2013/09/03

じぶんのやくわり⑥

ふう・・・とうとう⑥まできてしまい収拾がつかない感満載となって
参りましたワタクシのブログ・・・(笑
そろそろまとめに向かって書いてゆきたいと思いますので、もう
少しだけお付き合いお願いします。



こうして徐々に子どもたちとの距離をつめてゆき、共有する時間、
体験が増えていったこの頃の私。
それでも一番の悩みは、気持ちを伝えきれない、ということでした。

クラスメイトにすぐに先生になついて仲良くするような子がいましたが
私は全然そういう風にできない子だったので、子どもたちが容易に
心を開かなくても「ゆっくりいこう」と思えたのかもしれません。


管理運営責任者という肩書きからは程遠く、毎日毎日子どもたちの
時間割を作り、それにそって一緒に行動するということを続ける
しかありませんでした。
他にしていたことはスタッフミーティングと会計、お礼状や報告書の
送付、メール返信などでした。
いつからか時間割の作成や週間、月間の予定をスタッフが自分で
できるようになり、報告を受けてチェックするようになりました。

子どもたちを叱っても、翌日には普通に「おはよう」から始まるように
なったのもいつからかはっきりと覚えていません。
それまでは叱った後3日くらいは私を避けたり、ひどいときはみんなと
同じスケジュールを無視し、食事も拒否されることも。
そのたびにむなしい気持ちともっと近づきたいという思いの間で
いったりきたり。

一度自分が真剣に関わった人たちとの関係を簡単に放棄することが
嫌いな自分に気がついたのもそういった経験からかもしれません。


現場にいる私が夫の教育方針(厳しく叱りつけるやりかた)に合わせず
自分なりに「時間がかかっても理解させていく」というやり方を続けて
いくことで、夫に選ばれて働いていたスタッフが混乱することもあり
ました。
「自分にとってのボスはどちらなのか」と。
それでも私が現場でやって行く姿を見てスタッフが理解を示してくれて
いたと思います。
それに反比例するように夫との溝は深まって行きました。
次第に孤児院運営に興味を持たなくなった夫。
こんな状況でこの先どうしていけばよいのか・・・と。

一時帰国したときに友人が言いました。
「こうでないといけないということなんてなにもないんじゃないのか。
気持ちをニュートラルにして、自分のやりたいと思うように持っていけば
いい。」
たしかにその頃の私は「これしか選択肢がない」という考えにはまって
しまっていたように思います。

最近のことですが違う友人に、「私は長年ここでやってきたけど専門と
呼べるものはなにも持っていない。」と話すと、
「あなたの立場は専門ではなく、総合的に物事を把握できればよい。」
と言われました。

この二つの言葉、そのときの状況は今でもよく思い出します。

2000年からここで暮らし始め、どたばたと過ぎていく日々。
そこから少し余裕を持って全体を見ていこうと思えるときがきました。
いつかこの日が来るだろうと心していたときがやってきたのです。

それは11年間離れて暮らしていた夫の口から出た言葉で始まりました。

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