に伝わらなくても、子どもたちに伝わっていればいいんです
けどね。
やっぱり人間なので、本意でない伝わり方をすると気持ち悪いわけです(笑
異文化、育つ環境もまったく違う子どもたちと一緒に暮らして15年が過ぎました。
この時間の中で私が育んできた子どもたちとの関係や距離感、そういうものを
信じていきたいです。
とはいえ、アタマが硬くなるのは嫌だなあと思うので、自分の置かれている
立場や空気はそのときどきで読んでいきたいですね。
カンボジアの人たちに、お前もういらんわ、って言われたら終了。
そう思っていますが、媚びません(笑
2015/04/11
だからね、一番大変なことなんてないのです
カンボジアのお正月を間近に控えてのある日。
普段は日中ほとんど外出することのない私ですが、その日はたまたま
ちょっとした用があり出ていました。
帰ってくるとスタッフから紙袋を手渡され、「サヴィが博子さんにって持って
来ましたよ」と言われました。
部屋に戻って中を見てみると、とっても立派なマンゴー5個とお手紙。
サヴィはこのブログでも何度か書いていますが、うちの施設の卒業生。
日本語スピーチコンテストでも入賞経験があり、今は日本語ガイドをしています。
日本語で書いてくれたお手紙。
サヴィの心がぎゅっと詰まったお手紙です。
私は日本でもカンボジアでも、スナーダイ・クマエについてお話しする機会が色々と
あります。
そしてその際によく聞かれる質問の一つが
「これまでやってきて一番大変だったことはなんですか?」
というものです。
本当によく聞かれます。
でも私、この質問がとても苦手なのです。
私たちの物語はこれからもずっと続いていくのです。
普段は日中ほとんど外出することのない私ですが、その日はたまたま
ちょっとした用があり出ていました。
帰ってくるとスタッフから紙袋を手渡され、「サヴィが博子さんにって持って
来ましたよ」と言われました。
部屋に戻って中を見てみると、とっても立派なマンゴー5個とお手紙。
| まだちょっと青いかな |
日本語スピーチコンテストでも入賞経験があり、今は日本語ガイドをしています。
| うれしいなあ、ありがとう、サヴィ |
サヴィの心がぎゅっと詰まったお手紙です。
私は日本でもカンボジアでも、スナーダイ・クマエについてお話しする機会が色々と
あります。
そしてその際によく聞かれる質問の一つが
「これまでやってきて一番大変だったことはなんですか?」
というものです。
本当によく聞かれます。
でも私、この質問がとても苦手なのです。
一番大変だったことが思い出せないから。
15年子どもたちと関わってきて、卒業生や今いる子どもたちと日々の関わりを
紡いでいく中で、今回のようなお手紙を1つ受け取ることでさらなる幸福感に
包まれます。
みんなとの関わりがこれからどのように成熟していくのか今ははっきりと見えない。
サヴィが幼かった頃、こんなお手紙をくれるいつかが来るなんて思ってもなかった。
同じような経験を細かく繰り返してきたことで、いわゆる『大変』と言われるような
出来事の渦中にいるときですら、この今の時がいつか違った見方ができる日に
変わるかもしれないと思えるんです。
だからね、大変なことって思わないのかもしれない。
サヴィのお手紙を受け取ったことで、今目の前にいる子どもたちにどうやって
接していけばいいのか、自分の中の核となるものをさらに強くしてもらえた
ように思います。
サヴィは『新しい人生を作ってくれてありがとう』って書いてくれていますが、
私もサヴィから『新しい物事のとらえ方』を教えてもらっています。
のんびりしている私には、10年後とか15年後に思いを馳せて今を生きることが
あっているんだろうな。
| これからの5年、10年が楽しみです |
2015/03/24
継続は力なり、なのであります
またまた更新怠ってました。というか、何年同じこと言い続けんねんという突っ込みは
拒否します、メアス博子です。
久々更新で文章ながっ!というコメントも拒否です、よろしくです。(笑
昨夜、うちの敷地内でカンボジアの伝統芸能である『スバエク・トム』の上演がありました。
その前日に施設訪問をして下さった長野県のNPO「ふるさと南信州緑の基金」の皆さん
から子どもたちと一緒にスバエク・トムを鑑賞する機会をというお計らいでした。
スバエク・トムは影絵芝居です。
民話など親しみのある物語を描く『スバエク・トーイ』と、古典を伝える『スバエク・トム』が
あります。
スバエクは皮、トーイは小さい、トムは大きいという意味で、水牛の皮から影絵を制作する
ことからこのように呼ばれ、その名の通りスバエク・トーイではこぶりの影絵、スバエク・
トムでは大人でも持つのが大変なくらい大きなものを使用して演じます。
カンボジア旅行された方は伝統舞踊を見ながらの夕食というもはや定番のコースを
体験することが多いと思いますが、伝統舞踊と同じようにこの影絵もポルポト時代を
生き抜いた人々から受け継がれています。
この影絵芝居復興に尽力してきたのが、日本人の福富友子さんです。
私は1997年からお付き合いさせて頂いています。
「カンボジア指さし会話帳」著者と言った方がわかりやすいかもしれません。
福富さんは影絵芝居を復興させるために影絵一座の長老宅に住み込み、せりふを
おこして日本語に訳するという膨大で地道な作業をやってのけた方なのです。
もちろんクメール語はペラペラで、現在は日本の大学でも指導されています。
福富さんがその作業を行う前、物語の内容やせりふは演じ手の記憶にあるのみで
文献として残されていなかったと聞いています。
福富さんはその性格からか目立つこともなく、ただひたすら地味にこの活動をやって
こられた、知る人ぞ知るの存在なのです。
この写真の儀式が行われるとき、福富さんも自然にお供えに手を合わせていました。
その姿からこの影絵一座と福富さんの強い関係性を垣間見たような気がします。
私が福富さんに初めて会ったのは1997年のプノンペンでした。
たしかあの頃はそろそろ本腰を入れて影絵復興に関わろうとしていたように記憶
しています。
それから誰に主張するわけでもなく、自分が興味のある影絵芝居の復興に静かに
関わってこられたのです。
日本での公演を何度も成功させていますが、やはりなんといっても若い世代に
この伝統を引き継いでいく手助けをし続けていること、関わり続けていることが
一番の功績だと思います。
今回の一座の中にも他の大人よりもかなり体格の小さい子が演じているを見つけ
ました。
彼らに伝統が受け継がれていくんですね。
福富さんに言うと、そんな壮大な話じゃない、自分のやりたいことを続けてきただけと
笑って答えそうです。
誰にでも挑戦できるかもしれない、でも誰でも続けられることではないと思います。
それはそのとき自分を取り巻く環境であったり、人との出会いにもよりますが、やはり
一番重要なのは、その人の志です。
私はカンボジアで施設に関わることになった最初のきっかけは福富さんとは違う形
だったかもしれません。
ただ共通していたことは、「やめなかったこと」。
やめるという選択肢もあったと思います。
でも福富さんも私もやめなかった。
そして福富さんの関わる影絵一座が、うちの施設で上演するというめぐりあわせに
なりました。
続けていると初めは見えなかった風景を見させてもらえるものですね。
ときどき思うこと、カンボジアで専門的な知識や技術を使い活躍している人たち
に比べて、自分は何にもないなあと。
幸い私は、関わることで少しずつ自分にとってかけがえのない場所となったここ
から去ることなく今も関わり続けています。
福富さんのように語学で貢献もできないし、他になんの専門も技術もないというのに。
やってきたことといえば「やめなかったこと」だけかもしれない。
やめずにいられたのは周囲の人たちに恵まれていたからでもあります。
どんなに続けたいと思っても、環境がそれを許してくれなくなることだってありますから。
そして専門性のある人もきっとそういうと思います。
「やめなかっただけですよ」
カンボジアで地道に活動を続けられている方の顔が何人も浮かびますが、皆さん
そう言いそうな気がします。
それはビジネスでも、その他の活動でも同じこと。
やっぱり「継続は力なり」なのであります。
もっと言うと、継続させてもらえることに感謝、でもあります。
だってカンボジアの人たちに望まれないのであれば、続けることもできないです
もんね。邪魔にならないように・・・。
影絵のために焚かれた松明のもとで、そんなことを思っていたのでした。
そしてまだ見ていない風景がまた見られるいつかを楽しみに、地味に続けていきたいと
思うわけです。
拒否します、メアス博子です。
久々更新で文章ながっ!というコメントも拒否です、よろしくです。(笑
昨夜、うちの敷地内でカンボジアの伝統芸能である『スバエク・トム』の上演がありました。
その前日に施設訪問をして下さった長野県のNPO「ふるさと南信州緑の基金」の皆さん
から子どもたちと一緒にスバエク・トムを鑑賞する機会をというお計らいでした。
スバエク・トムは影絵芝居です。
民話など親しみのある物語を描く『スバエク・トーイ』と、古典を伝える『スバエク・トム』が
あります。
スバエクは皮、トーイは小さい、トムは大きいという意味で、水牛の皮から影絵を制作する
ことからこのように呼ばれ、その名の通りスバエク・トーイではこぶりの影絵、スバエク・
トムでは大人でも持つのが大変なくらい大きなものを使用して演じます。
カンボジア旅行された方は伝統舞踊を見ながらの夕食というもはや定番のコースを
体験することが多いと思いますが、伝統舞踊と同じようにこの影絵もポルポト時代を
生き抜いた人々から受け継がれています。
この影絵芝居復興に尽力してきたのが、日本人の福富友子さんです。
私は1997年からお付き合いさせて頂いています。
「カンボジア指さし会話帳」著者と言った方がわかりやすいかもしれません。
福富さんは影絵芝居を復興させるために影絵一座の長老宅に住み込み、せりふを
おこして日本語に訳するという膨大で地道な作業をやってのけた方なのです。
もちろんクメール語はペラペラで、現在は日本の大学でも指導されています。
福富さんがその作業を行う前、物語の内容やせりふは演じ手の記憶にあるのみで
文献として残されていなかったと聞いています。
福富さんはその性格からか目立つこともなく、ただひたすら地味にこの活動をやって
こられた、知る人ぞ知るの存在なのです。
| 芝居を始める前のお祈りの儀式 |
その姿からこの影絵一座と福富さんの強い関係性を垣間見たような気がします。
私が福富さんに初めて会ったのは1997年のプノンペンでした。
たしかあの頃はそろそろ本腰を入れて影絵復興に関わろうとしていたように記憶
しています。
それから誰に主張するわけでもなく、自分が興味のある影絵芝居の復興に静かに
関わってこられたのです。
日本での公演を何度も成功させていますが、やはりなんといっても若い世代に
この伝統を引き継いでいく手助けをし続けていること、関わり続けていることが
一番の功績だと思います。
今回の一座の中にも他の大人よりもかなり体格の小さい子が演じているを見つけ
ました。
| 左手の方の2人は子どもでした |
福富さんに言うと、そんな壮大な話じゃない、自分のやりたいことを続けてきただけと
笑って答えそうです。
誰にでも挑戦できるかもしれない、でも誰でも続けられることではないと思います。
それはそのとき自分を取り巻く環境であったり、人との出会いにもよりますが、やはり
一番重要なのは、その人の志です。
私はカンボジアで施設に関わることになった最初のきっかけは福富さんとは違う形
だったかもしれません。
ただ共通していたことは、「やめなかったこと」。
やめるという選択肢もあったと思います。
でも福富さんも私もやめなかった。
そして福富さんの関わる影絵一座が、うちの施設で上演するというめぐりあわせに
なりました。
続けていると初めは見えなかった風景を見させてもらえるものですね。
ときどき思うこと、カンボジアで専門的な知識や技術を使い活躍している人たち
に比べて、自分は何にもないなあと。
幸い私は、関わることで少しずつ自分にとってかけがえのない場所となったここ
から去ることなく今も関わり続けています。
福富さんのように語学で貢献もできないし、他になんの専門も技術もないというのに。
やってきたことといえば「やめなかったこと」だけかもしれない。
やめずにいられたのは周囲の人たちに恵まれていたからでもあります。
どんなに続けたいと思っても、環境がそれを許してくれなくなることだってありますから。
そして専門性のある人もきっとそういうと思います。
「やめなかっただけですよ」
カンボジアで地道に活動を続けられている方の顔が何人も浮かびますが、皆さん
そう言いそうな気がします。
それはビジネスでも、その他の活動でも同じこと。
やっぱり「継続は力なり」なのであります。
もっと言うと、継続させてもらえることに感謝、でもあります。
だってカンボジアの人たちに望まれないのであれば、続けることもできないです
もんね。邪魔にならないように・・・。
影絵のために焚かれた松明のもとで、そんなことを思っていたのでした。
そしてまだ見ていない風景がまた見られるいつかを楽しみに、地味に続けていきたいと
思うわけです。
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