2013/09/04

じぶんのやくわり⑦

2009年のある日、久々に施設を訪れた夫が私に告げたのは
離婚の意思でした。
口に出さなくてもそうなるだろうと思い続けた何年間があったので
私としても当然の流れ、落ち着いてその話を聞いていました。

君と僕は合わない


彼のその言葉から1年、離婚にかかる手続きはようやく終わりました。

戸惑いや葛藤、忙しさにまぎれて一番大切なことをないことにして
過ごしてきた自分にとって離婚という着地点が見えたことで正直な
ところ、やっとここに到着した、ようやく彼から卒業できるという
ほっとした気持ちでいっぱいでした。
向き合うべきものを避けてきた日々のほうがよっぽどつらかったと
思います。
避けてきた結果、私は夫がどういう人なのか最後の最後までわから
なかったし、それはきっとお互いにそうだったのでしょう。



さて、これで私のスナーダイ・クマエでの立ち位置をようやく明確に
することができました。

最初は何ができるのかもわからなかったこの場所で、ゆっくりと時間を
かけて自分がさせてもらえることを見つけてきました。

子どもたちと掃除に明け暮れた日々、
一緒に泣き、笑い、共有してきた時間、
叱っては嫌われ、叱り続けてようやく私の気持ちも伝わり、
喜びを分け合う幸せがあります。

私にとっての「役割」は、ひらがなで書く「やくわり」のほうがしっくりきます。
マイペースで、楽観的、そして長期的な視野で子どもたちの成長に合わせて
やくわりを変えていけばよいのだと思っています。

離婚をきっかけに心の余裕ができました。
もう前の夫の施設ということを前提に「役割」を演じる必要がなくなりました。
私にとってあの日を境に新たな心構えでスナーダイ・クマエに向き合う
ことができるようになりました。

子どもたちと私のいる場所として、子どもと同じように成長し続ける
スナーダイ・クマエと共にのんびり歩んでいくこと。
その中で、親から伝えてもらった大切なことを子どもたちにつないでゆき、
活動を支えてくれている方々への感謝の気持ちを子どもたちと一緒に
感じ、そこから他者への思いやりを生み出していくこと。

私がここで生きていくことができるのは、自分にとって大切な人たちがいるから。
一人ではないと思わせてくれる支援者の皆さん、友人たち、関わって
くれているすべての皆さんがいたからです。
子どもたちにも「一人ではない」ということを感じ、強くて優しい人になって
欲しいと思っています。


漠然としていて、はっきりこれといえるものではないけれど、私にとって
スナーダイ・クマエにおける「じぶんのやくわり」は必要に応じて変化して
ゆくのだと思います。
核になる部分だけがぶれなければそれでよいのです。

これからどんなふうに変わっていくのか、自分でも楽しみです。
誤った執着心でみんなを縛り付けることのないように、柔軟な心で細かい
動きを見つめていこうと思っています。

それそのものが「わたしのやくわり」なのかもしれません。


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⑦まで書いた「じぶんのやくわり」、いったんここで終わりたいと思います。
かなりかなりはしょって書いていますので、また気が向いたらテーマを
絞って書きたいなと思っています。

前から書こう書こうと思いつつ、なかなか進まなかった作業でした。

ここまでお付き合い下さった皆さん、ありがとうございます。
また突然何かが始まるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします。





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