2015/03/04

見えてきた答え

大学生の長期休暇である春と夏は私の運営する施設への訪問希望が増える
季節でもあります。

色々な方と会うので、それぞれの今置かれている立場や価値観などによる
質問を受けます。
昨日はある質問を頂いたことから探していた答えが見えてきたような気が
したのでそのことを書こうと思います。


私の母は60歳で急逝しました。急性心不全、周りの人は誰一人母がこんなに急に
逝ってしまうなどと思ってもいませんでした。
10年前のことでした。

そして父は昨年すい臓がんと診断され、自宅療養ののちに母のもとへ逝きました。

母が亡くなってからずっと、なぜこんなにも早く逝かなければならなかったのか、と
思い続けています。
そして父が亡くなってからはまた別の思いが生まれました。
それを言葉にするのにぴったりな表現がよくわからないのですが、「父と母がこの世
にいたその意味について」なのかもしれません。
なんかうまく言えないのですが。



昨日訪問して下さったのは名古屋大学の先生と学生さんの一行。
学生さんの中には私が日本でお話をさせて頂いていたときに来場してくれていた方も
含まれていました。
施設の歴史、概要を一通りお話しした後で皆さんから質問を受けました。
最後に先生から、
「これまでの話を聞く限り、本来このような(精神的にも)ハードな活動をし続けるには
例えば宗教などのような心の拠り所がないとなかなかやってこれないのだと思います
が、博子さんの場合は個人の持つパーソナリティで進んできたように感じます。
あなたのそういう強さというか、進んでいくための支えとなったものはなんでしょうか?」
というようなご質問を受けました。

これまでにも同様の質問を頂く機会は多く、私は一人でやってきたわけではなくて
スタッフも子どもたちも、家族も、友人も、そして多くの支援者の方の存在そのものが
支えだとごく自然に考えていました。
それは今後も変わることない一つの答えです。

昨日はもう一つ別の答えが自分の中に湧いてきました。

「父と母が生きてきた意味をつないでいく作業だから辛いと思うことは少なかった
のかもしれない」

ということです。

小さい頃から母が身につけさせてくれた家事や人とのお付き合いの仕方、父が
教えてくれた生きていくために必要な物事の考え方、それを息子や子どもたちに
伝えていくことで二人が生きていた意味をさらに磨くことができるのだと思います。

それはなにもカンボジアでなくとも、どこにいても大切な人の命を輝かせる
作業として誰にでもできることなんですよね。

息子を出産したときの母の言葉、「命のバトンタッチができたわ、ほっとした」
バトンを渡された私はこれから息子やここにいる子どもたちにまたそれを渡して
いく、ありふれた当たり前のことかもしれないけど、力強く手渡していきたいです。
それは両親がみんなの中に生き続けることにつながりますから。

大切な人の命、それは私という人間の基礎となる部分を築いてくれた両親と、
今そばにいてくれる息子や子どもたちです。
大切な人と共に生きるという営みだからこそ、なにがあってもたとえ少しずつでも
前に進んでこれたのだと思います。
それが私を支えるものだったのだと、かすんでいた向こう側が少し見えてきました。

『要するに私は両親のことが大好きなんでしょうね』
気がついたら、質問してくれた先生に笑いながらそう答えていました。


 
「やっと気づいたかー」という二人の声が聞こえてきそうです。笑

こののんびりした気質も、しんどいことをしんどいと思いすぎずに
やってこれた要因なのかもしれません。

まだこれからもいろんな答え合わせが待っているんでしょうね。
ぼちぼちいきます。






2 件のコメント:

  1. 素晴らしい!!

    返信削除
    返信
    1. コメント、ありがとうございました。
      前の世代から引き継いだ精神を次の世代にきちんと伝える大人でありたいと思っています。
      これからもブログご覧頂けたらうれしいです。よろしくお願いします。

      削除