2014/09/03

過ぎたときから贈られてくるもの その1

もう9月ですね。全然更新しないことをむしろウリにしよかと思う今日この頃。
マニアの皆様お待たせしました、約1カ月ぶりの更新です。


書こうと思っていることはいくつかたまっているのですが、すべてタイミングが
ありますので、何かが降りてきた瞬間でないとまったく筆が進みません(笑

思っていることはちょっとそのまま置いといて、今日書きたいと思ったことを
綴ってみます。
そして久々に連載形式にしてみようかと・・・。
そうすれば書かざるを得ないという・・・(笑
すみません、つべこべ言わずに書きます・・・。


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2000年4月末、まだ酷暑期の暑さの残るシェムリアップで私の新生活が
始まりました。
1998年から始まっていた施設の活動の中にいきなり入ってきたニホンジンの私。
子どもたちは25人前後いたと記憶しています。

あの頃ここにいた子どものほとんどが貧困農村出身、実家は子だくさんゆえに
養育ができないという理由で預けられた子たちでした。
「親がいるのになんで施設に来るのだろう」というのが正直な私の感想。

とはいえ、目の前に子どもたちがずらっといるわけで、そこから突き詰めて
考えている暇などありませんでした。

劣悪な衛生環境、栄養の不足した日々の食事、そしてなんといっても一緒に
暮らしているにも関わらずそれはそれは仲の悪い子どもたち・・・。

目の前の問題に対応するだけで終わっていく毎日でした。
今の施設を訪問した方にはまったく想像もできない、そんな場所。

2001年から2004年ごろまでの間に子どもたちがあいついで田舎に帰ってしまう
という事態が起きました。
親の都合で施設に入れられ、私が来たことで規則や時間割もできた暮らしが
窮屈だったり、あるいは一緒に暮らす子との折り合いがつかないなどの理由が
あったのだろうなと今は思います。
当時はなんとか環境をよくしようと必死だったので、そんな中で出ていってしまう
子どもたちに対して冷静にその心の中を見つめる余裕はありませんでした。



昨日の夕方スタッフが私を呼びました。

「博子さん、昔うちにいた子があなたに会いたいと訪ねてきましたよ」




数ヶ月前、あることがきっかけでその子と再会した卒院生のラーヴォから
こんな話を聞いていました。

その子とバイクで二人乗りしていたとき、彼はラーヴォに言ったそうです。

「おかあさんは元気にしているのか」、と。

そして、「僕のことは覚えてるか、会いたい・・・」、と。

ラーヴォは「おかあさんが忘れるわけがない、会いたければ会いに行って
みたらいい。きっと受け入れられるはずだから。」と答えたそうです。



彼とお別れしてからもう10年以上が経っています。
とても人懐っこくて、気がつけばそばにいたように思います。
感情がすぐに顔に出るので、誰かとけんかした時の険しい顔やうれしいときの
本当にニコニコした笑顔はよく覚えています。

当時のみんな
少しずつ仲良くなり始めた頃・・・
彼は写真の右はじ、黄色と白のしましまの服を着た子の後ろにいる
茶色いTシャツの男の子です。

少し緊張して彼が待つ階下の食堂に行きました。


(つづく)



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